岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「社内公用語」とスクールイングリッシュ

2010年09月20日 23時59分59秒 | 外国語教育の現場から
国内の複数の企業が、英語を「社内公用語」とすると発表して話題になっている。事業の国際展開を視野に入れてのことだそうだが、「日本企業が多国籍化する」ということであり、時代の趨勢だろう。

 このことに関してある人が、テレビで次のようなことを言っていた。短い番組だったので論点は絞られていた。

 1・企業活動のグローバル化に伴うもので、避けられないことだ。

 2・多くの企業が、英語を母語とする人と同等の英語能力を求めているのではなく、「日本語訛り」でよいから、意思の疎通が可能なレベル、TOEICでいえば600点の水準で十分だとしているので、安心している。

 3・英語を「仕事のツール(道具)」として考えていくことが必要だ。

 4・学校教育のカリキュラムも手直しを必要とされるだろう。企業内の研修・サポート体制の整備も必要だ。

 僕はこのうち3・4が気になった。

 先ず3について。

 この人は、英語教育専門の大学の研究者である。当然、中学高校と英語は得意科目だったろう。「仕事のツールとして英語を学ぶ」というが、「ツール」として学ぶことほど苦しいことはない。むしろ逆である。

 「ああ俺の英語通じているぞ。」と頭のてっぺんから足の先まで電気が走るような感覚。これが英語を習得するときの強い意欲に結びついたというのが、僕の経験則である。中学高校で習った英語力を総動員して40分英語を話し続けた。正確に言うと、中学教科書の基本文レベルの短文を、「瞬間的に連続英作文」し続けた40分だった。

 逆に何か他の目的のために習得せざるを得ないというのは、苦痛以外の何物でもない。英語によるコミュニケーションの楽しさというモチベーションを高めるのが第一であると思う。だからこそ「ツール」になるのだ。興味のない人が義務で習得しなければならないのは苦しいだけである。

 次に4。僕の場合「瞬間的連続英作文」を支えたのは、「スクール・イングリッシュ」だった。それで十分とは言わないが、中学の基本例文。1500語程度のボキャブラリーは不可欠である。その上での「カリキュラムの工夫」「企業内研修」だろう。

 「使える英語」を目指して英語教育の中身は、しばしば変わってきた。30年間中学生高校生に英語を教えてきたが、学年により内容に濃淡があった。盛りだくさんの内容を教えた学年も、教科書の内容が薄く「会話の授業」が重視された学年もある。このうち生徒の将来に好影響をあたえるだろうと感じたのは、内容盛だくさんの教科書を使っているときだった。内容の乏しかった学年の卒業生は難儀をするかも知れない。

 番組の最後に、実際に英語を社内公用語にしている企業の日本人従業員のインタビューがあった。

「私は英語が特別得意ではなかったのですが。何とかなるものです。」

だがよく考えれば、海外に事業展開するほどの企業の入社試験に合格した人のことである。どの程度「得意でなかった」のか分かるだろう。

 再び言おう。「スクール・イングリッシュ」大いに結構だ。「スクール・イングリッシュ」で習得した文法力や単語力が全ての基本である。TOEICスコア600は、高校英語の文法、語彙2000は必要だ。

 短歌作品でも、語彙の豊富な歌集は魅力がある。




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 佐藤佐太郎46歳:河口の静... | トップ | 齊藤茂吉43歳:「出家遁世... »
最新の画像もっと見る

外国語教育の現場から」カテゴリの最新記事