・山上に水にじむ泥の平(たひら)ありて曇のなかに広くかたむく・
「群丘」所収。1957年(昭和32年)作。岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」106ページ。
佐太郎の自註がある。
「尾瀬沼を過ぎて菖蒲平へ出た。低地と違ふ山上なのに広い泥濘がある。自然には計り知れないほどの意味に充ちてゐる。平静な写実だが、下句に広い意味の主観がある。」(「及辰園百首自註」)
尾瀬は新潟・福島・群馬の3県にまたがる高層湿原(冬が寒冷のため枯れた植物が腐食せずに堆積する湿原)で天然記念物である。「菖蒲平」は「あやめだいら」と読む。尾瀬の南の山上に広がる1ヘクタールほどの湿原で湧水がある。「峠にある湿原」というおももちで、東西それぞれに更に高い山が聳えている。おそらくその山に降った雨水が湧くのだろうが、菖蒲平から山は見えない。だから山道をのぼって、その道を少しそれると急に視界が開け、湿原があらわれる。佐太郎のいう「計り知れないほどの意味」とはこのことだろう。
40年ほど前に実際に確かめたが、たしかに「自然の不思議」である。ワンゲル部の人の案内で地図をもってのぼった時のことだ。
ついでに言うと、ここの湧水は北へ流れ下れば日本海へ注ぎ、南へ流れ下れば太平洋へ注ぐ。いわゆる分水嶺である。
さらに言うと、ここには高原植物が花畑をつくっていて、登山者にとっては大変都合のよい休憩場所である。人間が踏み固めてしまって、1980年当時は湧水は枯れ、黒土が露わになっていた。それを復元しようと木道が作られ、その外は立ち入り禁止。高原植物が移植され復元が試みられていた。ここの教訓によって尾瀬沼・尾瀬ケ原全体の歩道に木道が整備されたと聞いた。
「尾瀬全体を菖蒲平のようにするな。」
これが山小屋の経営者ほかの合言葉だった。
と以上は1980年(昭和55年)に僕が実地に確かめた知識である。だが時に知識は短歌作品の邪魔をする。島木赤彦がその著書のなかで、大伴旅人の作品を批判しているのはこの点である。曰く、
「儒教の知識が邪魔をしている」。(「万葉集の鑑賞と其の批評」)
下の句の「曇のなかに広くかたむく」の「広い意味の主観」とは、こういう知識抜きで直感的に感じたものだろう。「かたむく」に驚きと発見がこめられている。ただ上の句の表現は佐太郎には珍しく言葉足らずの感がある。「湿原」という漢語を用いれば、もう少し印象鮮明になると思う。「平(たひら)」という語句を使っているから、漢語を避けたのだろう。だがここは漢語を使うべきだったと僕は思う。
ちなみに菖蒲平は復元がすすみ、今は湧水が蘇り植物も移植できたという。もとの分水嶺にも戻ったことだろう。