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◆「芙蓉鎮(1987)」の感想

2006-09-03 | 映画の感想
人は決して強くはない、しかし弱くもない
人は常に正しくもないければ、間違ってもいない

ただ、毛沢東のような人物が誤れば、多くの人が苦しむことになる
文化大革命は大きな誤りであり、多くの損失と悲劇を生んだ

でもそこには、誤りに参加したり正すことのできない人たちが多くいた
被害者も多くいたが、傍観者や便乗者も多くいたのだ

戦争は、する人よりも、そのことに無関心な人のほうが問題だと言われる
人間の過ちとは、大抵そのようなものだろう
見過ごすことが過ちを大きくし波及させる、そして見過ごす

だけれど、いつか人は気づくのだ、それが過ちであることに
そして誰もが傷ついている
過ちを犯した人間も傷つく、自分の過ちを知ることは辛い
見過ごしていた人間も辛さを味わうことになる

失った時間や人は帰らない
人は何をすれば幸せになれるのか、何を求めれば幸せになれるのか
社会と生きることの意味を問い掛ける一作


杜の都


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参考サイト http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD11842/index.html

監督 Jin Xie 謝晋 シェ・チン

原作 古華

キャスト(役名)
Liu Xiaoging 劉暁慶 リュウ・シャオチン (胡玉音)
Jian Wen 姜文 チアン・ウェン (秦書田)
鄭在石 (谷燕山)
徐松子 (李国香)
祝土彬 (王秋赦)


解説
文化大革命を背景に厳しい試練を強いられたひとりの女性と彼女を取り巻く人
々の激動の時代を描くもので、87年度の中国・百花賞(作品ほか)、金鶏賞(作
品賞ほか)受賞作。監督は「天雲山物語」「牧馬人」などの謝晋。古華の原作(
徳間書店)を阿城と謝晋監督が共同で脚色、撮影は慮俊福が担当。出演は劉暁
慶、姜文、鄭在石、徐松子ほか。


あらすじ
1963年春。湖南省の南端にある小さな町・芙蓉鎮では市が立つ日で街は賑わっ
ていた。中でも米豆腐を売る胡玉音(劉暁慶)の店は大賑いだった。国営食堂の
女店主・李国香(徐松子)は胡玉音の店の繁盛をにがにがしく思っていた。李国
香は解放戦争を戦いぬいた米穀管理所の主任・谷燕山(鄭在石)に米の特配をた
のむがなかなか相手にされなかった。それでいて谷燕山は胡玉音には米豆腐の
原材料の屑米をまわしていた。胡玉音は夫と二人で家畜のえさにしかならない
屑米を夜遅くまでかかって臼で挽き、おいしい米豆腐づくりに精出した甲斐あ
って、王秋赦(祝土彬)から土地を買い店を新築するまでになった。ところが、
政治工作班長に昇格した李国香が早速、この店に目をつけ、資本的ブルジョワ
ジーの典型として店に乗り込んできた。そしてこのことが契機となって胡玉音
は家も没収され、夫も殺されてしまった。1966年春。文革の嵐が吹き荒れて、
状況は一段と厳しくなった。李国香までニセ左派として逮捕され、胡玉音は街
きってのインテリでありながら右派の烙印を押され〈ウスノロ〉と呼ばれる秦
書田とともに、さらに厳しい批判の対象にさらされていた。彼らに変わって無
教養の王秋赦が党支部の書記に昇格し贅沢三昧の暮しをしていた。やがて李国
香はコネを生かし復権し、胡玉音と秦書田は来る日も来る日も石畳を掃除する
という処罰を課せられた。最初は口もきかなかった二人だが、胡玉音が秦書田
の本当の気持を知るようになり、二人は自然にひかれ合うようになった。そし
て胡玉音が妊娠。秦書田が王秋赦に二人の結婚のゆるしを願い出るが裁判所か
ら秦書田は10年の刑、胡玉音には3年の刑がいい渡たされてしまった。1979年
、悪夢のような文革がようやく終り、胡玉音は没収された家などを返され、秦
書田も名誉を回復されて芙蓉鎮に帰されることになった。刑の途中で胡玉音が
生んだ長男・谷軍と彼女の待つ家に戻った秦書田は、家族で再び米豆腐作りに
精を出すようになり、昔のように店は大繁盛した。ぬけ目のない李国香は省の
機関に栄転し、革命のお先棒をかついできた王秋赦は気がふれてしまった。









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