uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


日本人なのに‟ありがとう”の反対語を知らなかった。

2016-07-25 03:56:00 | 日記
ありがとうの反対語など

今まで考えたこともなかった。

教えてもらった答えは・・・


「あたりまえ」



「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」

「有難(ありがた)し」という意味だ。


あることがむずかしい、まれである。

めったにない事にめぐりあう。

すなわち、奇跡ということだ。

奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」


我々は、毎日起こる出来事を、

当たり前だと思って過ごしている。



歩けるのが、あたりまえ。

目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ。

毎日目覚めるのが、あたりまえ。

食事ができるのが、あたりまえ。

息ができるのが、あたりまえ。

友達といつも会えるのが、あたりまえ。

太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。

うまれてきたのが、あたりまえ。

夫(妻)が毎日帰ってくるのが、

あたりまえ。



そして・・・



生きているのが、あたりまえ。






また、ある夫婦の話もしてくれた。

晩酌の時、いつも無口の夫が、

「ちょっと、お酌してくれないか?」

と珍しく妻に言った。

台所の片付けをしていた妻は、

「今、忙しいから自分でやって」と答えた。

夫は少し寂しそうだったが、

手酌で酒をついだ。

その2~3時間後、夫は急に倒れ、

救急車で病院に運ばれ、

帰らぬ人となってしまった。




それから、妻は、

何故あの時、

夫にお酌をしてあげなかったのかと、

ずっと悔やんだという。


あの時何故、もっと、

優しい言葉で、

こぼれるような笑顔で、

感謝の言葉で、

接することができなかったのか・・・

誰しも、

今日と同じ日が明日も繰り返されると思う。

今日、

誰かと出会い、話し、笑い、

食事をして仕事ができる。



こんな当たり前だと思うことが、

本当は奇跡の連続なのだ。


「有ること難し」

生きて、出逢う、という奇跡の連続に、

「ありがとう」を言わずにいられない。


https://youtu.be/OXIRpu9XAHs

-jicken5box-







当たり前のように生活の喧騒の中で生きてきた。

今も当たり前の中を生きている。


でもそれは錯覚だった。


とても

とても

とても


有難いことだった。





「僕は神様でないから

奇跡を創ることはできない

けれどあなたを想う奇跡なら

神様に負けない」

-さだまさし 奇跡~大きな愛のように~から-





これからは生きているすべてのことに


「ありがとう」


と云おう。


そういえば祖母の口癖も

「ありがとう」だった。


そう思い返したオヤジが一句。






手酌でも  飲めて死ねたら  ありがとう






お粗末。