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フィクション:東洋からのエージェント(4)

2009-08-21 | フィクション:大物の交渉人
 局長とトウが乗った車は外務局の建物に到着した。リュウ局長は終始無言だった。トウは重い空気と緊張で息苦しく、早く到着しないかと祈り続けた。街の様子も、天気さえも気がつかずにいた。着いた時には雨模様に代っていた。車は来客用の表玄関で止められ、二人はそこで降りた。職員用の通用口は別にあったが、警備員は表玄関に誘導したのだった。公用車が表玄関に案内されたということは、しっかりした指示があったことを意味する。外務局の対応が丁重だったことで、トウの緊張はさらに増していった。

 正面玄関を入ると人が待っていた。すぐに痩身の上品な男は「リュウ局長、お待ちしておりました。ご案内いたします。」と声をかけてきた。二人は後に従った。エレベーターの前で男は「マー長官は8階でお待ちです。これから8階にご案内いたします」と告げた。局長は平然としているが、トウは疑問が広がった。マー長官?…、待っているのはチョウではないのかと、トウは思った。聞き返したかったが、思いとどまった。

 エレベーターから降りると、静まり返った広い空間に応接セットが整然と置かれていた。痩身の男は「こちらで少しお待ちください」と二人に言うと廊下の先に消えた。二人だけになりトウの緊張も少し和らいだ。トウは「局長、座り心地がよさそうなソファーですね」と声をかけた。局長は「ああ、」と答え、用心深く腰を下ろすと、ふーと息を吐いた。
 トウは局長から怒りが消え、何か思索を巡らしている様子を感じ取った。局長は周りに誰もいないことを確認すると、「トウよ、これは何か特別な話のようだ。落ち着いて待つとしよう」と言った。
「局長、どういうことですか」、トウには何のことか分からなかった。
「なあに、待つ以外ないということだ」と、局長は答え、マガジンラックから新聞を取り出し読み始めた。トウは、不安なまま辺りを見回したが、静かなままだった。

 どこからか表れたのか、白いワイシャツ姿の猫背の男が廊下を通り過ぎようとした。トウは「あの、」と声をかけた。男は「トイレです。トイレ」と足早に通り過ぎた。「あれは警備員ではないですね。弱そうだ」とトウは独り言のように言った。
 5分後、男がトイレから戻ってきた。二人はまったく気にかけなかったが、猫背の男は二人の前で立ち止まると「お待たせしました。私がマーです。御足労をおかけしました。さあ、こちらへ」と言うと、廊下の奥へ歩き出した。突然のことに二人は、挨拶をされても立ち上げることもできなかった。

 マー長官の部屋は、整然と本棚が壁を埋め尽くしていた。デスクにはパソコンがあるだけだった。花も絵もなく、とても殺風景な印象だった。リュウ局長は落ち着いて改めて挨拶をした。トウも続いた。
 マー長官も挨拶を返し言葉を続けた。「経済局は昨年来大変ですね。世界同時不況ですか。休む間もない1年だったでしょう。最近はどうですか」と聞いてきた。
 リュウ局長は「やっと、落ち着きを取り戻してきました。損失がどれくらいか分かってきたので」と答えた。
 「損失ねー。共産主義国家にあるまじき損失ではありませんか」と、マー長官が言った。
 「共産主義に、あるまじき、ですか。経済局自体が、我が国家にふさわしくないということですか」と、リュウ局長は問い返した。
 マー長官は笑みを浮かべ、「共産主義は体制で、資本主義は手段です。経済成長、大いに結構。オリンピックも開催できた。何より、自称先進国の連中が我が国に敬意を払うようになった。同じ国かと思うと恐ろしいね。彼らには信念がない」と言った。

 リュウ局長は「本日の御用件は何ですか」と、話を本題に進めようとした。マー長官は「今お茶がきますから、お茶を飲みながらお話しましょう。それまでは私の話に付き合ってください」と言った。そして「国家の損失もさることながら、個人の損失も大変だったでしょう」と、面白そうに笑った。
 リュウ局長は「マー長官もだいぶ損をされたのですか」と容赦なく聞いた。「いいえ、私は少しだけ」と、苦笑した。
 中国の政界、財界、軍を問わず要人は例外なく、世界同時不況で資産を失っていた。半端ではない。スイス銀行など海外へ隠していた資産をことごとく失った。失ったが、失ったと言えない状況がこの国にはある。誰もが存在を知りながら、表向きは存在していない資産である。
 
 リュウ局長は「一時、外国に逃げようかと真剣に考えました。海外資産の損失は、怖かった」と振り返った。「あれはあなたの責任じゃないでしょう。どうしてですか」とマー長官が聞いた。
 「こういうとき、経済局は以前から不況の予兆を知っていたのではないかと、疑いを持たれます。損失の原因は不況ですが、被害の犯人は外にいると思いたいのです」リュウ局長はうんざりしたように答えた。
 あのときひっきりなしで、プライベートな友人を名乗る電話が、局長に続いた。
 「意図的に助けなかったということですか」
 「そんなことはあり得ません。もういいでしょうこの話は」と言って、リュウ局長は苦い顔を隠さなかった。
 マー長官は「気を悪くしないで、悪気はありません。共産主義体制の話ですよ。欲望の落とし穴にみんなで落ちましたが、共産主義が私たちを救ってくれました。古臭い重い錆かけた共産主義という鎧が中国を守った。投機に溺れた海外資産は失いましたが。国内資産は共産主義体制の中にあったことで軽傷で済んだ。こういうのを、日本では、不幸中の幸いと言うそうですよ」と言った。このときドアがノックされお茶が運ばれてきた。

 マー長官は、お茶を美味しそうに飲み干すと「さて、本題ですが」と突然切り出した。「外務局は経済局に重要なお願いがあります」と、あらたまった言いかたをした。リュウ局長は「どのようなことでしょう」と促した。
 マー長官は神妙な顔つきで「アメリカに二国間協議を申し入れると聞いてます。間もなく交渉に入る。担当もトウ課長を新たに専任とした。」
 「そうです。ご存知の通りです」
 マー長官は続けた。「お願いというのは、その時、アメリカともう一つ、別の交渉をしてもらいたいのです」と言った。

 二人は驚いた。「別の交渉ですって」とトウは声をあげた。「経済交渉も先行きが分からないのに、別の交渉もやれと言うのですか。理不尽だ。何より無計画だ」怒りが一気に言葉になった。緊張や不安は忘れたらしい。
 リュウ局長は冷静だった。「何をやれと言うのですか」と尋ねた。
 「あなたもアメリカの記者が北に囚われているのを知っているでしょう。我が国は、この問題を解決したい。三国のため、アジアの安定のため。何より、我が中国のために」とマーが言った。
 「なんですって」、今度はリュウ局長が驚いて声をあげた。「まったく外交ではないですか。経済局を利用するのですか」と声を荒げた。
 「利用ねえ。そうかも知れません。ですがやってもらいます。国家の方針ですから」とマー長官はきっぱりと言った。

 「この問題は、あなた方外交局の問題だ。あなた方が交渉すればいい。そうでしょう」リュウ局長は引かなかった。
 「北は勝手なことばかりして孤立の道を歩んでいる。我が国やロシアとも距離を取っている。助けがいのない連中だ。しかし、今東アジアで騒ぎは困る。分かるでしょう。経済的にも大問題だ」
 「だから外務局がどうにかして、隣人を助けたらいいでしょう」とリュウ局長が言った。
 「彼らは良き隣人ではない」と、マー長官が声を張り上げた。二人はあっけにとられた。
 マー長官は「良き隣人ではないのだ、決して。」と噛みしめるように繰り返し「とにかく危険を見過ごしにはできない。アメリカも助けを求めてきている。だから行うのだ」と続けた。

 「アメリカが助けを求めた。初耳ですね」リュウ局長は聞き返した。
 「そうだ。新政権のクリトン国務長官が来ただろう。あのときあなた方の得意な経済問題が主役だったが、協議は多岐にわたったのだ」、「そして、その中に北の問題も当然含まれていた。主席の体調や核のことだけかと思ったら、記者の話が出た。意外なほど熱心だったよ」、「記者の返還の可能性を聞かれたが、分からないと答えた。すると北への打診を頼まれた」、「正直、正気かと思ったね。こんなやり方、無理難題か条件をつけられ不利になるだけだからね」、「しかし、我が国も引き受けざる負えなかった。それほどアメリカとの関係は、今やどこの国よりも重要なんだ」

 「だから、何なんだ。外交のことは外交でけりをつけろ」と、リュウ局長はしつこく言った。
 マー長官は「アメリカがほしがっている記者返還の情報を持っていけば、アメリカは、経済の二国間協議を無理を承知で受け入れると思わないか」と、誘った。「アメリカは、この交渉を目立たせたくないんだ。当然我が国も同じだ。仲立ちしたなんて知られたくない」

 「どうしてですか。記者の返還は良い話じゃないですか」と、トウが言った。
 マー長官は「いい話…、とい見かたもあるが、北の横暴に屈したと受け止めるべきだろう。アメリカも、まして我が国が北に屈する訳にはいかない」と、言った。
 「そもそも、記者を返せということ自体、すでに屈している」、トウは矛盾を感じた。
 「だから、これは裏取引なんだ。主役だけ見えればいい。我々は透明人間なんだ」と、マー長官は言った。
 「透明人間。外交局だけが透明なら、経済局は見えてもかまわないのか。勝手な」リュウ局長が吐き捨てた。
 「経済局は、トロイの木馬です。経済局の交渉が目立てば、この話は見えなくなる。そうでしょう。そして何より、アメリカは勝ち残るために、どちらの交渉も断れない」マー長官の目は自信にあふれていた。
 
 結局、経済局の二人は、この話を受けるしかなかった。というより、もとより断ることなどできない計画に経済局は巻き込まれていた。

 二人がマー長官の部屋を出ると、外に痩身の男が待っていた。「こちらへ」と男は二人を別の部屋に案内した。そこにはチョウ外務局員が待っていた。「お疲れ様でした。よろしくお願いします」と、彼は丁重に挨拶をした。 二人はあっけにとられた。先の強引な態度は微塵もない。
 二人の顔色からチョウは察しがついた。「先日は失礼しました。あれは、マー長官からアドバイスを受けていました」と、意外なことを言い始めた。「あなたがたは、あれから今日まで、どんなことを考えていましたか。私のことばかり考えていませんでしたか」と言って笑った。「怒りが、詮索を隠してくれたようですね」と続けた。
 リュウ局長はハッとした。そうか、思考停止を作るためにあんな無礼をしたのか。はめられたと思ったが、すべてが遅かった。

 チョウ外務局員は「トウ課長。あなたは私と同郷だ。だから出世し、大使館員になった」と唐突に言った。トウはあっけにとられて「同郷…、ですか」と言うのがやっとだった。
 リュウ局長は「同郷ですか。それはなによりですね。同郷の絆は固い」と言うと、「では、そろそろ失礼します。準備ありますから」と別れを言った。

 二人は外務局を後にした。雨は降り続いていた。リュウ局長は「あれは、ロン(龍)か」と独り言をいった。
 トウは「同郷とは、どういうことですか。局長まで」と、尋ねた。
 「トウよ、お前が課長になった。大使館員になった。なぜかと聞かれたら、どう答える」、「同郷だからという答えは、とてもいい答えだろう」
 「私は、成り上がりですか」
 「そう、成り上がりだ。成り上がりは警戒されない。相手にスキができる」

 トウは、自分が自分でないことを悟った。龍と同じ想像上の生き物、トウ課長、トウ大使館員がすでに誕生していることを知った。今日はそのための儀式の日だったのだ。




杜人

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