岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「ぶぶ漬け」の味

2010年05月06日 23時59分59秒 | 日本語をめぐって
京都で知人の家にお邪魔して「ぶぶ漬けでもいかが?」といわれたら、それは「そろそろ帰っていただけませんか」と言う意味だと聞いたのは何時だっただろうか。

 客がきていてそろそろ帰って欲しいと思ったときに、それを口に出すのはまことにやっかいである。その点「ぶぶ漬けでもいかが?」という表現は首都圏に住む僕には奥ゆかしく感じられる。

 ところが先日何とも言えないエッセイを読んだ。タイトルは「ぶぶ漬けの味」。
 京都に旅行した折に、
「ぶぶ漬けでもいかがどす?」と言われ、喜んで御馳走になった。その優しさ、その「ぶぶ漬け」の味が忘れられない。という旅行記だった。

 「それは、そろそろお帰りいただけますか」という意味で、「いいえ、そろそろ失礼します」と帰り支度をしなければいけないのです、と筆者に言いたかったが、それより先に驚いた。まあもっと驚いたのは、「ぶぶ漬け」を作るはめに陥ったその家の人だったろう。

 テレビの普及で標準語がスイッチひとつで聞けるようになって、かなり方言や地方の習慣が薄れつつあるという話も聞く。言葉や習慣のもつ地方色がなくなっていくのは何とも寂しい。

 昔、薩摩藩では幕府の隠密が容易に入らないように、難解な薩摩弁を作ったという。また標準語のもととなった江戸弁は全国の大名が集まる江戸の共通語として作られたものと聞いたこともある。

 言葉には歴史が刻印されている。




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