で、式典での教職員の「日の丸・君が代」の「起立・斉唱」は「職務」かどうか、ですね。
「職務」だったら、そりゃ「起立・斉唱」せなあきまへん。「思想・良心の自由」だと言うて、算数・国語の授業中、着席して黙ってたらどないなりますか(笑)
これでは学校教育が成立しませんね。でも、「日の丸・君が代」に「不起立・不斉唱」の先生方は、熱心に授業、生活指導、特別活動等の勤務に励んでおられます。
「日の丸・君が代」という「国旗・国歌」は、軍国主義と天皇主権の象徴だったという面もありますね。もちろん、そうではない面もあります。
だから、国民主権と平和主義を教育する学校の厳粛な式典において、「日の丸・君が代」へ「起立・斉唱」することは、果たして教育活動なのか、という問題が出るのです。
「不起立・不斉唱」の教員は国民主権・平和主義の教育活動を「思想・良心」としているわけで、何も式典をぶち壊す動機で「不起立・不斉唱」ではないわけです。
現に、式典は粛々と進行するわけですね。そこで、子供らは、「不起立・不斉唱」の先生がたを見て、保護者に聞くわけです。
「なんで、先生は起立・斉唱しないの?」と。
大人の説明責任ですね。そこで、大人は子供に偏見を植え付けてはなりません。
「日の丸・君が代」には、軍国主義と天皇主権を象徴した時代がある。もちろん、今はそれぞれ色々な見方がある。けれども、「日の丸・君が代」は軍国主義と天皇主権のシンボルだった事実がある。そうではない事実もある。
そして、学校教育は国民主権と平和主義を体得する場所だから、「不起立・不斉唱」の先生は子供らの式典に「二の丸・君が代」はふさわしくないと「思想・良心」している。そういう態度も社会には存在するんや、と。
だから、「日の丸・君が代」への「不起立・不斉唱」は学校における教職員の教育活動、すなわち職務行為として一定の合理性・社会性を持つわけでして、これを一律に職務命令で従わせるということは、憲法違反になるわけです。
ま、「起立・斉唱」を職務命令で「強要・強制」することなく、マークさんの言うように「議論を重ねて」いくことが妥当なところではないでしょうか。
追記:「実は私、国歌は君が代でなくてもいいと思っているんです。皆が国歌として馴染めるものであれば」
いやあ、僕も「モーニング娘の歌謡曲」で入学式・卒業式でいいとおもいますよ。
要するに、学校における式典というものの社会性というか教育性がどこにあるかというとですね、新しく入学してくる人たちをお迎えして歓迎しあう会にすればよいわけですし、卒業して行く人たちを暖かく送り出して、別れを惜しむ心を育てることだと思うんです。
だから、そこに「国歌」だとか「国旗」は不要だと思うのですね。しかも、今は自民党と公明党が権力的に上から介入してくるわけでして、ぶち壊しやなと僕は感じています。
そもそも、自民党と公明党による学習指導要領を道具とする受験競争・教育行政の介入自体が、保護者と教職員と子供の触れ合いと暖かい学習活動・社会活動に対して、不要というか、いらぬおせっかい、干渉ではないでしょうか。
現場の教職員の先生たちは勤務態度不良どころか子供らと共に毎日、学校で気苦労を重ね、がんばっておられるのではないでしょうか。
もっとも、公務・民間問わず、犯罪・違法行為を働くものがいることは事実ですが、公務員バッシングの根拠にはならないでしょう。
社会全体の問題ではないでしょうか。
労働条件については民間の経営者団体が極悪だから、むちゃくちゃな労働条件となっているのですね。
公務員が悪いという批判はあたらないのではないでしょうか。
むしろ、公務員の労働組合と民間の労働組合が団結して、民間の労働者の労働条件を底上げしていく運動を民間の経営者団体へ向けて行くことがルールある公正な資本主義社会を実現する具体的な方法ではないではないでしょうか。
「職務」だったら、そりゃ「起立・斉唱」せなあきまへん。「思想・良心の自由」だと言うて、算数・国語の授業中、着席して黙ってたらどないなりますか(笑)
これでは学校教育が成立しませんね。でも、「日の丸・君が代」に「不起立・不斉唱」の先生方は、熱心に授業、生活指導、特別活動等の勤務に励んでおられます。
「日の丸・君が代」という「国旗・国歌」は、軍国主義と天皇主権の象徴だったという面もありますね。もちろん、そうではない面もあります。
だから、国民主権と平和主義を教育する学校の厳粛な式典において、「日の丸・君が代」へ「起立・斉唱」することは、果たして教育活動なのか、という問題が出るのです。
「不起立・不斉唱」の教員は国民主権・平和主義の教育活動を「思想・良心」としているわけで、何も式典をぶち壊す動機で「不起立・不斉唱」ではないわけです。
現に、式典は粛々と進行するわけですね。そこで、子供らは、「不起立・不斉唱」の先生がたを見て、保護者に聞くわけです。
「なんで、先生は起立・斉唱しないの?」と。
大人の説明責任ですね。そこで、大人は子供に偏見を植え付けてはなりません。
「日の丸・君が代」には、軍国主義と天皇主権を象徴した時代がある。もちろん、今はそれぞれ色々な見方がある。けれども、「日の丸・君が代」は軍国主義と天皇主権のシンボルだった事実がある。そうではない事実もある。
そして、学校教育は国民主権と平和主義を体得する場所だから、「不起立・不斉唱」の先生は子供らの式典に「二の丸・君が代」はふさわしくないと「思想・良心」している。そういう態度も社会には存在するんや、と。
だから、「日の丸・君が代」への「不起立・不斉唱」は学校における教職員の教育活動、すなわち職務行為として一定の合理性・社会性を持つわけでして、これを一律に職務命令で従わせるということは、憲法違反になるわけです。
ま、「起立・斉唱」を職務命令で「強要・強制」することなく、マークさんの言うように「議論を重ねて」いくことが妥当なところではないでしょうか。
追記:「実は私、国歌は君が代でなくてもいいと思っているんです。皆が国歌として馴染めるものであれば」
いやあ、僕も「モーニング娘の歌謡曲」で入学式・卒業式でいいとおもいますよ。
要するに、学校における式典というものの社会性というか教育性がどこにあるかというとですね、新しく入学してくる人たちをお迎えして歓迎しあう会にすればよいわけですし、卒業して行く人たちを暖かく送り出して、別れを惜しむ心を育てることだと思うんです。
だから、そこに「国歌」だとか「国旗」は不要だと思うのですね。しかも、今は自民党と公明党が権力的に上から介入してくるわけでして、ぶち壊しやなと僕は感じています。
そもそも、自民党と公明党による学習指導要領を道具とする受験競争・教育行政の介入自体が、保護者と教職員と子供の触れ合いと暖かい学習活動・社会活動に対して、不要というか、いらぬおせっかい、干渉ではないでしょうか。
現場の教職員の先生たちは勤務態度不良どころか子供らと共に毎日、学校で気苦労を重ね、がんばっておられるのではないでしょうか。
もっとも、公務・民間問わず、犯罪・違法行為を働くものがいることは事実ですが、公務員バッシングの根拠にはならないでしょう。
社会全体の問題ではないでしょうか。
労働条件については民間の経営者団体が極悪だから、むちゃくちゃな労働条件となっているのですね。
公務員が悪いという批判はあたらないのではないでしょうか。
むしろ、公務員の労働組合と民間の労働組合が団結して、民間の労働者の労働条件を底上げしていく運動を民間の経営者団体へ向けて行くことがルールある公正な資本主義社会を実現する具体的な方法ではないではないでしょうか。
>大人の説明責任ですね。そこで、大人は子供に偏見を植え付けてはなりません。
そうですね。
私は親の立場でかつて子どもの中学校の式典で君が代斉唱の時に夫婦で着席した事があります。
そのことが子どもの中では残っているようで今でも話になります。
親としての説明責任をそれ以来子に負っているという意味で意味があったと思っています。
憲法と教育基本法を完全実施する学校等の社会を実現するに、われわれは時の政権、今現在だと自民党と公明党の教育行政介入と闘いながら、学習し、主権者・国民として政権交代を実現していかねなりません。
がんばりましょう。
それから、事務的な印、船舶や航空機に付ける国の旗は確かに必要だけど、日の丸は国粋的、軍国的な人間が悪いイメージを撒き散らしたので、私の中では「ファシズムのしるし」になってしまってます。
新しく作るのならば、無地に「愛」と書くか、ハートマークでも良いと思いますね。
しかしいずれにしても、押し付けたり、それが義務だ!なんていう連中に国の舵取りをさせちゃあいけません!
これが本当なんですが、職務なんだから従えだとか、住民の大多数は起立・斉唱してるんだから空気を読んで「自主的に」起立・斉唱しない奴はどうしようもない変人だねっていう人物がいます。wakuwaku44というHNの人物はブログ上でも異常ですのでよろしくです。彼は、海外での自衛隊の武力行使、9条改定、死刑執行、日の丸・君が代強制、受験・学歴競争、学校間格差、能力別編成などその他も経済問題でもどうしようもなく賃下げ、利益中心主義者です。つまり、保守(悪法容認)反動(悪法賛成)なのです。
今話題の年金保険料についても彼は株式市場で運用することに賛成ですしね。こうした態度であるのに革新系のブログへコメントしては心ある人を激怒させているのです。同じ市民ですが、あんな人物が財界、自公政権を道具にしてわれわれを巻き込んでいるんでしょうね。