北海道新聞本日10月3日付朝刊の社説に
『防衛省組織再編 平和国家にそぐわない』
との社説が掲載された。
その内容は、
「6月に成立した改正防衛省設置法が施行され、
武器の調達効率化や共同開発、
輸出促進に向けた同省の外局『防衛装備庁』が新たに発足した。
同時に背広組と呼ばれる防衛省官僚(文官)を、
制服組と呼ばれる自衛官より優位に位置づける文官統制を廃止。
従来は背広組と制服組で分担していた自衛隊の部隊運用を制服組に一元化した。
2007年の防衛庁から省への昇格以来の大規模な組織再編だ。
集団的自衛権の行使容認など、
自衛隊活動を大幅に拡大する安全保障関連法の施行をにらんだ態勢強化が目的である。」
以下省略。
政治が軍事に優越する文民統制(シビリアン・コントロール)を
確保するための方策の一つを改正法は廃止した。
背広組の運用企画局と制服組の統合幕僚監部(統幕)双方が担っていた自衛隊の運用を
統幕に一元化したのだ。
文民統制は1954年の防衛庁・自衛隊発足時、
旧日本軍が暴走した反省から自衛官を政治と癒着させないように設けられたはず。
制服組の影響力が強まり、
自衛隊の暴走を阻止する文民統制機能が弱まる事は避けられない。
安保関連法の施行に向け、自衛隊をより迅速に動かしやすくするためなのは分かるが、
私は大きくふたつの問題を危惧している。
そのひとつは、
私はそんな法律が施行されたなんて今の今まで
まったく知らなかった事。
もうひとつは、
クーデターが発生する危険性が増すこと。
ひとつ目は、私が単に勉強不足で
情報収集を怠ったためで、政府や国会に責任は全くない?
そう云えるのか?
この問題はかなり重要に思えるのは私だけなのだろうか?
テレビなどで報道されない限り、
法案の審議・成立に至る細部にわたっての情報は
国民が知る機会が圧倒的に少ないと思う。
それ以外にも、生活に密着した事象を決めていた法律が
知らぬ間に改正されていて、後で慌てる事例は数多くある。
野党は安保関連法案成立の攻防戦を
最大限のパフォーマンスでアピールしていたが、
私にとってそれらの行動は茶番に過ぎない。
普段から国会で審議されている法律の問題点を
広く国民に知らせ、その都度信を問うような行動こそ
野党の責務ではないのか?
例えばネットで広く公表し、アンケート取るとか。
ふたつ目のクーデターの危険性
自衛隊は過去にも何度かクーデター未遂を起こしていると云う事を聞いたことがある。
真偽のほどは知らない。
だから無責任に分からない事を断定できないが、
私は本当にあったのではないかと疑っている。
1970年の三島由紀夫の自衛隊決起を呼びかけ、割腹自殺した事件は
記憶に強く残っている。
もし今後、本当にクーデターが起き、成功したなら、
その時一気にこの国の民主主義は死んでしまうのに
誰も関心を持たないと云うのか?
今日本の取り巻く情勢は厳しく、
一触即発の危機をはらんでいる。
有事がすぐ目の前にある危機的状況に対処するために
即決即断による行動が必要なのは承知しているが、
国民が知らないうちに
自衛隊が着々とクーデターを起こす準備をし、
政権を掌握し、戒厳令を敷く事態など
本当に起こりかねない体制が出来上がりつつあるように思う。
中国に攻められ、国土を蹂躙され、
指をくわえて虐殺されるのを黙って見ている事態を招く方を選ぶか、
武力による対抗措置を講じる体制を作る替わりに、
民主主義の大幅な制限を甘んじて受け入れるのか。
国民には知る権利と、選ぶ権利があると思う。
政治に興味が無いと云う国民が大勢いる現状にも
大きな問題がある。
これからは、
「聞いてないよ~!」
なんて通用しない時代がやってくる事を肝に銘じるべきだ。
いや、もうそんな時代に入っている。
そんな危険な時代を感じたオヤジが一句。
気がつけば 周囲に増えた 地雷源
お粗末。
今日は私の父の7回忌。
父も戦争に行っていたが、
昔の話を聞いておいて良かったと思う。
父が亡くなった日も今日のような晴れた日。
戦争の話をする時は、
いつも遠くを見つめるように回想していたのを
当時少年だった私にはよく理解できていなかった。
事実を継承した上で
今後の重大事を国民の意思と判断で決めるべきだと思う。
どさくさにまぎれて決めるべき事ではない。
『防衛省組織再編 平和国家にそぐわない』
との社説が掲載された。
その内容は、
「6月に成立した改正防衛省設置法が施行され、
武器の調達効率化や共同開発、
輸出促進に向けた同省の外局『防衛装備庁』が新たに発足した。
同時に背広組と呼ばれる防衛省官僚(文官)を、
制服組と呼ばれる自衛官より優位に位置づける文官統制を廃止。
従来は背広組と制服組で分担していた自衛隊の部隊運用を制服組に一元化した。
2007年の防衛庁から省への昇格以来の大規模な組織再編だ。
集団的自衛権の行使容認など、
自衛隊活動を大幅に拡大する安全保障関連法の施行をにらんだ態勢強化が目的である。」
以下省略。
政治が軍事に優越する文民統制(シビリアン・コントロール)を
確保するための方策の一つを改正法は廃止した。
背広組の運用企画局と制服組の統合幕僚監部(統幕)双方が担っていた自衛隊の運用を
統幕に一元化したのだ。
文民統制は1954年の防衛庁・自衛隊発足時、
旧日本軍が暴走した反省から自衛官を政治と癒着させないように設けられたはず。
制服組の影響力が強まり、
自衛隊の暴走を阻止する文民統制機能が弱まる事は避けられない。
安保関連法の施行に向け、自衛隊をより迅速に動かしやすくするためなのは分かるが、
私は大きくふたつの問題を危惧している。
そのひとつは、
私はそんな法律が施行されたなんて今の今まで
まったく知らなかった事。
もうひとつは、
クーデターが発生する危険性が増すこと。
ひとつ目は、私が単に勉強不足で
情報収集を怠ったためで、政府や国会に責任は全くない?
そう云えるのか?
この問題はかなり重要に思えるのは私だけなのだろうか?
テレビなどで報道されない限り、
法案の審議・成立に至る細部にわたっての情報は
国民が知る機会が圧倒的に少ないと思う。
それ以外にも、生活に密着した事象を決めていた法律が
知らぬ間に改正されていて、後で慌てる事例は数多くある。
野党は安保関連法案成立の攻防戦を
最大限のパフォーマンスでアピールしていたが、
私にとってそれらの行動は茶番に過ぎない。
普段から国会で審議されている法律の問題点を
広く国民に知らせ、その都度信を問うような行動こそ
野党の責務ではないのか?
例えばネットで広く公表し、アンケート取るとか。
ふたつ目のクーデターの危険性
自衛隊は過去にも何度かクーデター未遂を起こしていると云う事を聞いたことがある。
真偽のほどは知らない。
だから無責任に分からない事を断定できないが、
私は本当にあったのではないかと疑っている。
1970年の三島由紀夫の自衛隊決起を呼びかけ、割腹自殺した事件は
記憶に強く残っている。
もし今後、本当にクーデターが起き、成功したなら、
その時一気にこの国の民主主義は死んでしまうのに
誰も関心を持たないと云うのか?
今日本の取り巻く情勢は厳しく、
一触即発の危機をはらんでいる。
有事がすぐ目の前にある危機的状況に対処するために
即決即断による行動が必要なのは承知しているが、
国民が知らないうちに
自衛隊が着々とクーデターを起こす準備をし、
政権を掌握し、戒厳令を敷く事態など
本当に起こりかねない体制が出来上がりつつあるように思う。
中国に攻められ、国土を蹂躙され、
指をくわえて虐殺されるのを黙って見ている事態を招く方を選ぶか、
武力による対抗措置を講じる体制を作る替わりに、
民主主義の大幅な制限を甘んじて受け入れるのか。
国民には知る権利と、選ぶ権利があると思う。
政治に興味が無いと云う国民が大勢いる現状にも
大きな問題がある。
これからは、
「聞いてないよ~!」
なんて通用しない時代がやってくる事を肝に銘じるべきだ。
いや、もうそんな時代に入っている。
そんな危険な時代を感じたオヤジが一句。
気がつけば 周囲に増えた 地雷源
お粗末。
今日は私の父の7回忌。
父も戦争に行っていたが、
昔の話を聞いておいて良かったと思う。
父が亡くなった日も今日のような晴れた日。
戦争の話をする時は、
いつも遠くを見つめるように回想していたのを
当時少年だった私にはよく理解できていなかった。
事実を継承した上で
今後の重大事を国民の意思と判断で決めるべきだと思う。
どさくさにまぎれて決めるべき事ではない。