祭日は各々の意味を持つ。5月3日は憲法記念日。9条を守る会の催しがあり、私も出かけた。しかし、私にそのイデオロギーが在るわけでなく、門外の徒である。脳はたまにかき混ぜてやらぬとならぬ。日常でないものを見たり聴いたりしないと、固まってしまう。なんて、理由付けもできなくはないのだけれど、本当は、雨宮処凛という人の話を聴いてみたかったのだ。白黒のゴスロリでやってきたその人は、しごく至極、真っ当な考えを持つ人だと私には思えた。彼女はゴスロリを「戦闘」服のようなものだと表現したけれど、それで身を固めることにより、彼女は、インディーズ系デモの巫女となるのだろう。「時給を上げろ」「マック難民を追い出すな」「マックに住まわせろ」というアジテーションは、祝祭の巫女のようだと、思えた。人には祝祭が必要で、祝祭には巫女が不可欠ということだ。巫女が居ることにより、依代がそこに立つ。絶対の神ではないかもしれないけれど、どこかに宿る誰かの神が、彼女を柱とするのだ。彼女がイデオロギーを持っているか、それが絶対に正しいかどうかは、むしろ問題ではない。そのような神が必要とされ、人がその言葉を聞きたがっていることが問題なのだ。その祝祭に参加したいと思っていることが問題なのだ。祭のための祭である。プレカリアート、フリーター、非正規雇用、なんと名づけてもよい。閉塞の冬を啓くのは、岩戸前の祭であり、それが猥雑であろうとなんであろうと、まずは踊ってみなければならぬのであろう。グローバルな経済社会で働き生きていくという現実の中にいるのだから。日本人の10分の1の収入の国の人々が競合他社である世の中で、閉塞にうなだれるだけでは駄目なのだ。
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