職場で、環境についての話があった。
ある資格(っていうのかな?)をとるための勉強会だった。
今の時代、どこでもあるようで、弟も中央防波堤の見学に行ったと言っていた。
今年度の取り組みについて、2月に監査が入り、質問されたりするそうだ。
そのときに答えられないと、結果がよくないようだ。
電気、水道の使用量2%削減だったかな
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あっ、すでに監査が来たら、アウトの発言「だったかな」
車の使用も削減・・・。あれ?昨年比何パーセント?
「エコアクション」など横文字がた~~~くさん並んで、
しかも、たくさんの数値目標に、言葉に疎い私は眠くなってしまった昨年度。
覚えているのは「付箋紙も、穴あけパンチのカスもみんなリサイクルできるから、取っておくこと」。
↑
それだけか???
そして、即、翌日から、机の横に紙袋を提げて、どんどん紙類は入れることにした。
お菓子やお弁当のごみは家に持ち帰るようにもなった。
それくらいの認識で、監査の時には私は忙しくて、ばたばたとしていて、
監査の人にも出会わなかった。
でも、今年は説明してくださった方が昨年以上に熱く語るので、
その「熱さ」にしっかり聞けた。
そして、万が一、私の発言で、資格が維持できなかったら…と思ったら、
聞かねばならないと思ってしまったのであった。
でもね、でもね、
「冷暖房の温度」「いないところの電気は消す」「紙類のリサイクル」
「無駄な印刷をしない」「節水に心がける」「公共機関を利用する」・・・
「夜、いつまでも電気をつけておかない(要領よく仕事をしろってことね)」
言っていることって、祖母が実践していたことに比べたら、甘い気がした。
3つの戦争、関東大震災を経験した祖母の日常生活は、そのまま見本になる。
おしょうゆだって、入れすぎると叱られて、
食後の小皿は最後にお漬物できれいにとり、洗ったように食べないといけなかった。
日曜日の「鉄腕ダッシュ」で城島君が時々やっているエコなお母さん、
あんな感じだものね。
あるものですべて賄う・・・。
母も、東京大空襲ですべてのものを失ってしまった経験がある。
電気は消すだけでなく、コンセントから抜かないと叱られたものだ。
水だって、野菜を洗った水ならば、庭の水撒きに使っていたし、
風呂の残り湯は洗濯、掃除などにばっちり使用。
究極?は、魚やイかを煮た汁で、根菜類を煮るなど、煮汁だって無駄にしていなかった。
布類も無駄にすることなく、ふきん→台ふきん→雑巾→外用雑巾→何かを捨てる時の水分をぬぐうものと、降格していっていた。
戦争経験からなのか?、ものは溜め込むほうだった母。
そして、私たち子どものものは何でも倉庫に入っていた。
(この処分に、今も悩んでいたりする私。
特に桐箱に入った冠婚葬祭用の各100枚からの食器類は
母の死後一度も開けていないし…)
自分の子どもの頃の思い出の品が何も残っていないことに対して、
相当ダメージがあったのだろう。
保育園時代のものから、全部とってある。
はい、「○○。おさぼり、○まで来い」という担任からの呼び出しメモも、
捨てているはずがしっかり取ってあった
私もしっかりケチ。
でも、そのケチって、ものを大切にしていることなんだよね。
↓
「地球にやさしい生活」なんだよね。
などと、振り返った私だった。