2016年7月15日、トルコで軍の一部によるクーデタが発生しました。
AFP通信によると、首都アンカラには武装ヘリを含む部隊が展開し、
最大都市イスタンブールには戦車部隊が現れました。
TV放送を通じて「国家の全権を掌握した」と主張する決起部隊に対して、
エルドアン大統領は「違法行為」と非難。
決起部隊が市民に「外出を控える」ことを求めているのに対して、
「外に出て抗議する」よう呼びかけました。
これに呼応する抗議デモも発生するなかで、
日本時間の16日午前11時過ぎには
エルドアン政権が「クーデタの鎮圧に成功した」と発表。
その後も散発的に戦闘は続いているようですが、
決起部隊からの投降者も相次ぐなど、
クーデタは失敗に終わる気配が濃厚になってきました。
今回の事態は、
この10数年のトルコが直面していた内外憂慮の縮図といえます。
そして、それは日本や米国を含む先進国にとっても、
「民主主義と外交の狭間での選択」という課題を、
改めて突き付けるものでもあります。
◆エルドアンと軍:聖と俗
今回、クーデタを起こした部隊などについて、
現段階で詳しいことは伝わっていません。
その一方で、トルコ史を振り返ると、
一部とはいえ軍が政府に反旗を翻すことは、珍しくありませんでした。
特に現在のエルドアン大統領は、軍との間に浅からぬ因縁を抱えてきました。
トルコに限らず、開発途上国では専門家集団である軍が、
政府への批判を強めて決起に踏み切ることが稀ではありません。
トルコの場合、1960年、1971年、1980年、1997年にクーデタが発生しています。
これらのうち、特に今回のクーデタに関係するのが、1997年のものです。
これは、1995年選挙で「繁栄党(Welfare Party)」が第一党となり、
翌1996年にこれを中心とする連立政権が成立したことへの反応でした。
トルコは国民の大半がムスリムですが、
1922年の建国以来、特定の宗教に特別な価値を認めない
「世俗主義」を国是としてきました。
その結果、各宗教は国家の管理下に置かれ、
イスラームもその例外ではありませんでした。
さらに、公の場でムスリム女性のシンボルである
スカーフなどを着用することが規制されるなど、
国民生活にもその影響は及びました。
しかし、1970年代以降、近代化が行き詰まり、
資本主義や共産主義といった世俗的イデオロギーへの信頼が低下するなか、
各地で宗教復興が進み、中東各国でもイスラーム勢力が台頭するようになり、
トルコもその例外ではありませんでした。
その結果、エジプトにルーツをもつ「ムスリム同胞団」など
イスラーム勢力の支持を受けた繁栄党が、
先述のように1995年選挙で勝利するに至ったのです。
繁栄党を率いていたのは、現在の大統領であるエルドアン氏でした。
ところが、繁栄党の台頭に対して、
1997年に「建国の父」ケマル・アタトゥルク以来の世俗主義を奉じる軍が介入。
選挙によって選出された繁栄党は、これによって政権を追われ、
さらに憲法裁判所によって解党に追い込まれたのです。
この際、西側諸国からは、表立って異論が出ることはありませんでした。
つまり、この際には「民主主義」の価値が前面に押し出されることはなかったのです。
◆エルドアン政権誕生後の争い
その後、しかしエルドアン氏を中心とする勢力は、再起を図ります。
繁栄党に解党命令が出た直後、「美徳党(Virtue Party)」が結成され、
1999年選挙でやはり躍進。
しかし、またも憲法裁判所から解党命令が出されました。
その後、現在の「公正発展党(Justice and Development Party)」
に衣替えしたこのグループは、2002年選挙で第一党となり、
エルドアン氏が首相に就任。
世俗主義を看板とする国で、遂にイスラーム主義政党が権力を握ったのです。
権力掌握後、エルドアン政権は
イスラーム的な価値観に基づく政策を徐々に実行していきましたが、
イスラーム化が進むにつれ、
世俗主義的な市民の間からは反発も出るようになりました。
例えば、2008年に大学でのスカーフ着用を認める法案が可決された際には、
アンカラなどで大規模なデモが発生しています。
その後もエルドアン政権はイスラーム色を強め、
2013年には90年間禁止されてきた
女性公務員のスカーフ着用を解禁するに至りました。
また、やはりイスラームの教義に従って、
アルコールの販売を規制する法案なども成立しています。
これらと並行して、エルドアン政権には強権的な手法が目立つようになり、
ますます反エルドアン派との対立が激しくなっていきました。
2013年の大規模な反政府デモとそれに対する鎮圧は、その象徴でした。
トップダウンの開発を推し進める政府により、
イスタンブールのタクシム広場再開発計画が進められることに、
環境の保全などを訴える市民が抗議集会を実施。
抗議デモと鎮圧のなか、死傷者を出す事態となりました。
また、2014年には(反政府派が連絡用によく用いている)
ツイッターが遮断され、
今年3月には政府に批判的な新聞社が当局の管理下に置かれるなど、
言論統制も強化されています。
ー後略ー
-六辻彰二 国際政治学者 2016年7月16日 19時14分配信-
2015年制作の日本・トルコ合作映画
『海難1890』が公開されたのはつい最近。
私も劇場で観たが本編終了後、
観客が帰ろうとしたその時突然、
エルドアン大統領がスクリーンに登場した。
確かに日本とトルコの友好を記念した映画ではあるが、
日本側からのお偉いさんは誰も出ないのに、
トルコ側から一国の大統領が出演し、祝辞を述べるなど
あまりにも唐突過ぎて、驚きを隠せなかった。
それほどトルコは、日本をリスペクトした親日国である。
そんな日本にとって有難い国のことを、我々日本人は
一体どれだけ理解しているだろうか?
近年イスタンブールやカッパドキアなどの
観光地を訪れる日本人は多いようだが、
トルコの歴史と現代史に関心を持ち、理解しようとする人は
あまりに少ないと思う。
世俗主義を看板とする国で、
2002年選挙で遂にイスラーム主義政党が権力を握り
イスラーム主義が台頭した。
エルドアンが首相になり、次々にイスラーム主義政策を推し進めると、
世俗主義を信奉する反エルドアン派との対立が激しくなってきた。
2013年の大規模な反政府デモとそれに対する鎮圧は、その象徴だった。
トップダウンの開発を推し進める政府により、
イスタンブールのタクシム広場再開発計画が進められることに、
環境の保全などを訴える市民が抗議集会を実施。
抗議デモと鎮圧のなか、死傷者を出す事態となった。
また、2014年には(反政府派が連絡用によく用いている)ツイッターが遮断され、
今年3月には政府に批判的な新聞社が当局の管理下に置かれるなど、
言論統制も強化されている。
このような動きなど、
エルドアン大統領の強権的政策が
時折物議をかもすニュースになっていたが、
その全体像は見えてこなかった。
いや、見えてこなかったのではない。
日本人はそんなことに関心を示さなかったのだ。
その証拠に、今回のクーデターの発生を
一体誰が予測しただろう?
氾濫を起こした軍隊の一部とは(まだ全容が分かっていないが)
世俗主義派の人たちが構成する反エルドアン大統領派であったと思われる。
公正発展党に批判的な人間は軍からほぼ一掃されて、
エルドアン政権が長年の宿敵である軍を監督下に置いても、
その残党は根強く燻っていたのである。
民主的に選出された公正発展党とエルドアン政権。
しかし欧米諸国は、その強権体質とイスラム化を警戒し、
クーデターを起こした軍を支持する動きまであったという。
日本にとって、洋の東の遠い国の出来事として
無関心でいて本当に良いものなのか?
アジア欧州会議(ASEM)首脳会議で対中包囲網を築くため、
多数派工作の熾烈な外交戦を展開する日本政府。
今回のクーデターの一件で
一般の国民はただただ驚き、
円高だの株安だの、自分に関係する末端の現象にのみ
関心を示すその行動パターンは、情けないけど
お寒い限りと思わざるを得ない。
都知事選の候補の様子などの茶番を見るにつけ、
国際情勢からあまりに乖離した
日本人の甘ちゃんぶりに危機感を持つオヤジが一句。
民主主義 一番の敵 無関心
お粗末。
AFP通信によると、首都アンカラには武装ヘリを含む部隊が展開し、
最大都市イスタンブールには戦車部隊が現れました。
TV放送を通じて「国家の全権を掌握した」と主張する決起部隊に対して、
エルドアン大統領は「違法行為」と非難。
決起部隊が市民に「外出を控える」ことを求めているのに対して、
「外に出て抗議する」よう呼びかけました。
これに呼応する抗議デモも発生するなかで、
日本時間の16日午前11時過ぎには
エルドアン政権が「クーデタの鎮圧に成功した」と発表。
その後も散発的に戦闘は続いているようですが、
決起部隊からの投降者も相次ぐなど、
クーデタは失敗に終わる気配が濃厚になってきました。
今回の事態は、
この10数年のトルコが直面していた内外憂慮の縮図といえます。
そして、それは日本や米国を含む先進国にとっても、
「民主主義と外交の狭間での選択」という課題を、
改めて突き付けるものでもあります。
◆エルドアンと軍:聖と俗
今回、クーデタを起こした部隊などについて、
現段階で詳しいことは伝わっていません。
その一方で、トルコ史を振り返ると、
一部とはいえ軍が政府に反旗を翻すことは、珍しくありませんでした。
特に現在のエルドアン大統領は、軍との間に浅からぬ因縁を抱えてきました。
トルコに限らず、開発途上国では専門家集団である軍が、
政府への批判を強めて決起に踏み切ることが稀ではありません。
トルコの場合、1960年、1971年、1980年、1997年にクーデタが発生しています。
これらのうち、特に今回のクーデタに関係するのが、1997年のものです。
これは、1995年選挙で「繁栄党(Welfare Party)」が第一党となり、
翌1996年にこれを中心とする連立政権が成立したことへの反応でした。
トルコは国民の大半がムスリムですが、
1922年の建国以来、特定の宗教に特別な価値を認めない
「世俗主義」を国是としてきました。
その結果、各宗教は国家の管理下に置かれ、
イスラームもその例外ではありませんでした。
さらに、公の場でムスリム女性のシンボルである
スカーフなどを着用することが規制されるなど、
国民生活にもその影響は及びました。
しかし、1970年代以降、近代化が行き詰まり、
資本主義や共産主義といった世俗的イデオロギーへの信頼が低下するなか、
各地で宗教復興が進み、中東各国でもイスラーム勢力が台頭するようになり、
トルコもその例外ではありませんでした。
その結果、エジプトにルーツをもつ「ムスリム同胞団」など
イスラーム勢力の支持を受けた繁栄党が、
先述のように1995年選挙で勝利するに至ったのです。
繁栄党を率いていたのは、現在の大統領であるエルドアン氏でした。
ところが、繁栄党の台頭に対して、
1997年に「建国の父」ケマル・アタトゥルク以来の世俗主義を奉じる軍が介入。
選挙によって選出された繁栄党は、これによって政権を追われ、
さらに憲法裁判所によって解党に追い込まれたのです。
この際、西側諸国からは、表立って異論が出ることはありませんでした。
つまり、この際には「民主主義」の価値が前面に押し出されることはなかったのです。
◆エルドアン政権誕生後の争い
その後、しかしエルドアン氏を中心とする勢力は、再起を図ります。
繁栄党に解党命令が出た直後、「美徳党(Virtue Party)」が結成され、
1999年選挙でやはり躍進。
しかし、またも憲法裁判所から解党命令が出されました。
その後、現在の「公正発展党(Justice and Development Party)」
に衣替えしたこのグループは、2002年選挙で第一党となり、
エルドアン氏が首相に就任。
世俗主義を看板とする国で、遂にイスラーム主義政党が権力を握ったのです。
権力掌握後、エルドアン政権は
イスラーム的な価値観に基づく政策を徐々に実行していきましたが、
イスラーム化が進むにつれ、
世俗主義的な市民の間からは反発も出るようになりました。
例えば、2008年に大学でのスカーフ着用を認める法案が可決された際には、
アンカラなどで大規模なデモが発生しています。
その後もエルドアン政権はイスラーム色を強め、
2013年には90年間禁止されてきた
女性公務員のスカーフ着用を解禁するに至りました。
また、やはりイスラームの教義に従って、
アルコールの販売を規制する法案なども成立しています。
これらと並行して、エルドアン政権には強権的な手法が目立つようになり、
ますます反エルドアン派との対立が激しくなっていきました。
2013年の大規模な反政府デモとそれに対する鎮圧は、その象徴でした。
トップダウンの開発を推し進める政府により、
イスタンブールのタクシム広場再開発計画が進められることに、
環境の保全などを訴える市民が抗議集会を実施。
抗議デモと鎮圧のなか、死傷者を出す事態となりました。
また、2014年には(反政府派が連絡用によく用いている)
ツイッターが遮断され、
今年3月には政府に批判的な新聞社が当局の管理下に置かれるなど、
言論統制も強化されています。
ー後略ー
-六辻彰二 国際政治学者 2016年7月16日 19時14分配信-
2015年制作の日本・トルコ合作映画
『海難1890』が公開されたのはつい最近。
私も劇場で観たが本編終了後、
観客が帰ろうとしたその時突然、
エルドアン大統領がスクリーンに登場した。
確かに日本とトルコの友好を記念した映画ではあるが、
日本側からのお偉いさんは誰も出ないのに、
トルコ側から一国の大統領が出演し、祝辞を述べるなど
あまりにも唐突過ぎて、驚きを隠せなかった。
それほどトルコは、日本をリスペクトした親日国である。
そんな日本にとって有難い国のことを、我々日本人は
一体どれだけ理解しているだろうか?
近年イスタンブールやカッパドキアなどの
観光地を訪れる日本人は多いようだが、
トルコの歴史と現代史に関心を持ち、理解しようとする人は
あまりに少ないと思う。
世俗主義を看板とする国で、
2002年選挙で遂にイスラーム主義政党が権力を握り
イスラーム主義が台頭した。
エルドアンが首相になり、次々にイスラーム主義政策を推し進めると、
世俗主義を信奉する反エルドアン派との対立が激しくなってきた。
2013年の大規模な反政府デモとそれに対する鎮圧は、その象徴だった。
トップダウンの開発を推し進める政府により、
イスタンブールのタクシム広場再開発計画が進められることに、
環境の保全などを訴える市民が抗議集会を実施。
抗議デモと鎮圧のなか、死傷者を出す事態となった。
また、2014年には(反政府派が連絡用によく用いている)ツイッターが遮断され、
今年3月には政府に批判的な新聞社が当局の管理下に置かれるなど、
言論統制も強化されている。
このような動きなど、
エルドアン大統領の強権的政策が
時折物議をかもすニュースになっていたが、
その全体像は見えてこなかった。
いや、見えてこなかったのではない。
日本人はそんなことに関心を示さなかったのだ。
その証拠に、今回のクーデターの発生を
一体誰が予測しただろう?
氾濫を起こした軍隊の一部とは(まだ全容が分かっていないが)
世俗主義派の人たちが構成する反エルドアン大統領派であったと思われる。
公正発展党に批判的な人間は軍からほぼ一掃されて、
エルドアン政権が長年の宿敵である軍を監督下に置いても、
その残党は根強く燻っていたのである。
民主的に選出された公正発展党とエルドアン政権。
しかし欧米諸国は、その強権体質とイスラム化を警戒し、
クーデターを起こした軍を支持する動きまであったという。
日本にとって、洋の東の遠い国の出来事として
無関心でいて本当に良いものなのか?
アジア欧州会議(ASEM)首脳会議で対中包囲網を築くため、
多数派工作の熾烈な外交戦を展開する日本政府。
今回のクーデターの一件で
一般の国民はただただ驚き、
円高だの株安だの、自分に関係する末端の現象にのみ
関心を示すその行動パターンは、情けないけど
お寒い限りと思わざるを得ない。
都知事選の候補の様子などの茶番を見るにつけ、
国際情勢からあまりに乖離した
日本人の甘ちゃんぶりに危機感を持つオヤジが一句。
民主主義 一番の敵 無関心
お粗末。