悠々time・・・はなしの海     

大学院であまり役に立ちそうもない勉強をしたり、陶芸、歌舞伎・能、カメラ、ときどき八ヶ岳で畑仕事、60代最後半です。

紅梅坂とニコライ堂界隈

2005-09-07 16:40:40 | 街の風景
<神田駿河台本郷通り>
神田駿河台三丁目・四丁目は本郷通りを挟さんでそれぞれが両側に
あり、本郷通りが広い道路のため余計に違和感がある。駿河台とい
えば一般的には、明治大学がある駿河台一丁目の方を指すことが多
いが、ここには本郷通りの中央分離帯の真ん中に、「駿河台」と書い
てあるだけの道路標識がありこれも何となく違和感がある。

ここ三・四丁目はお茶の水駅までの両側に大きなビルが建っており
お茶の水駅に向かって本郷通りの左側に高層の三井住友海上本社
ビルとその別館ビル、新お茶の水ビル、井上眼科等があり、広い通
りの右側には日立製作所本社ビル、全電通労働会館、龍名館本店、
などがあって、いつのころからかビル街になってしまった。


<静閑な通りが出現>
そのような感想を抱きながら歩いていたら、静閑でスッキリした
場所を見つけた。右側は三井住友海上の別館ビルで、ポストが見
えるところは1階の角で新お茶の水駅前郵便局、通りの左側は広
大な敷地に建つ高層の三井住友海上本社ビル



この通りは神田とか駿河台というイメージからほど遠いほど、静か
で気品のある通りに仕上がっている。真ん中遠方に高く見えるビル
は神田駿河台一丁目にある明治大学の新しく立て替えた校舎である。
この先の右側は日大病院、左側はお茶の水スクエアで、突き当たり
は明大通りである。



<紅梅坂>
この坂を紅梅坂というが何ともシャレた匂うような名前である。
何故かいつ行っても標識の脇に自転車とか、バイクが置いてある。
こんないい名前の標識の脇であれば誰も盗る人はいない、という
思いなのか。また、置いてある自転車がシャレていて絵になる。

この辺りは、昔、東紅梅町と云った。どういう理由か、「坂」自体は
昔江戸の頃「埃坂」と言ったが、明治維新後、淡路町の幽霊坂と
併せて「紅梅坂」と改称した。現在は、駿河台3丁目も4丁目も
広い本郷通りによって東と西に分割されているが、大正13年の
区画整理まではつながっていたのです。だから淡路町の幽霊坂と
も一本の道だったのです。
「千代田区町名由来板」
によると、紅梅町は紅梅の大樹があ
った紅梅坂の名称とともに誕生した町名
、と書いてあるから
矢張り、ここに匂うような紅梅があったのです。
この周辺も江戸時代は武家屋敷以外に高い建物はなかったので、
白梅で有名な湯島は目と鼻の先だったことを思うと、紅梅、白梅
の咲き誇る姿が見られた当時を想像するだけで楽しいですね。





紅梅坂のすぐ左手が、大きなドームのニコライ堂である。
前出の千代田区町名由来板によれば、幕末から日本で布教を行った
ニコライ大主教が7年の歳月をかけ、明治24年に完成させたもので
この街のシンボル的存在になっている、とのこと。国の重要文化財に
指定されているそうです。正式な名前は
日本ハリストス正教会教団復活大聖堂

<ニコライ堂>



これがJRお茶の水駅前にある「千代田区町名由来板」である。
上の図は、下の写真の中にある二枚の図の下の方の図を拡大し
たものであるが、現在地はJRお茶の水駅前のこと、安政三年
頃は現在の本郷通りの元になる道路はなかったことが分かる。

<駿河台の地名>
徳川家康の死後、直属の旗本・駿河衆が、駿河から江戸に戻
ってきたときにこの地に屋敷を構えたことから駿河台と呼ばれる
ようになった、とのこと。
<余談・火消し甲賀衆
これは「千代田区町名由来板」からの、また聞(視)きであるが、
駿河台3・4丁目周辺の明治時代の町名は、駿河台北甲賀町、駿
河台南甲賀町、駿河台東紅梅町と名付けられていたが、忍者で
有名な甲賀衆
が多く住んでいたからとも、また甲賀衆が勤める
火消し役屋敷があったからとも云われている、とのこと。私が目を
皿のようにして探したのですが、この図の中程にある紫色の屋敷
は「火消し役 斉藤左衛門 六千石」とありました。そういえば、
幕府の大名火消しとは別に、南町奉行大岡越前守が創設し、
20年の歳月をかけて創り上げた町火消しは伝馬町、本所、
深川が発祥の地
でしたね。

  江戸の火消し
http://park5.wakwak.com/~toshkish/hikesi03/hikesi03.html




<聖 橋>
左側の建物は、東京医科歯科大学で前の道は本郷へ続く本郷通り。
東京大学病院へはタクシーの前、橋の中程から始発バスが出ます。
聖橋といえば普通はアーチ形の写真を写すのですが、橋の上を歩く
と何の変哲もない橋に見えてしまいます。日本橋もそうですが、日本
人は効率的に活用はするのですが、いいものを残していくと言う意味
では文化的・美的・視覚的感覚が失われてしまいましたね。 しかし、
横から眺めると美しい独特のアーチ形が視られます。聖橋という名前
湯島の聖堂とニコライ堂の二つの聖堂を結ぶ橋だからだそうです。




<JRお茶の水駅>
左側手前には地下に入る入口があり、地下鉄千代田線の
新お茶の水駅改札口に通じている。
今日はこの辺で千代田線に乗って帰ることにします。ではまた。

tfref=document.referrer;
if(tfref==parent.document.URL)tfref=top.document.referrer;
tfref=escape(tfref);
tfurl=escape(document.URL);
document.write(' -->

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
紅梅坂 (pinoco_8)
2005-09-07 22:19:11
TBありがとうございました。

橋の名前の由来って面白いですね。

私の初詣・厄払いは神田明神なので、このエリアは

よく歩き回っています。

今気になるのは神楽坂エリアです。
返信する
紅梅坂 (pinoco_8)
2005-09-07 22:25:04
TBありがとうございました!

さきほど投稿したのですが、なぜか消えてしまいました。

二重投稿していたらすみません。

橋や坂の名前の由来って知れば知るほど面白いですね。

返信する
TBありがとうございます。 (Keiten)
2005-09-09 01:46:09
相互TBさせていただきます。

もう深夜なので、ブログはまた今度拝見させていただきますね。

ではまた。
返信する

コメントを投稿