
死への不安というもの。
「自分が死んだら、世界から自分が欠けてしまう。」ということに、わけもない不安や恐怖を覚えるという人が多い。
ただ、自分がこの世に生まれる前、自分は最初からこの世界から欠けていた存在だ。
自分が生まれる前、死んだ後。
存在が欠けるという意味では、本質は同じな気がする。
死後の世界に異常に興味がある人へ感じる違和感は、その人のバランス感覚への違和感の問題なんだと思う。
死後の世界に意味があるならば、「自分」の後だけではなくて、「自分」が存在する前の世界へも、同じ程度の振幅で思いを馳せないと、前のめりで転んでしまう。
それはバランスの問題。
死後の世界に対して、「自分」が存在する前の世界のことを歴史と呼ぶ。
歴史を学ぶ事は大事だ。
自分が若いとき、自分に歴史がないときはあまり重要性を感じづらいもの。
歴史も未来も、自分が体験できない。
ただ、過去は、物的証拠の手がかりから、いろんなことを想像できる。
そして、未来は過去と現在の洞察と、何かしらの連続性を持っているはずでもある。
死後の世界もそうだけど、お互いで指を差して触れることができる「そのもの自体」が共有できないとき、そういうものは「あると言えばあるし、ないと言えばない。」
それぞれの人が抱える実在感(リアリティー)とか信仰の領域になる。
現代芸術・抽象絵画は、絵画の対象を意識から無意識にまで拡張した事で、無限に世界が広がった。
ユングや河合隼雄さんは、『無意識を海とすると、意識は手のひらですくい取った水のようなもの。』と言っていた(ような気がする)。
「今の自分」を意識とすると、過去と未来は壮大な無意識のようなもの。
広大な無意識のおかげで、意識世界は支えられていて、そんなところから人間の行動や営みも来ているかもしれない。
そして、そういう無意識の領域を、日本人は「おのずから」と言い、意識の領域を「みずから」と言って、その領域を重ね合わせながら生きてきたような気がするわけです。
「自分が死んだら、世界から自分が欠けてしまう。」ということに、わけもない不安や恐怖を覚えるという人が多い。
ただ、自分がこの世に生まれる前、自分は最初からこの世界から欠けていた存在だ。
自分が生まれる前、死んだ後。
存在が欠けるという意味では、本質は同じな気がする。
死後の世界に異常に興味がある人へ感じる違和感は、その人のバランス感覚への違和感の問題なんだと思う。
死後の世界に意味があるならば、「自分」の後だけではなくて、「自分」が存在する前の世界へも、同じ程度の振幅で思いを馳せないと、前のめりで転んでしまう。
それはバランスの問題。
死後の世界に対して、「自分」が存在する前の世界のことを歴史と呼ぶ。
歴史を学ぶ事は大事だ。
自分が若いとき、自分に歴史がないときはあまり重要性を感じづらいもの。
歴史も未来も、自分が体験できない。
ただ、過去は、物的証拠の手がかりから、いろんなことを想像できる。
そして、未来は過去と現在の洞察と、何かしらの連続性を持っているはずでもある。
死後の世界もそうだけど、お互いで指を差して触れることができる「そのもの自体」が共有できないとき、そういうものは「あると言えばあるし、ないと言えばない。」
それぞれの人が抱える実在感(リアリティー)とか信仰の領域になる。
現代芸術・抽象絵画は、絵画の対象を意識から無意識にまで拡張した事で、無限に世界が広がった。
ユングや河合隼雄さんは、『無意識を海とすると、意識は手のひらですくい取った水のようなもの。』と言っていた(ような気がする)。
「今の自分」を意識とすると、過去と未来は壮大な無意識のようなもの。
広大な無意識のおかげで、意識世界は支えられていて、そんなところから人間の行動や営みも来ているかもしれない。
そして、そういう無意識の領域を、日本人は「おのずから」と言い、意識の領域を「みずから」と言って、その領域を重ね合わせながら生きてきたような気がするわけです。
僕にとって死は、「死んだらしまい」ということ。当人にとってはすべてが終わり、残された人たちは、その人との関連性がすべて過去のものとして取り扱われるということでしょうか。
過去も未来も原因と結果の繰り返しで出来てると僕は思います。その未来に対してChanges for the better(三菱電機のコーポレートステートメント)と出来たらいいなと思ってます。
Changes for the betterで日本語の意味が三菱電機のHPに載ってたのですが、これは三菱電機の間違いじゃないかと思いました。
http://www.mitsubishielectric.co.jp/info/changes/
『変化は進歩。変化し続けることから、新たな価値が生まれる。』
とありますが、僕はずっと「よりよくするための変化」と思ってました。変化が主体ではなくて、よりよくすることが主体。状況を悪くするのなら、何もしない方がマシだと思います。この言葉は後輩たちによく言います。
『無意識を海とすると、意識は手のひらですくい取った水のようなもの。』「広大な無意識のおかげで、意識世界は支えられていて、そんなところから人間の行動や営みも来ているかもしれない。」
そうだと思います。意識は見える星で無意識はダークマターで、でもそれらは万有引力で微妙に相互に関与しているってのも想像しちゃいました。
でも、最近は、すごく興味わいてるので、まわりの友人とコツコツ世界史勉強会やってるよ。すごく面白いー。
『Changes for the better』
はいいよね。変化すること、変わり続けること。
「善悪」とかってすごく難しいけど、善のイデアを、理想的な善をイメージしながら、よりよきものへ変化する。時には軌道修正も忘れずに。って感じで。
『意識は見える星で無意識はダークマターで、でもそれらは万有引力で微妙に相互に関与している』
ってのは面白いね。
宇宙も、ほんと日常の浅い層では全然関係なくても、すべての根底として、前提として存在してるわけで。宇宙はなぞだらけ。