日常

風の歌を聴け

2014-02-10 10:07:23 | 考え
先日は、すごい大雪にも関わらず、自分の話を聞きにすごくたくさんの方に来ていただいて感激だった。
相手の熱を受けて、こちらも思わず熱が入った。
最後には場所全体が共鳴しているのを感じた。


天気もまさに話のテーマにも近いところで、奇妙なシンクロニシティ―(共時性)を感じた。
客観的なデータも大事だけれど、主観(自分の考え、判断)を大切にするということ。
実際、雪の中に出てみると、体が喜んでいるのが分かった。
東京は幻想世界に包まれ、なんとも神秘的な空間へと変容していた。

自然の声として、からだやこころと関わる。
物事には何重もの意味がある。「あたま」の癖である二元論に振り回されてはいけない。物事はすべて中立的で両極的だ。
大雪も同じで、プラスの面とマイナスの面がある。あの東京の静寂さ。
「自然」を介した交流。共鳴・共振・共感。そこから生まれる対話。「あたま」を介する交流は、必ず説得になり、支配になり、洗脳になる・・。



人間はどうしても「あたま」で交流する傾向にある。しかも、「こころ」と「あたま」の間を分断する(元々はつながっていたにも関わらず。関係性を求めているのに関係性を切断するのはなんとも皮肉なことだ。)。
人によっては何個もドアをつけ、塗り固め、鉄格子をつけ、鍵をかける。そして、鍵をかけたことすら忘れるし、鍵がどこに行ったかもわからなくなる。

「あたま」は論理思考や計算や未来や過去のシュミレーションは得意だが、<・・すべきだ、・・しなければいけない>、という言語でしか動くことができない。それは自分の小さい価値体系の中に幽閉されるのと同じだ。
幽閉された「わたし」を救けに行く必要がある。


「こころ」と「からだ」と自然。
「あたま」が因果論に従うのに対して、「こころ」=「からだ」は共時的に働くのがなんとも面白い。

「こころ」と「からだ」の言語<・・したい、心地よい、心地よくない>に耳を傾け、それを一つの羅針盤にしないといけないのだろう。答えは自分の中にある。あとは思い出すだけだ。
そうしないと、人間という存在が果てしなく「自然」から遠い存在になる。自然否定は自己否定と地続きだから。

誰か偉大な人が偉大な思想を注入してくれるのではない。そんなものはどこにもなく、「あたま」が作り出した一つの蜃気楼だ。
答えはすでに自分の中にある。「こころ」や「からだ」は自然を介して宇宙の果てまでつながっているのだ。
人間の生命は、宇宙が作りだした最高傑作である。そんな生命で織りなされた人生は最高のアート作品である。多少の不具合は宇宙的な視点から見たら誤差範囲なのだ。
人間が生きて存在していると言う事は、すでにあらゆる存在は肯定されていると言う事だ。

自分の外を探すのではなく、自分の中にある。自分の中にある蔵の重い扉を開ける必要がある。そこはコスモスとつながっている。
自分の中にあることを思い出すだけだ。気づくだけだ。
単に忘れているだけ。自分が、自分で隠した。
だから、暗い森を抜けて、自分が自分で探しに行くのだ。


・・・・・・・・・

話しの導入は、まさに今の自分が課題にしているものをShareした。
自分が向かっている方向性を明らかにしてみた。

○「客観が優れていて主観が劣っている」というのは偏見。両方に等しく価値がある。
→「主観」を大切にする時代へ。「主観」と「客観」の共存。
○「すべては因果関係で説明できる」というのは偏見。因果論は「あたま」(脳)の癖に過ぎない。
→「共時性(Synchronicity)」(意味のある偶然の一致 meaningful coincidence)を大切にする時代へ。「因果論」と「共時性」の共存。「偽の因果論」からの脱却。
○「医者が患者を治す」というのは偏見。生命の調和(自己治癒、自然治癒)を補助するのが医療のプロの役目。
→「自然治癒」「自己治癒」を大切にする時代へ。その人なりの調和へ。役割を固定化せず自由になる。
○「病は排除すべきものだ。戦うべき敵だ」というのは偏見。病や症状は象徴言語であり比喩(メタファー)。
→病を先生、親友、自分自身からのメッセージ(暗号化)としてうまく付き合う時代へ。病は自然の声であり、体の声であり、心の声。風の唄を聞く。排除ではなく共存へ。意味を問い対話(dialogue)する。
○「死は怖い。死は忌み嫌うものだ」というのは偏見。「恐れ」は「無知」に由来する。
→「死」を「生」の中に位置づけていく時代へ。すべてのものに両面性があり、プラスの意味もマイナスの意味もある。「死」の肯定的な面を認める。「生」と「死」の共存。


この辺りのことが、今後もっと大切にされていくだろう。それは自分の課題でもある。
手垢がついていない適切な言葉を考え抜く必要がある。

「問い」の形に自分が立て直すことができれば、その「問い」は初めて自分にとっての問題としてテーブルの上に置かれる。



・・・・・・・・・

2次会などで話しても感じたけれど、深い部分ではどの分野でも根は同じなのだと感じた。
人間の浅い部分では欲望(欲望は、大抵は他者の欲望を受け継いでいるだけだ)に支配されるが、深い部分では欲求の声がある。それは自然の声でもある。だからこそ、自然を介して同じ問題を共有することができる。同じ土壌に人間は存在しているはずだ。人工的な鉢植えの中で幽閉されると、根っこが自然を介してつながることができない。


医療だけではなく、教育、芸術、経済、農業、生活、家庭・・・・色々な場の人と対話して、それぞれが似た構造の問題をはらんでいることが分かった。
僕らは解決すべき問題は深い部分で既に共有されている。
そういう共有できる問題が浮き彫りになっただけでもうれしかった。



人間は、実は「存在」しているだけで他者と交流している。
「あたま」のお喋りを止めさえすれば、それは必ず「からだ」や「こころ」が交流を感知している。それは、自分でやってみれば必ず分かるものだ。

人間は、たいてい「あたま」の中のお喋りが自分自身だと勘違いするけれど、「あたま」の中のお喋りを「聞いている」存在こそが自分自身なのだ。それを、自分は「こころ」や「からだ」と表現した。


・・・・・・・
ということを書きつづけるとまた第2ラウンドが続きそう・・・。


全部ひっくるめて。
皆様どうも有難うございました=!(^^




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村上春樹『ノルウェイの森
「生は死の対極として存在しているのではなく、その一部として存在している」

レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)『手記』
「充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす。」
「このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。」

ミヒャエル・エンデ(Michael Ende)『モモ
「もし人間が死とは何かを知っていたら、こわいとは思わなくなるだろうにね。
そして死を恐れないようになれば、生きる時間を人間からぬすむようなことは、だれにも出来なくなるはずだ。」

キューブラー・ロス(Elisabeth Kübler-Ross)『ライフレッスン』
「死にゆく人は自分が失うものとその価値を知っている。みずからを欺いているのは生きている人の方なのだ。」

プラトン(Plato)『パイドン -魂の不死について
「魂が自分自身だけで考察するときには、魂はかなたの世界へと、すなわち、純粋で、永遠で、不死で、同じように有るものの方へと、赴くのである。」

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4 コメント

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Unknown (スー)
2014-02-10 22:21:15
先日、亡くなられた船井先生
「死ぬことと寝ることにたいした違いはない」と言っておられたようです。
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共時的な……。 (スイッチ)
2014-02-13 11:32:31
言葉を発するのは稲葉さんだけど、
言葉を発せさせるのはそこにできた「場」かもしれない。

外に雪が降っているというのが
とても静かでいいなと感じました。
お話、聞きたかったなあ。(^O^)

返信する
共鳴 (まーこ)
2014-02-14 00:22:42
8日は、とても楽しい時間をありがとうございました。

>客観的なデータも大事だけれど、主観(自分の考え、判断)を大切にするということ。実際、雪の中に出てみると、体が喜んでいるのが分かった

同感!家族に「電車止まって到着できないかもよ。ホントに行く気?」と呆れられながらも、「なんとかなるって♪」と予定通り東京まで来て、本当に良かった!あれだけの雪があると、空気が全然違いますね。スキー場でも思いますが、雪って空気を清浄にする何かがあるような気がします。体の深い所まで清められる気がして、雪の中では深呼吸になります。
龍神に護られている人は、雨女&雨男になるそうです。ちょうど何十年ぶりかの大雪と重なるなんて、稲葉さんには相当でっかい龍神がっ(笑)!

会場、共鳴していましたね・・・。

>人間は、実は「存在」しているだけで他者と交流している。「あたま」のお喋りを止めさえすれば、それは必ず「からだ」や「こころ」が交流を感知している

>医療だけではなく、教育、芸術、経済、農業、生活、家庭・・・・色々な場の人と対話して、それぞれが似た構造の問題をはらんでいることが分かった。
僕らは解決すべき問題は深い部分で既に共有されている

本当にそうですね。
様々な職種の方のお話を、自分の仕事に還元できることは多いです。会場でもお伝えしましたが、偶然当日の朝にTVで見た「カリスマドッグトレーナー」のシーザーの話もまさにそう!取り組む課題がなんであれ、深く掘り下げていくと同じ話になるのですね。「職業に貴賎なし」をきれいごとと言う人もいますが、私は真実だと思う。

・シーザー語録(ウィキペディアより)

"犬についての問題ではないんです。いつも我々なんです。いつも飼い主なんです。犬が幸福に生活できる環境や事情を創造することは我々次第なんです。”

"いつも、穏やかで毅然としたエネルギーを犬に伝えてください。”

"母なる自然に逆らわない。"

"あなたがして欲しいことを言っても、犬はあなたの内側のものを拾い上げます。恐れや迷いは伝わってしまいます”

"平和、リラックス、信頼、尊敬、それが私のゴールです。"

"人間は、群れのリーダーが不安定であってもフォローする唯一の動物です。”


"私の手に負えない犬はいません。私は犬をリハビリし、人々を訓練します。I am the dog whisperer.(私は犬の心がわかります)。"


>「あたま」が因果論に従うのに対して、「こころ」=「からだ」は共時的に働くのがなんとも面白い

懇親会の終わりごろに、稲葉さんが座っている私の両肩に、ぽん、と手を置いて「まーこさん、ホントによく来てくれましたね!」と言ってくださった時、強烈なあたたかさが全身に伝わり、感動で泣きそうでした。それは「肩に手をぽん」の瞬間に起こったことだったので、「そうだ、これから私も、ご縁のある子ども達の体に、こんな風に気持ちを込めて手を置いてあげよう!」と心に誓いました。

講座第2ラウンドも、楽しみしています(^-^)
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シンクロニシティ― (いなば)
2014-02-14 22:55:27
>スー様
確かに、精神世界の巨匠である船井先生、亡くなられましたね。。合掌。

エジプトでも「寝ることは死ぬこと」と考えていたようです。人間は不易流行ですね。

>スイッチさん
そうですね。場が醸成されると、その場から言わされる感じはありますよね。それは霊的なものというより、自分は自然と表現します。自然そのものが調和的な世界だからです。外に雪がシンシンと降っていて、その静寂さがまたとてもよかったです。
しかも、報道では「不要な外出はお避け下さい」と出ていた日でしたからねぇ。みなさん、「不要ではない」と判断していただけたようで・・(^^ (そもそも、用事なんてそもそもすべて不要なものなんじゃないか、とさえ思いますが・・・)


自分の話なんかより、スイッチさんが小学生相手に話してるって言ってた内容を自分も聞きに行きたいですー。(^^


>まーこさん
8日は来ていただき有難うございました!しかもはるばる名古屋から・・・感激です。


そうですよねー。
雪は浄化の力すごいですよね。なんかすべてを許して洗い流してくれるような・・・そういう沈黙の力がありますよね。
雨上がりの空気感もいつも好きですし。やはり水は偉大です。水が空気、液体、氷・・・っていう風に変容していくのは本当に神秘ですよね。

龍神さま。ときどき霊能力者に言われますー。(^^
奈良で神社めぐりしてた時も、不思議なおじさんと一緒に、八大龍王弁財天大神 龍神神社ってとこで、密教のゴマだき見ましたしね。

自分が住んでる上野にも不忍池弁天堂(弁財天)がいますからねぇ。


・・・
カリスマドッグトレーナー」のシーザーさんの話、まさにそうですね!これまたシンクロニシティ―!

ほんと、触れる、って大事ですよね。
皮膚は接触と隔離という二つの相反する性質を含むテーマですが、皮膚によって触れることもできるし、相手と分離することもできる。そういう相矛盾する性質を最初から持っているわけで。
ヒーリングでも、手当でも、やはり触れるのが基本ですよね。

今後ともよろしくお願いします!ほんと大雪の中ありがとうございました!(^^
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