「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」。
東京・代々木の体育館で3日にあったリオデジャネイロ五輪の代表選手団の壮行会で、
2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が
来賓のあいさつでそう述べた。
壇上には選手ら約300人が登壇。
森会長は、直前の陸上自衛隊中央音楽隊の松永美智子陸士長による
国歌独唱時の様子を振り返って
「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのでしょうか」と問いかけ、
サッカー女子の澤穂希さんや、ラグビーの五郎丸歩選手が君が代を歌い、
その様子を見て国民が感動した、と述べた。
「口をモゴモゴしているだけじゃなくて、声を大きく上げ、表彰台に立ったら、
国歌を歌ってください」と選手団に呼びかけた。
場内ではみんなで声を合わせて歌う「斉唱」ではなく
「国歌独唱」とアナウンスされ、
ステージ上のモニターにも「国歌独唱」と表示されていた。
-朝日新聞デジタル - 2016年7月3日-
またまた老害を振りまき物議をかもす森喜朗。
いったいいつまで表舞台にしがみつく気か。
内閣総理大臣まで上り詰めたが、放言を連発し、
何一つ見るべき実績を残せなかった典型的な泡沫政治屋だった。
それなのに、反省の欠片も無く未だに放言し放題。
周囲の迷惑どこ吹く風のその姿勢に、ただただ呆れる。
斉唱と独唱の意味も介さない初歩的知識もない人間が
何故組織委員会会長でいられるのか理解できない。
あれだけ無責任の極みと云える方言を吐きまくり、
ただ元総理だったと云うだけで、
いつまでも名誉職に据え続けてはいけない。
そういう声が殺到していたハズなのに、
誰が彼を擁護したのか?
彼の罪は重いが、そうした彼を支える者たちの罪も、それ以上に重い。
彼が東京五輪にとって計り知れないマイナス効果をもたらし
負のイメージを国民に植え付けた罪は無視できないほど大きいのだ。
君が代が美しく感動するのと、
『独唱』の時は黙って静かに聴きながら心を一つにするのとは、
並立できる別次元のことだ。
求められもせず『斉唱』を強制されるのは甚だ心外であり
極めて理不尽だ。
そもそも『国歌』とは、
苦しいとき、辛いとき、嬉しいとき、祝うとき
自然発生的に何処からともなく流れ
誰もが共鳴し、歌い継ぐものだ。
「君が代」にその資格がないのではない。
国家が理不尽に強制することが問題なのだ。
日の丸君が代法案(国旗国歌法)が可決されたとき、
「強制しない」との国会議員の付帯決議も付けたハズ。
更に
2004年(平成16年)、
東京・元赤坂の赤坂御苑で28日に開催された秋の園遊会で、
今上天皇が招待者との会話の中で、
学校現場での日の丸掲揚と君が代斉唱について
「強制になるということでないことが望ましいですね」と発言された、とある。
-ウィキペディア-
しかし現場では、強制の嵐で自殺者まで出している。
「君が代」をこのような状態に晒して、本当に良いのか?
「君が代」は美しい歌だと思う。
陸上自衛隊中央音楽隊の松永美智子陸士長による
国歌独唱は聴いたことがないが、
YouTubeで驚異の再生回数を誇る野々村綾乃さんの独唱を聴いてみると良い。
本当に感動するから。
日本人の誇りは誰から強制されるものではない。
オリンピックで選手たちが表彰台を目指し、
その時流れる曲を想像し、励みに頑張るのも、
応援する人たちがその姿を見て感動し、表彰式の国歌に聴き入るのも
各々の心の問題だ。
またそんな選手たちを送り出す皆の高揚した気持ちも
同じ心の問題だ。
森喜朗のような老害爺さんなんぞに、
偉そうに強制されるなんて
全く我慢できない。
そんなところでトンチンカンなこと言ってる暇があるなら
ダッカに急行し、
日本のために犠牲になった人たちの弔いを自発的にやってきなさい。
あんた無能だったとは言え、痩せても枯れても元首相でしょう?
その方が余程善い行いだよと思うオヤジが一句。
老害の 爺さん退場 強制し
お粗末。
東京・代々木の体育館で3日にあったリオデジャネイロ五輪の代表選手団の壮行会で、
2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が
来賓のあいさつでそう述べた。
壇上には選手ら約300人が登壇。
森会長は、直前の陸上自衛隊中央音楽隊の松永美智子陸士長による
国歌独唱時の様子を振り返って
「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのでしょうか」と問いかけ、
サッカー女子の澤穂希さんや、ラグビーの五郎丸歩選手が君が代を歌い、
その様子を見て国民が感動した、と述べた。
「口をモゴモゴしているだけじゃなくて、声を大きく上げ、表彰台に立ったら、
国歌を歌ってください」と選手団に呼びかけた。
場内ではみんなで声を合わせて歌う「斉唱」ではなく
「国歌独唱」とアナウンスされ、
ステージ上のモニターにも「国歌独唱」と表示されていた。
-朝日新聞デジタル - 2016年7月3日-
またまた老害を振りまき物議をかもす森喜朗。
いったいいつまで表舞台にしがみつく気か。
内閣総理大臣まで上り詰めたが、放言を連発し、
何一つ見るべき実績を残せなかった典型的な泡沫政治屋だった。
それなのに、反省の欠片も無く未だに放言し放題。
周囲の迷惑どこ吹く風のその姿勢に、ただただ呆れる。
斉唱と独唱の意味も介さない初歩的知識もない人間が
何故組織委員会会長でいられるのか理解できない。
あれだけ無責任の極みと云える方言を吐きまくり、
ただ元総理だったと云うだけで、
いつまでも名誉職に据え続けてはいけない。
そういう声が殺到していたハズなのに、
誰が彼を擁護したのか?
彼の罪は重いが、そうした彼を支える者たちの罪も、それ以上に重い。
彼が東京五輪にとって計り知れないマイナス効果をもたらし
負のイメージを国民に植え付けた罪は無視できないほど大きいのだ。
君が代が美しく感動するのと、
『独唱』の時は黙って静かに聴きながら心を一つにするのとは、
並立できる別次元のことだ。
求められもせず『斉唱』を強制されるのは甚だ心外であり
極めて理不尽だ。
そもそも『国歌』とは、
苦しいとき、辛いとき、嬉しいとき、祝うとき
自然発生的に何処からともなく流れ
誰もが共鳴し、歌い継ぐものだ。
「君が代」にその資格がないのではない。
国家が理不尽に強制することが問題なのだ。
日の丸君が代法案(国旗国歌法)が可決されたとき、
「強制しない」との国会議員の付帯決議も付けたハズ。
更に
2004年(平成16年)、
東京・元赤坂の赤坂御苑で28日に開催された秋の園遊会で、
今上天皇が招待者との会話の中で、
学校現場での日の丸掲揚と君が代斉唱について
「強制になるということでないことが望ましいですね」と発言された、とある。
-ウィキペディア-
しかし現場では、強制の嵐で自殺者まで出している。
「君が代」をこのような状態に晒して、本当に良いのか?
「君が代」は美しい歌だと思う。
陸上自衛隊中央音楽隊の松永美智子陸士長による
国歌独唱は聴いたことがないが、
YouTubeで驚異の再生回数を誇る野々村綾乃さんの独唱を聴いてみると良い。
本当に感動するから。
日本人の誇りは誰から強制されるものではない。
オリンピックで選手たちが表彰台を目指し、
その時流れる曲を想像し、励みに頑張るのも、
応援する人たちがその姿を見て感動し、表彰式の国歌に聴き入るのも
各々の心の問題だ。
またそんな選手たちを送り出す皆の高揚した気持ちも
同じ心の問題だ。
森喜朗のような老害爺さんなんぞに、
偉そうに強制されるなんて
全く我慢できない。
そんなところでトンチンカンなこと言ってる暇があるなら
ダッカに急行し、
日本のために犠牲になった人たちの弔いを自発的にやってきなさい。
あんた無能だったとは言え、痩せても枯れても元首相でしょう?
その方が余程善い行いだよと思うオヤジが一句。
老害の 爺さん退場 強制し
お粗末。