「星座」かまくら歌会 2015年6月 於)鎌倉生涯学習センター
「星座」の会員の歌会。尾崎左永子主筆の日本歌人クラブ大賞受賞を受けて、勢いづいてきた。出詠17名、参加16名。それぞれが特徴のある作品を出詠するようになってきた。
作者の位置がわからない、曖昧な表現がある、固有名詞などで固定観念が強すぎて生きていない、理屈に傾く傾向があるなど、工夫の余地はあるものの、それは、さらに1段階上の作品を目指せるものになってきた。
そしてその工夫の余地は、最終的には尾崎主筆が、好評するものの、参加者から指摘されるようになった。
結論を言ってしまっては説明になる。言い過ぎると作品として面白くない。言い足りないと一人よがりとなる。一般的ではなくて独自の切り込みをせよ。作品はのびやかに詠め。未熟な言葉は熟成させよ。好きな歌人を見つけ熟読せよ。毎回強調されることが指摘される。
だがそれらが知識ではなく、実作の中で判断し、それに活かすのは難しい。自分の作品を俎上に挙げて検討するのは、やはり価値がある。これは何者にも代えがたい。実践的な作品批評だ。
今回は新しい課題をあたえられた。「世に残った歌は読んでおけ。」近現代の秀歌は読んで糧にせよ、ということだ。
永田和宏著『近代秀歌』『現代秀歌』を読んだのは、方向性として正しかったと確認できた。近代短歌、和歌短歌の歴史の中で、秀歌と言われるものは、写実派の作品かどうかに関わらず読むのは、必要なことだろう。
今回は普段の歌会にはなかったことがあった。会の最初に尾崎主筆の受賞式の模様を、僕が報告したこと。
また会が終わったあとの懇親会では、戦争経験者から、戦争の悲惨さが語られた。
「東京大空襲では、焼け跡に転がった赤ん坊の死体を踏み越えて歩いた。だから安倍晋三のやっていることは許せない。戦争を知らない人間がことを弄んでいる。」
この言葉は身に沁みた。平和を希求する僕の原点は、祖父母が旧満州の引き上げ者で、戦争で人生を狂わせたことだ。大学で歴史学を学んだのもその影響があるかも知れない。
また別の参加者から、『大菩薩峠』の作者の中里介山が、戦時中の「文学報国会」に入会を勧められたが、「俺は百姓だ」と文筆活動をやめて、それを断ったことが紹介された。
戦争法案が審議されている時期だけに切迫感のある話だった。