日常

青木新門『納棺夫日記』

2009-04-27 13:07:37 | 
青木新門『納棺夫日記』 (文春文庫.1996年)

感想を書かずにはおれない。

青木新門『納棺夫日記』 (文春文庫.1996年)を読んだ。
なぜかわからんが号泣してしまった。感動してしまった。
きっと、今考えていることや、色んな事が何層にも何重にもシンクロしたんだと思う。

だから、感想を書くことにした。


■映画・漫画「おくりびと」

実は、映画版はまだ見ていない。
アカデミー賞外国語映画賞をとって話題になっているし、DVD化されたら見ようかとは思っている。


映画化の経緯は、俳優の本木雅弘さんがこの『納棺夫日記』(1996年出版)を読んで大層感銘を受け、そのことがきっかけで映画化の話が進んでいたんだけれど、映画化の脚本での結末や宗教観(親鸞の世界観だと思う)が反映されていないため、映画化は頓挫してしまう。

その後、全然違う話として話を作りかえ、さそうあきら「おくりびと」(小学館)で漫画化された後に、それから映画化されたという経緯をたどったらしい。

わしは、漫画のさそうあきら「おくりびと」(小学館)を、普通に新作と思って買って読んでいたので、この漫画が映画化されたんだろうと単純に思っていたけど、上に書いたような少し複雑な経緯らしい。


せっかくなので、いつもの通り自由気ままに脱線すると、さおうあきらという漫画家は本当に素晴らしい!大好きな漫画家の一人。
個人的には、第3回手塚治虫文化賞のマンガ優秀賞も受賞している、『神童』(さそうあきら)を強く推したい!!自分の中での超名作のひとつ。

天才的なピアノの才能を持つ小学校五年生の女の子(成瀬うた)と絶対音感を持つ浪人生(菊名和音)との話が軸になっている。天才少女なりの栄光と挫折や音楽と格闘する生活が美しく漫画で描かれている。
この漫画を読んだとき、本当に紙の上から音楽が聞こえた気がしたのです。この漫画が放つ力はホンモノだと思う。音楽の漫画では、最高峰の漫画の一つだと思うのです。単行本で全4巻くらいなので強くお奨めします。


■『穢れ』

脱線してくるので復帰します。

青木新門『納棺夫日記』 (文春文庫)の感想を。

印象的な言葉が数々あって紹介しきれない。

本の構成としては、納棺夫としての現場が語られ、最後に親鸞の思想を紹介しつつ、青木新門さんの死生観がまとめられていく。
現場の具体の話から、抽象の話へと昇華されていくプロセスの全体像がとても素晴らしかった。


「納棺師」とは、死者を棺に納めるために必要な作業を全般的に行う職業の通称。死という『穢れ』たものを扱っているとのことから、やや軽蔑の意味を込めて「納棺夫」と周りから言われたことが、このタイトルの由来になっている。「納棺夫」は「納棺師」に対する造語のようなものらしい。
日本人は死自体を『穢れ』と捉える思想が根底にあり、死を扱う職業で、過去に正当な社会的評価を受けてこなかったものも多い。そんな辛い側面もある日々の現場の苦悩が語られる。


死を『穢れ』と考える、この日本人の発想はとても底が深いものを感じる。

『穢れ』の感覚は、どんな宗教よりも真実味を持って日本人の価値観や思想に深く食い込んでいると思う。
ある人が何十年も使っていた茶碗を、いくら消毒・殺菌してもなんとなく使いにくいのも、この『穢れ』の感覚が背景にあるらしく、これは井沢元彦さんの『穢れと茶碗―日本人は、なぜ軍隊が嫌いか 』という本にすごく興味深く書いてあった。

この本では、軍隊・自衛隊のような仕事に従事される方への無意識な差別意識や、過去の日本での差別など、日本人の差別意識の根底に『穢れ』の発想があるとして、そこを鋭く深く考察している。

日本人が『水に流しましょう』と言うのも、この『穢れ』を『禊ぎ』で浄化させる思想が根底にある。

僕ら日本人が水や塩で清める行為は、「古事記」(→和銅5年(712年)に太安万侶らに編纂された日本最古の歴史書)でイザナギ(伊邪那岐命)とイザナミ(伊邪那美)の物語に由来する。

イザナミの死後、イザナギはイザナミに逢いに黄泉国(死後の世界)に追いかけるが、イザナミが見るな、と言った約束を破り、イザナミの蛆虫がわきまくっている腐敗した死体を見てしまう。イザナミは約束を破られたことに怒り、恐怖で逃げるイザナギを追いかける。逃げるイザナギは、黄泉国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)で道を塞ぎ、会えなくしてしまう。(→そこで、死の世界と生の世界は分断される!) イザナギが黄泉国から帰ってきた後、自分の『穢れ』を落とすために「筑紫の日向の小戸の橘の檍原」で禊を行う。

そういう、蛆虫が湧くような「死」を、汚く、穢れたものとした。
その穢れをはらうために、海水の塩水で禊ぎを行ったのだ。

日本人は、過去の色々な『穢れ』を『水に流す』ことで忘れる。
(→日本で『水に流す』ことは美徳とされているが、国際社会ではそれが欠点になることも多い!これは、国際社会で日本の立ち位置を考えるときも面白い。比較文化論にも通じますね。)

『穢れ』・『禊ぎ』は確かに迷信かもしれないが、古くから日本人の根底にある思想・行為であり、血となり肉となっているので気づかないほど深層心理に食い込んでいる。
日本人の源流を考える上で大事な価値観だと思った。



(どんどん古事記の話に脱線しちゃうので本線復帰!)


宮沢賢治「永訣の朝」  「みぞれ」=「生死一如」

宮沢賢治の「永訣の朝」という詩が紹介されている。
この詩は本当に素晴らしいので、クリックして是非読んでほしい。

宮沢賢治が最愛の妹の死を想い、書いた詩ですが、この詩を読んで何故だか勝手に涙が溢れた。

納棺夫としての何気ない日常での苦悩。そんな積み重ねの日々の上に、本文ではこの詩が紹介されていた。
僕ら医者と立場は違えども、納棺夫として『生死』という同じものを見ている同士だからこそ、すごく泣けてしまったのかもしれない。

宮沢賢治「永訣の朝」という詩の中では、「生と死」を「雨と雪」の関係と捉えると、「生死一如」としての「みぞれ」という風に使われているようだ。


そして、青木さんは言う。
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P76
いつの時代になっても、生に立脚し、生に視点を置いたまま適当に死を想像して、さもありなんといった思想などを構築したりするものが後を絶たない。
特に、人間の知を頑なに信じ、現場の知には疎く、それでいて感性は生に執着したままの知識人に多い。
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生者から死をとらえるのではなく、死者から生をとらえる視点。
そして、「みぞれ」のように、宮沢賢治の世界のように、「生死一如」として生死の主客一致する視点。


量子理論の生みの親であり、1933年にノーベル物理学賞を受賞したシュレディンガーもこう言った。
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『主体と客体は、一つのものである。それらの境界が、物理化学の最近の成果でこわれたということではない。なぜなら、そんな境界など存在しないからだ。』
『西洋科学の構造に東洋の同一化の教理を同化させることによって解き明かされるだろう。一切の精神は一つだと言うべきでしょう。私はあえて、それは不滅だと言いたいのです。私は西洋の言葉でこれを表現するのは適さないということを認めるものです。』
 -シュレーディンガー「精神と物質」より
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これこそ、『有限の自己を捨て、無限の他者へ。』(2009-04-20)で書いた、視点の移動と全く同じだ。
自分が考えていた時に、同時期にこういう本を読むこと。
この共時性に驚いた。


自意識から自由になり、自分ありきではなく、他者や縁の流動の相ありきで、そこから自己を、世界を見つめていくこと。


それは、
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○生死というもの、それは生者の理論で死者や死の世界を見ることではない。死者の世界から生を見ること。
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という風に自分が強烈な実感を伴って感じた世界と同じだ。


■死から生を

以前、印象的な患者さんである、Uさんの死を文章に書いたことがあった。
『印象深い患者さんの死を思う』(2009-03-14)

Uさんは、自分の死期を明確に分かったのだろう。
死ぬ数時間前に僕を呼び出した。
そして、話した。

Uさんは、終始、自意識を超えた世界から僕と話していた。
ほとんど意識がなかったからだ。
話すたびに目が上転していて、断続的に意識を失いながら僕と話していたのだ。


あの瞬間に形成された場はなんとも不思議な空間だった。
ワタシがアナタであり、アナタがワタシであるような。
あの世がこの世であり、この世があの世であるような。


僕らは、生とか死とかを超えた意識の相で対話していたのだと思う。
僕も、必ずしも多くの言葉を発しなかったけれど、Uさんの顔をじっとみながら、非言語の世界で話をしていた気になっていた。

死者は生や自意識から解き放たれ、安らかな顔をしていることが多い。
そのことは、『納棺夫日記』にも何度も出てくる。


青木新門さんは、宮沢賢治を紹介しながら、こう語っている。
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P77
『般若心経』の観自在菩薩のような自在の眼で世界を認識しようとしていたかのようだ。
視点の移動があって、思いやりが生まれる。
思いやりとは、相手の立場に立つことである。
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これは、無限の他者から自己を見出すときの軸となる考えである。


■岡潔(数学者)『真情』

数学者の岡潔(→多変数解析函数論で世界的な業績を残す)は、晩年に自分の思索を深めていく。
その深め行く層の中で、このページにあるような図に集約されていく。(このサイトはla stradaさんから教えてもらった。ありがとう!
『引用メモ;心の根底にある「情」の世界。』(2009-04-27)



岡潔の世界観を表す図を見てもらいたい。
浅い心(第一の心=自己中心的な自我意識)である『五感→意識→マナ識(フロイトの言う本能)』の更に地下にある、深い心(第二の心=無意識の心)。

深い心(第二の心)は『アラヤ意識(ユングの言う「集合的無意識」)→真如(仏教で言う、「真理は一つ」ということ)→真情』と層が深くなる。
深い心の、第10層にある『真情』という感覚は、「人と自然の喜びを、共に喜び、悲しみを悲しむ」という深い意識であると書かれている。

固体でできている心があるとすると、その隙間を埋めるものとして、流動の相として液体で流れて沁み渡る。それが『真情』であると、岡潔は説いている!これは興味深い。


(どんどん発展しながらも脱線しているのでこの辺で止めます。)


■最後に

青木新門『納棺夫日記』は、最後に親鸞(浄土真宗の開祖)の思想を紹介しながらまとめている。
そして、ここが最高に面白い!
線を引きながら読む癖があるのですが、見返すとほとんど線が引いてあるので紹介しきれない。(笑) 
ま、とにかく読んでみてくださいってことですね。

親鸞の考えに関しては、いつか、阿満利麿「無宗教からの『歎異抄』読解」 (ちくま新書) を紹介する時にでも、元気があれば紹介したいような気もする。いろんな人が親鸞の思想には共鳴しているしね。


青木新門『納棺夫日記』 (文春文庫)は、そんなに長い本ではないですし、親鸞の思想にまだ触れたことがない人にも、この本は強くお薦めします。とにかく、お薦めなのです。これも縁と思って是非!


この本に紹介されている文章を引用しながら、この本の世界観を簡単に紹介して終わることにします。
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○ゲーテ『根源的現象に出会うと、感覚的な人たちは驚嘆の中へ逃げ込むし、知性的な人たちは最も高貴なものを最も卑俗なものと結びつけてわかったと思おうとする』
○パウル・クレー『人に見えない世界を描き出すのが絵だ』
○ヘーゲル『哲学とは、思考の外部である無限を、概念の中に取り込んでくる知性の試みのことを言う』
○アインシュタイン『科学的でない宗教は盲目であり、宗教のない科学は危険である』
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7 コメント

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こんなに深いとは (Is)
2009-04-27 14:58:20
『納棺夫日記』…そんな背景があったとは!
正直、「おくりびと」の原作(原案か?)くらいの認識しか無くて、映画自体は、けっこう軽かったのですね。だから、本屋で平積みになってても、そんなに興味なかったんだけど、まさか、そんな内容のあるものだったとは!
もっくんもそちらに惹かれての企画だったんでしょうね。
さそうあきらがワンクッション入っていたのも知らなかった。…『神童』は未読。ぼくは『コドモのコドモ』でこの作者のイメージを持ってます。テーマ選びが鋭いですよね。にしても、井上しかり浦沢、この世代は漫画家という職業がすごく鼻息の荒い人たちを惹きつけた時代だったのだろうか!?(福岡駅前にも、熊本美術館の井上展のおおっきな宣伝がしてあった!)

(…にしても、ものすごい思索量だ!)
他のテーマも面白い。堪能させてもらいます。
いなばゼミあったらスゴイ面白いだろうね-。脱線がすごくて本筋が進まないってことも言わせねぇ~よ~(←by我が家)って感じ。
ごちそうさまです!
返信する
映画化されてもされなくても素晴らしい1冊だよね (maki)
2009-04-27 17:58:31
ちょっと前にこの本の話を、確かしましたね。
私自身は、正直、深い歴史的背景や親鸞の思想に対する理解が、あまりなかったのですが、「納棺夫日記」でそれに触れ、そこから「歎異抄」の勉強をしだしたぐらいなもので。
そんな私でも、響く何かを確かに感じた大事な一冊です。

文章を原作に、映画化された作品に関してはほとんど、まず最初に文章を読まないと気がすまないのだけれども、今回はこの本の本質に心を大きく揺り動かされたもっくんが演じているということもあり、映画を見てみようと思っています。27歳で「納棺夫日記」を読み、感銘を受けたもっくん。(ほぼ日刊イトイ新聞でも確か対談があって、こんなに深く強い想いでこの映画に臨んでいたのだなあと思ったよ。)ん~、また一つ俳優として、というよりも人として魅力アップです。

>>Is氏
いなばゼミ、そりゃもう行く行く!
絶対、講義後、カラオケだから(笑)。
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強い想いが詰まっていますね (ともこ)
2009-04-27 22:05:23
切実さがココロの中にあって生きていると、自分にとって必要なものを無意識のうちに引き寄せるんでしょうね。自分の「ドーナツの穴」の中は無意識のうちにブラックホールになってくんじゃないかな。周りにドーナツがあることで、どんどんその自己という空間は穴であることを超えて、物事を引き寄せる引力が働いていく気がします。

「納棺夫日記」かなり興味持ちました!makiさんもこの前話してくれましたよね。生と死は、全ての人に関係しているものであり、それに向き合うことは心安らかにいられることだな、と最近感じます。昔はたぶん生と死を考えれば考えるほど、ざわざわしていた気持ちが、向き合うことで、そして仏教的発想を自分に取り込んでいったことで、ココロが穏やかな広い川の流れになっていっていると思います。(あくまでも昔より、の比較だけれど。)

宮沢賢治「永訣の朝」を始め、無声慟哭の中の詩は自分にとっても大事な詩s(複数形)で、「永訣の朝」は高校のときに読んでから記憶に強く残っていて、2006年1月にまた改めて触れる機会があって、それから何回も読んでました。本当に、涙するよね。美しく、儚く、切なく、トシの理想と想い。賢治の理想と想い。清く生きたいと望み、苦悩する2人を感じます。
http://tomosophia.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post-81ad.html
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」はココロから離れないフレーズですよね。

あー、読みたい本が山積み!でもこうやって、公開いなばゼミがあると、本当に勉強になるし、いつも刺激があって、学びが溢れる空間です。しかも、エネルギーももらえてしまう。

またオフのゼミも行きましょう!次に東京に戻ったときにでも。ゼミ⇒いつものコースもOKです(笑)
返信する
実家に帰っても本読んでクラシック聞いて・・あまり生活は変わらず。 (いなば)
2009-04-28 13:45:31
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Isくん
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さそうあきらの『神童』は未読!それは勿体無い!
book offで100円で叩き売られているのを見たときは、勝手に救済して人に配ったりしてたことを思い出します。
あれは本当にいい作品だよー。
同じ音楽漫画『マエストロ』も、ついこの前文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞とってたけど、こちらは未読。音楽への造詣が深い人だから、きっとこれもたまらないんだろうなー。

あと、さそうあきらの「富士山」ってのもなんか変な話で面白かった覚えあるなー。


本題のトピックも、どんどん脱線して、当初書こうと思った感想を書く前に疲れてやめてる感じだね。笑
口述筆記だと楽なんだけど、ワープロうちは肉体的限界が来るから。笑


でも、丁度「穢れ」の概念は考えているとこだったし、そこでこの青木新門さんの『納棺夫日記』をズバリ読んだし、ほんと出会うべきときに出会うものってあるよね。これは人もそうだし。

いなばゼミ、できればかまたゼミと半分半分でやりたい。一人で全部担当すると、イナバカラーが全面に出てくるから。笑
でも、大学にも戻るし、隠れたすごい人も医学部以外にいっぱいいるだろうし、そういう人に会いに行って、色々勉強したいなー。やっぱり今は文学、哲学、宗教、社会学系に自分の関心が寄ってるから、その辺りの最高の学者と話してみたいわー。
ま、ゼミも大学でみんなでやれたらいいね。面白いのがいいなー。自意識過剰じゃなくて他者中心の勉強会がいいなー。建設的で創造的なやつね。夢膨らむわー。



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maki様
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そうそう。
元々はこの前マキに教えてもらったから読み出したのよ。
本屋に平積みになっていたけど、マキがすごくよかった!って言ったコトバで、あのとき自分との出会いを感じましたね。一気に読めて面白かった!
エッセイでもあり、哲学でもあり、宗教でもあり、仕事論でもあり、生命論でもあり・・・・色んなテーマが自然な文体に乗せてつながっていて、その大河の流れに乗るように面白く読めた。
紹介してくれてアリが十匹!


「歎異抄」もそうだけど、やっぱり親鸞って言う人は巨人だから、浄土真宗うんぬんとか、念仏仏教がうんぬんとか言う前に、あの人の思想・哲学は本当に面白い。
当時の時代背景も大きく影響受けてるから、表面的には現代で合致しない部分もあるかもしれないけど、根底に流れている世界観はすごい。

あの絶対他力の考えも、完全に自己を捨て、阿弥陀如来へ自己を任せよ!という思想で、自我論、自己論の話なのよね。時代が違えども、「自己と他者」の哲学的問いに対する、親鸞なり解答だし、そこから学べることは本当に多い。
仏教の「縁起」の考えにも通じるし。

今は、親鸞の教えを忠実に受け継いで、農民の土着に信仰を広めていった蓮如の本読んでるよー。
→五木寛之「蓮如―聖俗具有の人間像」 (岩波新書)
http://www.bossabooks.jp/product.html?asin=4004303435

五木寛之さんって流石プロというか、文章が読みやすくてスイスイ読めるのよねー。


・・・・・・・・・・・・

あ、僕もほぼ日刊イトイ新聞のもっくんの対談読んだよ。
あれで俺も原作のほうに興味もってはいたのよね。当時は映画に対するアレルギーあって、あまり映画見る気にならなかったもんで。
→ほぼ日より「死を想う」
http://www.1101.com/okuribito/


P.S.
いなばゼミの後のカラオケ、接待なし、お酒なし、自分が好きな歌を気にせず歌う。が基本になると思いますよ。笑



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ともこさん
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そうですね。
なんか「ドーナツの穴」としての自己、その「穴自体」も、他者や死者を取り入れることでどんどん拡大していってる気がします。どんどんドデカイ穴になってきてる気が。
穴って、大きければ大きいほど、何でも入る穴になるしね。
今は何でも穴に入ってくる。LaStradaさんにも影響うけて、今はクラシックの世界につかまれてしまった!クラシックばかり聞いています。時にミスチルで生き抜くしてます。笑
あの世界もすごいねー。今までなんで知らなかったのか不思議な気がするけど。笑


「納棺夫日記」面白いよ!容量自体も短くて簡潔だからこそいい本だねー。
あれが電話帳みたい分厚かったら読む気湧かないかもしれんけど。
(天童荒太「悼む人」なんかも、買ってはいるけど、分厚すぎてなかなか読む気になっていない!笑)



ともこさんが言うように、わしも宗教になんとなくアレルギーあって(大抵の日本人がそうだと思う。国家神道への誘導からの戦争や、オウムなどの新興宗教の問題から)、仏教自体をまともに勉強したことなかったけど、いざ勉強してみると、かなり色んな理解が深まるよね。
特にお年寄りの世代は仏教への心身深い人多いし、色んな意味で発見が多い!

まあ、自分みたいに、哲学・思想の一つとして仏教勉強しているのは、本当の仏教信者から見ると邪道かもしれんけど、自分は自分なりに宗教をうまく取り込んで、科学とかとのいい塩梅を模索していきたいな。

次は古神道とか知りたい。そうなると、出雲大社とか伊勢神宮にも俄然興味湧いちゃうし。
みんなで日本の聖地巡礼とかすると、きっと面白いだろうねー。


それにしても、智子さんが2006年1月23日のブログで宮沢賢治「永訣の朝」を書いているのは驚き!
3年前の智子さん、こんにちわ!って感じね。

僕は詩には造詣ないし、宮沢賢治の詩も大部分はよくわからんのだけど(汗)、一部自分に深く響いてくる詩は間違いなくあって、妹の死を思いながら書いている詩は、かなり深く突き刺さるよねー。ほんとに痛々しいくらい。そこから乗り越えようとしている賢治自身のありようもかさねられて書いてあるしね。

今になって「雨にもマケズ・・・」も読むとすごくいいよねー。他の詩は高度すぎて分からないのも多いけど、これも年をとると徐徐に分かるようになるのかな。あと10年後、お会いしましょう!って感じなのかなぁ。


というのも、自分が高校のときに気になって読んだものの、なんかよかったのかも悪かったのかもすら、まったく何も覚えていない作品って結構ある。
でも、実家の本棚にそのままになってるから、ふと今読み返すと新しいものを感じるものが多いこと多いこと!
以前、若かりし日に会ったのは、やはり何かの縁だったのでしょうね。
自分が年をとり、熟成されてくると、さらにその深みが分かるというか。


いまさら、昔の立花隆の本を読み返そうと思っています!
実家にふと置いてある、『農協』、『宇宙からの帰還』、『脳死』、『精神と物質』、『サル学の現在』、『ぼくはこんな本を読んできた』、『アポロ13号奇跡の生還』ヘンリー・クーパーJrの翻訳・・・・・

なんかタイトルだけ見てても、今の自分が読むべき本だ!ってすぐ分かった。
高校生のころに多く読んだ気がするけど、10数年たって立花先生お久しぶり!って感じですよー。
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〈場〉、カラオケ (Is)
2009-04-28 14:26:16
複数人のゼミといえば、
丸劇ニュース
http://www.videonews.com/
なんかだと、
社会学者の宮台と
ジャーナリストの神保に
毎週、テーマの専門家一人加えて、
すごくバランスがいい。
各人、もちろん個人としても独立した専門領域を持っていて、それが相乗的にぶつかり合う〈場〉(←最近、はやりの!)をつくりだしている。

まあ、「大人の新しい遊び」ってのがテーマかもね。(←これまた流行の!)

最近、つくづく思うのは、やはり、〈場〉、プラットフォームかなと。例えば、アメトーークだとか、あとBSマンガ夜話なんかもそうだけど、あれは、やはり、プロデューサーのクリエイティビティーを僕は評したい。あの舞台装置をつくった時点で、中味はもう自然に着いてくる。ある意味では、何を入れても盛り上がるような(いや、もちろん、中味も大切なんだけれども、あえて強調符を置くとすれば)。

>>>makkiー!、カラオケとか、
この辺、同時代人として時代を共有できてるとこは嬉しいことだね。
高校の頃とか、小室聴いたねー♪みたいな。
会社の接待とかだと、いやらしいけど、おじさま方の時代に合わせて選曲したりしちゃうことあるよ。クシシッ。山根 康広Get Along Togetherとかだと、バブル組の人に大ウケ!…そんなの知ってんだーとかって。(…中学ころで、ちょうど音楽聴き始めた頃ね。夏の日の1993とか、J-WALK何も言えなくて夏、とか)

返信する
本との出会い (la strada)
2009-04-29 08:27:55
ゼミ、最高に楽しそうですね~~
いいないいな^^。いつかモグリでよろしくお願いします。イス持参するのでー。笑。

そういえば、大変お世話になっている日本人の知り合いのお宅に最近お邪魔して、岡潔さんに興味があってと話したら、「そういえば一冊本があるわよ」と貸してくださった!「春風夏雨」という本。こういう出会い、大感激。今から読むのが楽しみです。しかも、その方は、昔のそのまた昔に、物理学者のハイゼンベルクさんと、演奏をされたことがあるらしく(音楽でいこうか、物理でいこうか本気で迷っていたらしいです。。ピアノの腕前もすごかったとのこと。凄い人は桁違いに凄い…)その会場には湯川秀樹氏などものすごい面子が聴いていて、その中に岡潔さんもいたそうです。そんな話をお聞きし、またも大興奮…。

立花さんの本も数冊お借りしてきました。
宇宙からの生還、人体再生、サイエンス・ミレニアム、サイエンス・ナウ。知の巨人の立花さん、それこそ、どこまでもどこまでも広く深く掘り続けていらっしゃる方ですよね。これまた読むのが楽しみです。

本との出会いというのも、タイミングだなぁとつくづく感じるここ数日でした。

返信する
懐かしいJ-POPの磁場にひきずられ・・ (いなば)
2009-04-29 09:38:18
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Is
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「場」のもつ力というものは、本当にちゃんと考えてみたいテーマだよね。
人が寄り合うと「場」ができる。そこに流れる「気」のようなもの。(「念」とも言えるかもしれん)
そういう「気」や「念」のような眼に見えないエネルギーが、「場」のベクトル(方向性+大きさ)を決めるってことありますよね!
とにかく有名人なオーススターばかりが集まっても、「場」としては全然ダメな不協和音のときもある。
無名の普通の人が集まっても、歴史を変えるような「場」が作られることもある。

この辺は「個人と組織」論にもつながるのかもしれんけど、何か考えるタイミングがあれば、深く考察してみたテーマですね。

自分としては、みなさんと呼応して深め合う関係性がいい!

最近のイメージとしては「高めあう」関係性よりも、「深め合う」関係性の方が言い方としてピッタリくる。
これは、自分と向き合うプロセスを、自分を「高める」プロセスより、「深める」プロセスと考えるほうがピッタリくるということが分かったからなのです。
→LaStradaさんのブログ
【参考】穴を掘ることと地下水。
http://sachiolin.exblog.jp/11347713

この辺も、色々書きたいテーマだなぁ。
でも、どんどん脱線するから今度にしようっと。笑



「大人の新しい遊び」は、本当にテーマだよー。
自分を深める作業から眼をそらすと、浅い層や表面の層で満足するようになるし、視点も短期的になる。
先人や古典や歴史を愛することもなくなるし、短期的な損得だけで生きるようになる。
そして、色欲にも溺れる。
今の大人社会の遊びなんて、せいぜいそんな浅瀬の遊びしかない。

僕らが次の世代に残すべきは、自分を深める孤独で暗いプロセスを、いかに他者と呼応しながら面白い営みにするか。そういう高める比較しやすい世界より、深める比較しにくい(相対化しにくい)世界への誘いだね。

深めるプロセスは、立ち居地としては相対化しにくい。
浅い層の人は、深い層の人よりも上にいるから、浅い層の方がイイとかワルイとかではない。従来の軸や尺度が通用しない世界とも言えるかな。


こういうブログのコメント欄同士での呼応もそうだけど、お互いを深めるプロセスの面白さとか、そういうのを大人の遊びにしたいねー。
表面的な浅い層で安易につながるんじゃなくて、深い層でつながるような。

うんうん。
〈場〉、プラットフォームへの尊重は今まで軽視されていたと思う。
いかに有名な人、「個性や自我が強い人」を集めるか、そんなことに注意がいっていた。
僕はそうではないと思う。

場ありきで、人がある。
関係性ありきで、人が生きる。

その場、その場が持つ特殊な一回性から個人を考えていく発想法こそが大事なんだと思う。
全員が全員、伸び伸びとできるような場をこそ作りたい。
それは常にその時その時で考えないといけないんだよね。
マニュアルに合わせていく、そういう自意識過剰な手法は、もう限界が見えていると思う。


山根 康広Get Along Togetherとか懐かしいなー。
GAOとかどうしてるんだろう?あの男性っぽい女性歌手ね。
→GAO  サヨナラ
http://www.youtube.com/watch?v=e45yonxddBA
(動画見ると足長いなー。あ、関係ない?笑)

個人的には橘いずむとか、女尾崎豊!とかいわれて好きだったなー。
→橘いずみ 永遠のパズル
http://www.youtube.com/watch?v=eQ8YMe3och0
→橘いずみ 失格
http://www.youtube.com/watch?v=claUeI3fKNo
(これはイントロ長いなー。)
(【補足】太陽族っていう、ファンクラブに入ってました笑)


あと、鈴木彩子とか知ってる?マニアっくかもだけど高校生のときLIVEも行ったことある。メッセージ性強くて美人なのよー。時代に埋もれてしまったなー。熱い歌詞なのです。
→鈴木彩子 葛藤
http://www.youtube.com/watch?v=lgRGUxlv51s


JUDY&MARYとか(僕ら世代の女子のカリスマだった)、岡本真夜とか(涙の数だけ強くなれるよ~♪)、久宝留理子とか(歌がうまかった!)、川本真琴とか(かわいかったし早口でギター掻き鳴らしてジーパンで歌う姿がとってもキュート!)、平松愛理とか(部屋とYシャツと私ってタイトルは革命的だったなー)、WANDSとか(中山美穂とデュエットもしてたね)、T-BOLANとか(WANDS派とT-BOLAN派で分かれたなー)、DEENとか(ひーとーみー、そーらーさなーいでー 「瞳そらさないで」より(そのまんま))、チャゲ&飛鳥とか(SAY YESで流行ってからよく聞いたなー)、米米CLUBとか(コスプレの元祖:ジェームス小野田)、吉川晃司とか(僕らより少し上の世代の女子に大人気だったんだよねー)、BUCK-TICKとか(ああいうパンキッシュでクレイジーな感じが当時は崇高でかっこよく見えたのよねー)・・・・・・・メロディーと共に思い出の洪水だー。


30歳のJ-POP大好き男子にしか分からん話題が多すぎる?笑
会って話すときより、こうして音楽や動画を共有しながら話せるから面白いよねー。




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la strada
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J-POP輪廻の世界から脱さなきゃ。笑

ゼミ、なんかいつのまにか話が進んでるね。
しかも、関係ないJ-POPで盛り上がってるし。笑


岡潔さん!ほんとカッコいい!
これまた不可思議な縁なんだけど、NHKの「あの人に会いたい」の再放送みたいなのをやってるから、毎週録画でとってるんだけど、先週は岡潔さん出てきた!すごい偶然!この共時性!
http://www.nhk.or.jp/archives/anohito/past/2008/208.html
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岡潔は日本が誇る大数学者。多変数函数論の分野で世界的な難問を解決し、その業績により昭和28年文化勲章を受章した。数学者・岡潔の名を全国的に知らしめたのは随筆「春宵十話」である。この中で岡は論理的学問と思われる数学者でありながら、日本的情緒や情操教育の大切さを語りかけ、大変な反響を呼んだ。数学の発見には西洋のインスピレーション型と東洋の情操型とがあるという。岡は「人の中心は情緒である」と言い、万葉集や芭蕉などを通じ日本人の心を思い出してほしいと訴える。
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でも、ドイツで岡潔さんの本持ってるなんてすごい!奇跡の出会いだね!

物理学者のハイゼンベルク、湯川秀樹・・・すごいなー。
やっぱり、自然に「場」って形成されるのね。
お互いが共鳴して、お互いが呼応するような場。
しかも、音楽を軸に集まるってのも素敵だー。


立花隆さんって、本当に博覧強記だし、かなり影響うけたよー。
あの俗世間と一線を隠した飄々とした風貌も、こんな時代だからこそ魅力的に映る!

サイエンスの言語をすごく勉強していて、本当に噛み砕かれていて分かりやすいんだよね。
ああいうジャーナリストが増えるといいよね!
科学と社会の架け橋って気がした。


立花隆さんも、高く積み上げるっていうより、深く掘り下げるって世界が近いかもね。
LaStradaさんがブログで書いていたような、深く掘り下げて地価大水脈に何度も到達しているからこそ、彼は確信して掘り続けているんだろうね。

彼が、「取材して勉強して知識を深めている途中が一番楽しい。これで本とか出さなくていいなら、取材と勉強だけ一生してたいっていつも思う。」みたいな発言をしていて、高校生のときに聞いて、これこそ「自由な学び」の本質だなって思ったのを覚えている。そういう意味で、僕に独学を教えてくれたのは立花隆だった!


本との出会いも、人との出会いも、タイミングですね。偶然と必然が表裏一体で渾然一体となっていますね。
僕も、今はそんな日々に身を任せて最高に楽しんでいますよー。
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