うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

荒野な末路

2021年08月13日 | ことばを巡る色色
最近のwebニュースの記事を読んでいると、(悲惨なおひとりさまの末路)(田舎暮らしの末路)(家を売った人の末路)というようなものが結構ある。そんな末路を迎えないためにあーしましょう、こーしましょう、ってことなんだろうが、webニュースの書き手たちにはどうしてこういうイメージを持ってしまっているのだろうか。そもそもこういうものを書いてる人々はどんな人だろう。
書き手は、(末路)の年齢に近くはない、若年壮年の人と推測する。その人たちにとって晩年は地雷だらけの、危険をくぐり抜けねば安全地帯にたどり着けぬ、至る所、荒野・戦地であるのだろうか。殺伐とした人生の砂漠を、リスクを避けつつ戦い抜かねばならぬというイメージなのだろうか。

おひとりさま、田舎暮らし、家を売る、などなどを決めた人は早計だったかもしれぬが、それまでとは違う、人が良しとするのとは違う道を選ぶことを楽しんだはずだ。甘い考えだったかもしれぬが、覚悟が足りなかったかもしれぬが、それはそんなに悲惨で責められるべきことなのか。決まりきった道を危険を避けて生きることがそんなに責任感のある賢明な、人としてあるべき生き方なのか。「ほら、みたことか」「人生そんなに甘くないんだよ」 と言いたい方が貧しい心ではないのか。
確かにあの世代の人たちは浅慮でおっちょこちょいなとこがある。若い人たちが「そもそも我々には売る家もないし」「田舎暮らしを支える年金もあてにできんし」という気持ちを持って彼らを見、羨望が翻って憎悪となるのは、不幸な分断である。
もう一つ思うこと。最近のネットニュース。請負とか、ニュース記事を売るっていう形態が多くなっている。そしてそれらは、多様な状況の人への想像に欠けているものが多い。キャッチーなニュースが消費され、読み捨てられていく。それに慣れることは知らぬ間に心を損なうことであると思う。
コメント
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