ベンジャミン・リベット (著),下條信輔(訳)「マインド・タイム 脳と意識の時間」岩波書店 (2005/7/28)を読んだ。
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<内容(「MARC」データベースより)>
脳だけが知る真実! ヒトは実は「遅れて」生きている!
自由意志、心脳問題、無意識と意識など人間をめぐる究極の謎が明かされる。
40年に及ぶ研究による驚くべき発見の経緯と脳や意識をめぐるあらゆる仮説への明解な論評。
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この本には色々示唆的なことが多かった。
いちばん面白いと思ったのは、
0.55秒遅れでしか「現在」を認識できない、ということ。
何かを「意識」したとき、実はその0.55秒前にすでに「無意識」は感知し判断しているらしい。
からだ(無意識)で感じて、0.55秒遅れた後にあたま(意識)で感じる。
無意識的な自分(self=自己)の判断から、意識的な自分(ego=自我)の判断まで、0.55秒の遅れがある。
情報量にも大きい違いがあるらしい。
無意識的(self=自己)の判断には10の7乗(1000万)レベルのbit数で情報処理している。
対して、意識的(ego=自我)の判断は、せいぜい20bitくらいの情報処理能力で「意識化」している。
このことは、精神科医中井久夫先生の「こんなとき私はどうしてきたか (シリーズ ケアをひらく) 」医学書院 (2007/5/1)にも引用されていた記憶がある。
無意識的(self=自己)と意識(ego=自我)にはそれだけ圧倒的な能力の違いがあるにも関わらず、僕らはあたまや理性で「意識化」できたことだけが「現実」だと勘違いしやすい。
「意識化」できたことと「現実」(無意識は膨大なデータを感知している)とはまったく別物なのだ。
■
だからこそ、仏教やインド哲学では、この世は「幻(幻想、マーヤ、イリュージョン)」だと主張するのだろう。
無意識で感知した100万分の1程度しか、僕らは頭の中に「意識化」できない。
逆に言えば、僕らのあたまで「意識」した100万倍程度の叡智を、無意識やからだは知っている、ということにもなる。
実は、僕らは多くのことを知っている。単に「意識」で感知できていないだけ。
「意識」と「無意識」の橋渡しこそ、重要なキーになるのではないかと思う。それこそが、本当の知性につながるのだろう。
「意識化」への橋渡しに偏りが大きいと、知識は多いけれど偏見の強い人になる。
「意識化」への橋渡しがうまくいかないと、無意識に膨大な知性が内蔵されているのに、自分は頭が悪いと卑下することになる。
無意識への感受性の違いが、意識がどのように世界を作り上げるかの違いになる。
■
自分の頭の中に悪意や敵意や恐れや攻撃性を持つとき、それを意識せずともしないとも、膨大な負の情報量があたまに満ちているのだろう。
そのマイナスの情報を外に表現する時、プラスにねじって出すようになると(作り笑い、建前、嘘、虚栄心・・・)、その人は文字通り歪んでいく。
思い、想念、祈り、には力がある。それ自体にエネルギーがある。
スウェーデンボルグを含めた死後世界を実況中継した先人たちによると、死後(あの世)の世界では「思ったことがそのまま現実化(物質化)する」らしい。
これは、嘘をつけないということでもある。
本来、人間は嘘をついてはいけないのだと思う。
無意識(=思い)は、そのまま意識(=現実)になる。
この世では、無意識と意識が直結していないからこそ、いい面も悪い面もある。
「あの世」でも「この世」でも嘘をつかず生きていくために、「この世」という宇宙のミニチュア版の世界で練習をしているのかもしれない。
■bit
無意識(self=自己)は1000万bit、意識(ego=自我)は20bitの情報処理能力と書いた。
ビット (bit, b) は、コンピュータで使われる情報処理の尺度で、データの最小単位でもある。
英語の binary digit (2進数字)の略。
2進数の1けたのこと。"0"か"1"かで情報をやり取りする時の尺度。
以前書いたことをついでに再掲。
『bitと乱雑さ、生命と知ること』(2011-12-25)
■マクスウェルの悪魔
「熱力学第二法則」によると、この世界では基本的にエントロピーは増大する方向に動く。
エントロピーとは乱雑さ、のこと。
ほおっておくと、部屋はちらかる。
乱雑さや混沌さが拡大していく方向に流れていく。
掃除機で見た目では部屋がキレイになったように見えても、それは掃除機の中に「エントロピー(乱雑さ)」を凝縮させたことでもある。
物理学の思考実験に、「マクスウェルの悪魔」という話がある。
同じ温度の二つの箱。
温度は分子の乱雑さのこと。エントロピーが同じという事。
その仕切りに「マクスウェルの悪魔」という存在を想定する。
その悪魔は箱の中を動く早い分子を認識して、その早い分子だけを穴を開け閉めして隣の箱に移動する。
分子には直接手を触れず、平衡状態を変化させると、隣り合う二つの箱は温度が変わる。
二つの箱で温度が変わるとすれば、熱力学第二法則と矛盾する。
では、このマクスウェルの悪魔の振る舞いは、物理的にどういうものか。という疑問が生まれた。
その解答として、
物理学者のレオ・シラードは、
【分子の位置の情報を得る事が熱力学的エントロピーの減少を起こす】と言い、
IBMのランダウアーは
【分子の位置を忘れる事が熱力学的エントロピーの上昇を起こす】と言った。
*<ランダウアーの原理(Landauer's Principle)
・「情報を消去する」という非可逆な計算は熱力学的にも非可逆であり「熱力学的エントロピーの上昇(乱雑さが上昇する)を必要とする」ことを主張した原理(1961年)。
・1ビット(=1シャノン)の情報を失うと、環境での熱力学的エントロピーの上昇も最低でも1ビットとなる。
■「知る」行為
言い換えれば、何かを知る(「知識」や「概念」と創造する)ことは世界のエントロピーを減らしている(乱雑さを増やすのではなく、秩序をつくる)。
僕らが何かを忘れることは世界のエントロピーを増やしている(乱雑さを増やす)。
人間が脳内作業として行っている何気ない「知る」「忘れる」という行為は、エントロピーを介してこの宇宙の秩序へ影響を与えている。
■
意識(ego=自我)は、0.55秒以上持続しない刺激は知覚できない。
ただ、無意識(self=自己)はちゃんと知っている。
意識(ego=自我)は、0.55秒以上持続しない刺激は知覚できない。
でも、反応はできる。
この辺りが危機的状況の人間の行動や、一流スポーツ選手や武術のの行動を説明するのだと思う。
このことは、人間の理性や「超常現象」を考えるうえで非常に重要なポイントかもしれない。
人間能能力には足が速い人がいれば足が遅い人もいる。
同じように、意識と無意識のずれが0.55秒以内でも感知できる人もいるだろう。
他の人には意識できないものを「意識化」できる人もいる。それは、意識と無意識のアクセスがいいだけで、それほど驚くことでもない。
人間に「意識の転換」が起きるとき、それを「気づき」という。
awakening。覚醒。目覚め。
ブッダも「目覚めた人」という意味だった。
当時のインドにはシッダールタだけではなく、多くの「目覚めた人(ブッダ)」がいたらしい。
無意識(self=自己)がちゃんと知っていることを、意識化することを「気づき」とするならば、その道は灯台下暗しのようなもの。
誰にでも用意された道なのだと思う。
「無意識」はゴミ箱でもあり宝箱でもある。要は情報が詰まった「箱」。ゴミにするか宝にするかは扱い方次第だろう。
おそらく、すべての答えは、結局「自分(わたし)」の中に用意されているのだと思う。
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そういう示唆を、この本をツラツラ読んだ結論として感じたのでした。
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<内容(「MARC」データベースより)>
脳だけが知る真実! ヒトは実は「遅れて」生きている!
自由意志、心脳問題、無意識と意識など人間をめぐる究極の謎が明かされる。
40年に及ぶ研究による驚くべき発見の経緯と脳や意識をめぐるあらゆる仮説への明解な論評。
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この本には色々示唆的なことが多かった。
いちばん面白いと思ったのは、
0.55秒遅れでしか「現在」を認識できない、ということ。
何かを「意識」したとき、実はその0.55秒前にすでに「無意識」は感知し判断しているらしい。
からだ(無意識)で感じて、0.55秒遅れた後にあたま(意識)で感じる。
無意識的な自分(self=自己)の判断から、意識的な自分(ego=自我)の判断まで、0.55秒の遅れがある。
情報量にも大きい違いがあるらしい。
無意識的(self=自己)の判断には10の7乗(1000万)レベルのbit数で情報処理している。
対して、意識的(ego=自我)の判断は、せいぜい20bitくらいの情報処理能力で「意識化」している。
このことは、精神科医中井久夫先生の「こんなとき私はどうしてきたか (シリーズ ケアをひらく) 」医学書院 (2007/5/1)にも引用されていた記憶がある。
無意識的(self=自己)と意識(ego=自我)にはそれだけ圧倒的な能力の違いがあるにも関わらず、僕らはあたまや理性で「意識化」できたことだけが「現実」だと勘違いしやすい。
「意識化」できたことと「現実」(無意識は膨大なデータを感知している)とはまったく別物なのだ。
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だからこそ、仏教やインド哲学では、この世は「幻(幻想、マーヤ、イリュージョン)」だと主張するのだろう。
無意識で感知した100万分の1程度しか、僕らは頭の中に「意識化」できない。
逆に言えば、僕らのあたまで「意識」した100万倍程度の叡智を、無意識やからだは知っている、ということにもなる。
実は、僕らは多くのことを知っている。単に「意識」で感知できていないだけ。
「意識」と「無意識」の橋渡しこそ、重要なキーになるのではないかと思う。それこそが、本当の知性につながるのだろう。
「意識化」への橋渡しに偏りが大きいと、知識は多いけれど偏見の強い人になる。
「意識化」への橋渡しがうまくいかないと、無意識に膨大な知性が内蔵されているのに、自分は頭が悪いと卑下することになる。
無意識への感受性の違いが、意識がどのように世界を作り上げるかの違いになる。
■
自分の頭の中に悪意や敵意や恐れや攻撃性を持つとき、それを意識せずともしないとも、膨大な負の情報量があたまに満ちているのだろう。
そのマイナスの情報を外に表現する時、プラスにねじって出すようになると(作り笑い、建前、嘘、虚栄心・・・)、その人は文字通り歪んでいく。
思い、想念、祈り、には力がある。それ自体にエネルギーがある。
スウェーデンボルグを含めた死後世界を実況中継した先人たちによると、死後(あの世)の世界では「思ったことがそのまま現実化(物質化)する」らしい。
これは、嘘をつけないということでもある。
本来、人間は嘘をついてはいけないのだと思う。
無意識(=思い)は、そのまま意識(=現実)になる。
この世では、無意識と意識が直結していないからこそ、いい面も悪い面もある。
「あの世」でも「この世」でも嘘をつかず生きていくために、「この世」という宇宙のミニチュア版の世界で練習をしているのかもしれない。
■bit
無意識(self=自己)は1000万bit、意識(ego=自我)は20bitの情報処理能力と書いた。
ビット (bit, b) は、コンピュータで使われる情報処理の尺度で、データの最小単位でもある。
英語の binary digit (2進数字)の略。
2進数の1けたのこと。"0"か"1"かで情報をやり取りする時の尺度。
以前書いたことをついでに再掲。
『bitと乱雑さ、生命と知ること』(2011-12-25)
■マクスウェルの悪魔
「熱力学第二法則」によると、この世界では基本的にエントロピーは増大する方向に動く。
エントロピーとは乱雑さ、のこと。
ほおっておくと、部屋はちらかる。
乱雑さや混沌さが拡大していく方向に流れていく。
掃除機で見た目では部屋がキレイになったように見えても、それは掃除機の中に「エントロピー(乱雑さ)」を凝縮させたことでもある。
物理学の思考実験に、「マクスウェルの悪魔」という話がある。
同じ温度の二つの箱。
温度は分子の乱雑さのこと。エントロピーが同じという事。
その仕切りに「マクスウェルの悪魔」という存在を想定する。
その悪魔は箱の中を動く早い分子を認識して、その早い分子だけを穴を開け閉めして隣の箱に移動する。
分子には直接手を触れず、平衡状態を変化させると、隣り合う二つの箱は温度が変わる。
二つの箱で温度が変わるとすれば、熱力学第二法則と矛盾する。
では、このマクスウェルの悪魔の振る舞いは、物理的にどういうものか。という疑問が生まれた。
その解答として、
物理学者のレオ・シラードは、
【分子の位置の情報を得る事が熱力学的エントロピーの減少を起こす】と言い、
IBMのランダウアーは
【分子の位置を忘れる事が熱力学的エントロピーの上昇を起こす】と言った。
*<ランダウアーの原理(Landauer's Principle)
・「情報を消去する」という非可逆な計算は熱力学的にも非可逆であり「熱力学的エントロピーの上昇(乱雑さが上昇する)を必要とする」ことを主張した原理(1961年)。
・1ビット(=1シャノン)の情報を失うと、環境での熱力学的エントロピーの上昇も最低でも1ビットとなる。
■「知る」行為
言い換えれば、何かを知る(「知識」や「概念」と創造する)ことは世界のエントロピーを減らしている(乱雑さを増やすのではなく、秩序をつくる)。
僕らが何かを忘れることは世界のエントロピーを増やしている(乱雑さを増やす)。
人間が脳内作業として行っている何気ない「知る」「忘れる」という行為は、エントロピーを介してこの宇宙の秩序へ影響を与えている。
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意識(ego=自我)は、0.55秒以上持続しない刺激は知覚できない。
ただ、無意識(self=自己)はちゃんと知っている。
意識(ego=自我)は、0.55秒以上持続しない刺激は知覚できない。
でも、反応はできる。
この辺りが危機的状況の人間の行動や、一流スポーツ選手や武術のの行動を説明するのだと思う。
このことは、人間の理性や「超常現象」を考えるうえで非常に重要なポイントかもしれない。
人間能能力には足が速い人がいれば足が遅い人もいる。
同じように、意識と無意識のずれが0.55秒以内でも感知できる人もいるだろう。
他の人には意識できないものを「意識化」できる人もいる。それは、意識と無意識のアクセスがいいだけで、それほど驚くことでもない。
人間に「意識の転換」が起きるとき、それを「気づき」という。
awakening。覚醒。目覚め。
ブッダも「目覚めた人」という意味だった。
当時のインドにはシッダールタだけではなく、多くの「目覚めた人(ブッダ)」がいたらしい。
無意識(self=自己)がちゃんと知っていることを、意識化することを「気づき」とするならば、その道は灯台下暗しのようなもの。
誰にでも用意された道なのだと思う。
「無意識」はゴミ箱でもあり宝箱でもある。要は情報が詰まった「箱」。ゴミにするか宝にするかは扱い方次第だろう。
おそらく、すべての答えは、結局「自分(わたし)」の中に用意されているのだと思う。
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そういう示唆を、この本をツラツラ読んだ結論として感じたのでした。