見逃し配信で「イチケイのカラス」を見る。なんだか、このお話知ってるぞ、と思った。読んだことのある漫画が原作だった。竹野内豊(愛新覚羅溥儀がよかった)黒木華(みをつくし料理帖が好き)、そして小日向さん。マンガのイメージとはちょっと違うが、役者はよい。少し見て、これって、フジテレビ制作なんじゃないかと思った。だから、どんなところでフジっぽいと思ったのか考えてみた。映像が全体に明るくて軽い色調ってのもあるが、一番は、BGMだろう。偽証を余儀なくされた母の独白に、それっぽいBGMがずっと流れる。ほら、ここは感動してじっくり聞くとこですよ、ってことなんだろう。それが、残念ながらフジテレビっぽさを作っている。視聴者はそんな、それらしい音楽を流されなくても、大事なセリフはちゃんと聞くし、感動するとこでは教えられなくてもちゃんと感動する。フジテレビは、教えてやらなければ、衆愚の視聴者はわからないとでも思っているのだろうか。それとも、感動してくれるかどうか自信がないから、BGM を流してしまうのだろうか。たとえば、NHKやTBSは こういうBGM の使い方をしない。テレビの人達は、いつからこうなってしまったのだろうか。良いとこでちゃんと感動してくれるかどうかわからないから音楽流しとけっていう発想は乱暴で、他者をなめている。どうしてドラマはこうなっちゃったんだろうか。独断偏見なのだろうが、民放テレビ局、大手広告代理店の社員に有名私大出身者で、良家の子女が多いことが関係しているのではなかろうか。局や広告代理店にとっては、能力より良家とのコネクションの方が商売に直結する。良家がスポンサーになってくれる、良家の一員として身柄の保証がある方が、確かに安パイであろう。大学進学が付属高校からであったり、2.3の受験科目であったりした人にとって、人生はどんなものか。乱暴で舐めたものとなりはしないのか、それがその人たちの作るドラマに反映してはいないのか。
しかし、人の世というものは、もっと恐ろしいものだ。電車の隣にいる冴えないおじさんがノーベル賞候補だったりすることだってあるのだ。そんな渡世の恐ろしさを想像できない人によるマスメディアは、人の世からおいていかれるというのも、いたしかたないことであろう。
しかし、人の世というものは、もっと恐ろしいものだ。電車の隣にいる冴えないおじさんがノーベル賞候補だったりすることだってあるのだ。そんな渡世の恐ろしさを想像できない人によるマスメディアは、人の世からおいていかれるというのも、いたしかたないことであろう。