岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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古都、奈良の歌:会津八一の短歌

2010年02月28日 23時59分59秒 | 私が選んだ近現代の短歌
・くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の かげ うごかして かぜ わたる みゆ・

 「山光集」所収。

 会津八一の短歌は「平仮名表記」「一字アケ」で知られる。短歌が「和歌」と呼ばれた前近代から、和歌はカナ文字の連綿体でかかれるのが本来的なものであった。いわゆる「続け文字」である。平仮名には独特の美しさやたおやかさがある。作者は奈良古美術の研究者だけに、そのあたりのことを考慮したのだろう。

 ところが、活字印刷が普及し識字率も上がってくるとカナ書きでは読みにくい。そこで一字アケとなったのである。単語を一つの単位として「一字アケ」を用いている。現代では既に読みにくくなっているので、漢字仮名まじりの表記にしてみる。

・観音の白き額に瓔珞の影うごかして風渡る見ゆ・

となる。仏殿ないの観音像を詠んだものだ。(「瓔珞・ようらく=仏像または天蓋の飾り」)

 風はもともと見えないものだ。しかし、観音像の白い額につるした飾りの影が動いて風が吹いてくるのがみえる。ここに詩的把握がある。

 「うごかして」と風を擬人化しているところが、その把握を確かなものにしている。

 会津八一は1881年(明治14年)生まれ。斎藤茂吉の同世代である。5・7・5・7・7の詩形がようやく「短歌」と呼ばれるのが定着し、旧派和歌を乗り越えてきた時期である。ものの見方、表現方法に工夫が見られる。

 これも近代短歌の試みのひとつだったのだろう。




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