😐 彬子さまは三笠宮家当主百合子さまの代わりに拝礼されたそうです。
気になるのは三笠宮家の長女、という表記。
寛仁親王は三笠宮崇仁親王から三笠宮家を継承しないままに薨去されました。
なので、厳密に言えば彬子さまは三笠宮家の長女ではなく、三笠宮寛仁親王の長女です。
三笠宮崇仁親王妃百合子さまが当主を務める三笠宮家の長女は近衛家へ嫁がれた寧子さまです。
何故、私が「三笠宮家の長女」に拘るかと言えば、もし、彬子さまが百合子妃の次の当主になられた場合、「天皇家の長女」愛子さまが次の天皇家の当主、すなわち天皇になることに何の不都合があるのかと考え出す人々が今以上に増えると予測できるからです。
三笠宮家の長女は寧子さま、彬子さまは三笠宮寛仁親王の長女でいらっしゃいます。
そこはキッチリと報道していただかないと「愛子天皇」派に与することになる。
本来三笠宮を継承して当主になることができるのは男系男子のみです。三笠宮家には男子がいらっしゃらないので、現在百合子さまが当主格として三笠宮家の祭祀と財産を管理していらっしゃるだけです。男系女子である彬子さまは当主格として三笠宮家を仕切ることができても三笠宮を継承するわけではない。
天皇家の長女愛子さまと三笠宮寛仁親王の長女である彬子さまは全く立場が違いますが「長女」「当主」という言葉に惑わされる人々、恣意的に惑わそうとする人々はいるでしょうね。
いや、もう「寛仁親王の長女」彬子さまを「三笠宮家長女」と書くことで、その遠謀深慮策は始まっているのかもしれない。
寬仁親王殿下の命日 十年式年祭に皇族方ご参列6/6(月) 17:03 産経新聞昭和天皇の弟である三笠宮さまの長男、寬仁親王殿下が薨去(こうきょ)して10年となった6日、東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地で十年式年祭の「墓所祭」が営まれた。天皇、皇后両陛下と上皇ご夫妻がそれぞれ派遣された侍従、上皇侍従に続き、寬仁さまの長女、彬子さまが墓前に進み、玉串をささげられた。続いて、三笠宮妃百合子さまをはじめとする皇族方が拝礼された。宮内庁によると、通常は三笠宮家当主の百合子さまが玉串をささげられるが、99歳と高齢の百合子さまの負担を考慮して宮家で相談し、今回は彬子さまが務められたという。
99歳の百合子さま。お疲れが滲んでいらっしゃるように見えます。
老いて、子に先立たれるのただただ辛いことだろうと思う。
😐 午前中、三笠宮邸と三笠宮東邸でそれぞれ寛仁親王十年式年祭霊舎祭が行われました。
三笠宮邸では彬子女王と瑤子女王が、故寛仁親王御家族のお住まいであった三笠宮東邸では三笠宮崇仁親王妃百合子さま、高円宮憲仁親王妃久子さま、承子女王が参列。御家族親族が場所を分けて霊舎祭(仏式なら法事)を行うという例は民間でもあまりない。
報道は豊島岡の墓所祭ばかりを報じて、霊舎祭には触れない。
信子さまはどうされたのか、も含めて裏話は週刊誌の役割か。