日常

高橋巌・荒俣宏「神秘学オデッセイ―精神史の解読」

2014-06-20 21:32:56 | 
高橋巌さん、荒俣宏さんの対談「神秘学オデッセイ―精神史の解読」平河出版社 (1991)を読みました。

ワタリウム美術館の「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」にて、高橋巌さんと坂口恭平くんの対談があり、そこで放たれる高橋巌さんご本人のオーラ(アウラ)を受信し圧倒され、それでなんとなくこの本(神保町でむかし買ったのが突然本棚から落ちてきた・・・)を読み始めました。
そしたらえらく面白く、一気に読み終えてしまったわけです。
ワタリウム美術館「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(2014-05-12)




高橋巌(いわお)先生は、日本のシュタイナー研究の第一人者です。慶應義塾大学文学部の教授という職業にもつかれながら、シュタイナーのような神秘家含め多面的な顔を持つ人間の研究を扱うということは大変な逆風もあったことだと思いますが、高橋先生がおられなければ、シュタイナーは日本に正しく伝えられなかったのではないかとも思います。

高橋先生はロマン派美学、ロマン主義を学ぶ過程でシュタイナーに出会います。


ロマン主義(Romanticism)は、18世紀末から19世紀前半のヨーロッパで起きた芸術思想運動です。
もともとは、ヨーロッパでの知性や合理性への偏りに対するアンチテーゼとして、感情や非合理性の重要性を唄いながら起こった運動。<特殊が普遍を象徴する>と言われます。

シェリングのドイツ・ロマン主義が、フランスにも伝播。その時から芸術家の内面や精神性を強く押し出した芸術作品にも広く使われる言葉になりました。

大まかにロマン主義の流れとされる画家や思想家としては下記のような人がいます。
自分は特にウイリアム・ブレイク(William Blake)が大好きです。


・ウイリアム・ブレイク William Blake (1757-1827)
・カスパル・ダーヴィド・フリードリッヒ Caspar David Friedrich (1774-1840)
・フランチェスコ・アイエツ Francesco Hayez (1791-1882)
・フュースリ Henry Fuseli (1741-1825)

・ジョセフ・ライト Joseph Wright of Derby (1734-1797)
・ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー  Joseph Mallord William Turner(1775-1851) ・ジョン・カンスタブル John Constable (1776-1837)
・サミュエル・パーマー Samuel Palmer (1805-81)

・ジェリコー  Theodore Gericault (1791-1824)
・ドラロッシュ Paul Delaroche (1797-1856)
・ウージェーヌ・ドラクロワ  Eugene Delacroix (1798-1863)
・ギュスターブ・ドレ Gustave Dore  (1832-1883)






この本では冒頭からフリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller、1759-1805年)の紹介から始まりました。

シラーは、ドイツの詩人、歴史学者、劇作家、思想家。ゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者であり、ドイツ神秘主義でもあります。

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シラー『ユリウスの神智学(テオゾフィー・デス・ユリウス)』
「宇宙の霊的観念の総体を神智学と呼び、あらゆる存在に神の火が宿る。」
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という記述があり、ここで使われた「神智学」という言葉が、後のシュタイナーが使用した神智学という語源になっているのではないか、と。


シラーの詩にベートーヴェンが曲を書いたものが『第九 歓喜の歌』。(シラーの詩集を愛読していたらしい。)
この辺りを個人的に調べてみるととても面白く、現代に通じる大事な問題がたくさん含まれていると思いました。


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ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調『合唱付』作品125 第4楽章
「歓喜に寄せて」

おお友よ、このような旋律ではない!
もっと心地よいものを歌おうではないか
もっと喜びに満ち溢れるものを
(ベートーヴェン作詞)

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
(1803年改稿)
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
(1785年初稿:
時流の刀が切り離したものを
物乞いらは君主らの兄弟となる)
汝の柔らかな翼が留まる所で

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

すべての存在は
自然の乳房から歓喜を飲み
すべての善人もすべての悪人も
薔薇の路をたどる

自然は口づけと葡萄酒と 
死の試練を受けた友を与えてくれた
快楽は虫けらのような者にも与えられ
智天使ケルビムは神の前に立つ

神の壮麗な計画により
太陽が喜ばしく天空を駆け巡るように
兄弟よ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
愛する父がおられるのだ

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう
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*日本ではじめて合唱つきで演奏したのは、1918年6月1日、第一次世界大戦中に中国の青島で日本軍の捕虜となり、徳島県板東町(現・鳴門市)の板東俘虜収容所に収容されたドイツ兵たち(当時青島はドイツの軍事根拠地であり、日本が第一次世界大戦に連合軍側で参戦すると、これを占領した)。
*ドイツ人捕虜たちは、収容所長の松江豊寿大佐の人道的扱いによって自由に音楽を楽しんでいた。このエピソードは『バルトの楽園』として2006年に出目昌伸により映画化された。
*ベートーヴェンの『交響曲第9番』第4楽章(主題『歓喜の歌』)は、フリーメイソンのシラーによってフリーメイソンリーの儀式のために書かれた1785年の詩に由来する。



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(ここからはこの著作を越えた自分の記述。)

カント(1724-1804)、シラー(1759-1805)、ベートーヴェン(1770-1827)をつなぐもの。
それは、彼らの時代にあるフランス革命(1789)がポイントになっているようです。

フランス革命は自由・平等・博愛を唄いました。絶対王政からの解放。

確かにその理念は高潔で尊いものでしたが、時代そのものは秩序をなくし混迷していきます。
革命の名の元に殺戮や復讐が正当化された時代です。
理性の名のもとに近代合理主義がおこり、産業革命が起きましたが、その光に対する影として失われるものも多かった。

その混乱の時代を乗り越える哲学として、カントは『永遠平和』の精神を説いたようなのです。

●カント、中山元(訳)『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』(光文社古典新訳文庫) (2006/9/7)
●Immanuel Kant、宇都宮芳明(訳)『永遠平和のために』(岩波文庫) (1985/1/16)





カントは「自由」を説きます。
この自由に対して、シラーもベートーヴェンも感化されました。

カントの定言命法の中に
「すべての理性的存在者は、自分や他人を単に手段として扱ってはならず、つねに同時に目的自体として扱わねばならない」
というものがあります。
これはどういうことなのでしょうか。

カントによると、
人間は弱い存在である。だから、他人を<手段>として使い、自分の欲望を満たそうとする。
だが、人間にはみなひとしく尊厳がある。欲望を満たす手段として相手を使ってはいけない。
手段としてではなく、何かを果たす<目的>として他者と共鳴しなくてはならない。
これこそが人類普遍の<道徳法則>であり、この法則にしたがうように自分を律することこそが、真の「自由」なのだ。
と説いたのです。

カントは、フランス革命・政治革命という<外なる自由>が相手を支配するために使われることに意義を唱え、精神革命としての<内なる自由>を説きました。
これは、現代にも相通じるテーマだと思います。そのことにこそ、シラーもベートーヴェンも、共鳴したのです。

カントは『永遠平和のために』(1795)で、政治解決の手段としての戦争を否定し、「常備軍の撤廃」と「国際連合の樹立」を提唱しました。
そのことに影響を受け、シラーも「歓喜に寄せて」を改訂しました。

具体的には、「貧者が王族の同胞となる」という部分を「すべての人間はみな兄弟となる」へと変えました。
ひとつの国が政治革命を起こす言葉から(それが結果として暴力につながるという自己矛盾を抱えたため)、全人類が内なる自由を獲得する精神革命をうながす詩へと次元転換したのです。
内なる自由に目覚め、人類は一つなって永遠平和を目指そうではないか。
この理想に、シラーもベートーヴェンも共鳴したのです。


カントは著作『一般自然史と天体の理論』の中で宇宙論を論じています。
そこでは、『宇宙全体が本来<平和>を意志している』と述べています。

カントの墓碑には
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「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない」
(『実践理性批判』)
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が刻まれています。

マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙 人体)の照応。
このことに影響を受けたベートーヴェンは、「輝やける天空」という言葉を「歓喜に寄せて」の中で何度も登場させ、「すべての人間はみな兄弟となる」というメッセージを重視しました。



カントの哲学はシラーやベートーヴェンに霊感を与えました。
そして、そのカントやシラーたベートーヴェンが伝えるエッセンスは、現代にこそ、本当の意味で実践して実現する意味があるのだと思いますね。




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カント『実践理性批判』
「およそ実質的な実践的原理は、がんらい実質的なものとして、すべて同一種類に属し、自愛あるいは自分の幸福という普遍的原理のもとに総括される。」
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カント『実践理性批判』
「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ。」
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カント『実践理性批判』
「このような無限への進行は、同一の理性的存在者の実在と人格性とが無限に存続すること(我々は、これを心の不死と名づける)を前提してのみ可能である。
それだからまた最高善は、心(Seele)の不死を前提してのみ実践的に可能となる。
従ってまた心の不死は、道徳的法則と不可分離的に結びついているものとして、純粋実践理性の要請である。」
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カント『実践理性批判』
「最高善を達成するために努力せねばならないとすると、道徳性と幸福とのあいだの連関が必然的なものとして要請されるのである。
換言すれば、我々は、最高善の促進に努むべきである(それだから最高善は、ぜひとも可能でなければならない)。
そこでまたこの連関の根拠、すなわち幸福と道徳性とを厳密に一致せしめる根拠を含むような原因 ―換言すれば、全自然の原因であってしかも自然とは異なるような原因〔神〕の現実的存在が要請されるのである。」
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ベートーヴェン「An die Freude(歓喜に寄せて)」(第九交響曲合唱)

美しい神なる閃光(ひらめき)は大きな歓喜だ。
天国の楽園からの娘は大きな歓喜だ。
神よ! 
我々は貴方様の天国のような聖域に、
情熱に飲まれたように踏み入る。

貴方様の神的な不思議な力は、
今の流行や風習などで
強く引き裂かれたものを再び結びつけ、
貴方様の神なるやさしい翼の触れる所では、
すべての人間がみんな兄弟姉妹になる。
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カントの記載が思わず長くなりました・・・・(^^;

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(ここから、高橋巌、荒俣宏「神秘学オデッセイ―精神史の解読」平河出版社 (1991)に戻ります。)

ドイツ・ロマン派とヘルマン・ヘッセの関係。 

ヘッセはヘルダーリン、シラー、ヘーゲルと同じシュワーベン出身(中部ドイツ)
当時そこで商売をしていたのがタバコ会社社長のエミール・モルト夫妻で、シュタイナー学校設立の人。ヘッセの友人であり、そこでドイツ・ロマン派との関係があった。

ベートーヴェンは、ロマン・ロランの記述によると、第九を古代ギリシアの秘儀参入プロセスに随って構成したとのこと。そのことで、クライマックスをシラーの詩にした。


ゲーテとルンゲの色彩論が興味深い。

ゲーテ:青と黄が二原色で、両者の内発的運動が色彩を生み出す。赤を中心に六色を配置。色彩環。
ルンゲ:球体の頂点に白と黒。赤道上に赤、青、黄の三色。中心に灰色の色彩球。

いづれも反ニュートン的立場にある色彩論。
光だけではなく闇も色彩体験として重要視した。
 


ルンゲの色彩論はヤコブ・ベーメにつながる。
高橋先生は、美術はルンゲとフリードリヒ。文学はヘッセとノヴァーリスに関心を持ったとのこと。
ちなみに、ノヴァーリス「ザイスの学徒」では、イシスの秘儀の学院がテーマ。宇宙本源は自己の内に宿るとする。


ヤーコプ・ベーメは、パラケルスス・カバラの融合。
ヘーゲルは、彼を弁証法の祖として、ドイツで初めての哲学者と称した。


エドガー・アラン・ポーは、詩の目的は『美』とした。
天上の美に対する憧れを謳うのが詩である。
ユリイカとは、重力宇宙と言語宇宙を反転させること。

そういう流れの中でルドルフ・シュタイナーがいる。
魂の内的衝動にこそ生の本質へ導く鍵がある。
それは愛と自由の地上における実現である。
だからこそ、魂の内的衝動を追求した。




魂の基本的な本質は共感と反感である。
魂は死後、この世でやるべきことを振り返り、猛烈に苦しむ。
強烈な願いと、肉体がなくもはや不可能であるという現実の板挟みにあうらしい。
それが、神智学における魂の世界。

魂の世界では、物質的なものへの志向が浄化され、すべての反感作用は共感の力で克服される。
魂は魂界全体の中に融合し、利己的傾向は消え、霊が魂を通じて解放される。

三角形(個体の自由)と四角形(共同体的な生き方)が合同である事を示す。

神秘学への要求とは、どこまでも目覚めていきたい・全体が調和している美しさを感じたい。ということにある。


井筒俊彦は、『神秘哲学』の中で、
究極的な「一者」との合一を目指す神秘主義的な方向と同時に、その体験のロゴス化を図ることで「多者」に関わる哲学的な方向がある。と書いた。
そこには両方向の運動が同時に内在してあり、それこそがギリシア哲学の発展史である、と。




菜食主義者の歴史を調べると面白い。
中国の革命、西洋のピュタゴラス学派、ニュートンなどの流れから、18世紀のルソーへ収斂していく「自然へ帰れ」。
菜食主義を通じた自然回帰の運動でもある。


イギリスのアンナ・キングズフォードは、動物愛護によりロンドンでヘルメティック・ソサイティを主催した。 予知夢を見ることが多く、「夢と夢語り」という著作もあるらしい。

ゴールデン・ドーンのマグレガー・メイザーズに魔術を学び、当時の医学界の重鎮であるフランスのベルナール、パスツールなど、パリ医学者の動物実験に反対し、魔術で呪い殺そうとした(!?)とのこと。
これも表には出てこない不思議な裏の歴史の一つだろうと思う。




5世紀の中国の革命思想としての白蓮教。後に羅教となる。
その思想は、紅陽教、白陽教、八卦教、太平天国・・・とつながる。
そこには菜食主義と女性の参加を許すという新しい思想的な特徴があった。

張角という黄巾の乱の首領は、「食菜事魔」と言い、植物の魔力を強調した。

中国の弥勒下生(げしょう)信仰は、日本中世の一向一揆、法華一揆とも同時代的に対応している。不思議な共時性。


19世紀に中国で太平天国の運動が起き、同時に西ではレヴィ、ゴールデン・ドーン、神智学の社会改革運動が起きていた。

太平天国では、洪秀全は上帝をヤーヴェとみなし、弥勒=上帝=ヤハウェ、道教・仏教・キリスト教大連合の革命思想という全宗教を取り込んだ人類的な大きな動きだった。

千年王国運動は、ダニエル書、第四エズラ書、黙示録に記載がある。
弥勒や明王が新しい支配を確立する。という思想へとつながった。


アレスタ・クロウリーという現代の魔術師は20世紀に登場した。

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ジミーペイジ
「クロウリーは20世紀の生んだ天才の一人なのに誤解されてばかりいる。
彼の主張は結局、個人の完全な解放と自分自身の存在理由をはっきり位置づけることにあった。
要するに、自分のしたいことをはっきりさせるってことだ。
自分の自由な意思を尊重した上で、自分の存在と位置を見つめ直す事が、クヨクヨせずに人生を楽しく生きるコツだということだ。簡単な考え方だろ。」
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目に見えないものはオカルトと呼ばれた。
そのことを何とかわかりやすい形で医療にも応用していこうとする動きも生まれた。

西洋では、力動精神医、メスメリズム(催眠療法)、バイオリズム、オド(ラインバッハ、人体オーラやライヒのオルゴン・エネルギー)などの概念が生まれ、フロイト・ユング・アドラーのような心理学への動きとつながる。




シュタイナーは、人間存在を霊・魂・転生の観点からとらえた。

同時にゲーテ自然学とドイツ観念論を通じ、近代の認識批判的立場においても神秘学を受容可能なものに再構築しようとした。

19世紀には、自然科学の反自然的な動きの反動として、古い瞑想型の神秘主義が復興した。

テクノロジー主体のルネサンス型魔術が科学的方法に吸収されたため、残るはエジプト密儀などの儀式魔術の復活。
それは個人の心理面における解放という考え。

儀式魔術の国家規模の拡大が、ナチに通じる政治運動とオカルティズムの結託につながってしまった。


ロシアは20世紀そのものを神秘化した国である。
イェイツは薔薇十字的啓蒙と呼ぶ。
行、スクール、グルジェフ、ニコライ・リョーリフ、ブラヴァッキーへとつながる。




シュタイナーは、
輪廻転生を巡る新しい思想を説いた。
それは愛と自由の問題に関わる。

物質や肉体の次元でどうにもならなかった矛盾を、魂の新しい把握を通して昇華・止揚しようとした。



フランス革命で、混乱したフランスを再統合する試みの一つとしても神秘学は出てきた。

その先駆けがナウンドルフ事件。正当的な支配者を提示する問題。
ユイスマンス「彼方」という小説のテーマでもある。
ナウンドルフ(時計職人の神秘主義者)がルイ17世である、とする主張。
(奇しくも、日本にも熊沢天皇という南朝後醍醐天皇の末裔と主張する人物が出た。)




新プラトン主義であるプロティノスの師匠はアンモニオス・ザッカス。新プラトン派の創始者とされる。ザッカスは釈迦族でインド人の末裔であるとされる。そこにギリシア哲学とインド哲学の融合があったのかもしれない。

プロティノスは、プラトンの霊魂一元論を発展させ、存在を善一なる「一者」からの流出の過程ととらえた。
「一者」との合一こそ真の認識に他ならないと説く。
スピノザ、ヘーゲル。ヴィトゲンシュタインへとつながる。




ゲーテの色彩論
真善美が調和した有機的自然観の回復

ゲーテは、動植物の普遍的全体像を原型とした。
すべては原型のメタモルフォーゼとした。
(頭蓋骨は椎骨のメタモルフォーゼである。)

ヘッケルも、胎児と進化には関連があると主張。
(→三木成夫先生の考えにつながる!)




シュタイナーの歴史観は7つの文化期としてとらえたもの。
プラトン周期2160年。

気体から固体は、原子の濃密化のプロセス。
それは、シュタイナーの霊界層の考えと同じ。
(肉体、エーテル体、アストラル体・・・)


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ありとあらゆるジャンルに万華鏡のように展開していくこの本は、ものすごく知的好奇心やInspirationを受ける素晴らしい本でした。
新本はないようなので、是非古本屋でお求めくださいませ。