NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公は、吉田松陰の妹である。今までほとんど注目されなかった人物だけに内容に興味を持った。。吉田松陰が「国難に対峙する人物」として描かれているのもドラマだ。
しかし明治維新は、そう単純なものではない。ドラマを見ると、どうしても主人公に感情移入するから、虚像ができやすい。
歴史学の立場からは、明治維新はどう評価されているのだろうか。こうした疑問をもつのは、明治維新で成立した新政府が、幕藩体制という封建制を打破した反面。アジア諸国を侵略し、のちにファシズムに繋がっていくからだ。歴史学では、明治維新によって成立した国家は「絶対主義的天皇制」と呼ばれる。
歴史学者の著書から引用しよう。
「政府は・・・欧米の圧迫からの民族の独立という課題を、隣邦朝鮮中国への侵略と結びつけた。欧米には『信義』をたてるという名で従属しながら朝鮮、中国の侵略をめざすというのは、幕末の長州藩士の指導者吉田松陰が説いたところである。」
『日本の歴史』(井上清著)
「当時の世界史が、後進国民族に課した条件は、植民地化か、絶対主義的独立か、ブルジョア革命的独立かの、三つの可能性を含んだものであった。」「絶対主義への道は、ブルジョア革命への道に比し独立と近代化が、より不徹底たらざるをえなかった。」
『明治維新と現代』(遠山茂樹著)
「明治維新を高く評価する見方、、、工業化の成功と、それを基礎とした独立の維持ということにおかれている場合がほとんどである。だが、それらの成功と裏腹に、政治的近代化=民主化が、ひどくたちおくれたままになった事実と、その結果きわめてはやくから対外侵略がはじまる事実を、われわれは同時にしっかりと直視する必要がある。」
『開国と維新』小学館体系日本史12巻(石井寛治著)
明治維新は、ペリーの来航から大日本帝国憲法の制定までが、広義の明治維新と呼ばれる。この過程で成立した「明治国家」は国民の権利を制限し、議会が天皇の輔弼機関と位置付けられた専制国家だった。この期間に日本は産業革命を達成し、独占資本主義国となった。
欧米との大きな違いは「上からの資本主義化」ということだ。例えばイギリスでは、産業革命に先立って、市民革命があった。清教徒革命と名誉革命だ。国王の不当な課税に反対する、商工業者(市民)と、国王に不満を持つ貴族が、王党派に対して起こしたのが、清教徒革命。のちに復活した王政に、市民が反対したのが、名誉革命だ。イギリスの特質は貴族が革命側に立ったことだろう。王政は残存したが、国王の権力は著しく制限された。
現在でも王政が続き、貴族の末裔もいる。だが身分制度は排された。その経済活動の自由が産業革命となった。これには数世紀に及ぶ期間を要した。
日本はこの、市民革命の課題と、産業革命の課題を短期間に達成する必要があった。そこで「上からの産業革命」が行われたのだ。ここには変革という一面がある。だが「上からの産業革命」を達成するのに、日本は、帝国主義、専制主義の道を選択した。ここで考える必要があるのは、他に選択肢がなかったかという問題だ。
この時期は、世直し一揆、農民一揆が続発した。封建制からの脱却を求める、民衆のエネルギーは大きかった。これらを統合すれば、市民革命も可能だったろう。しかし維新政府を創設した、西南雄藩の下級武士出身の官僚は、市民革命に背を向けたまま、民衆のエネルギーだけを利用した。高杉晋作の設立した奇兵隊がその例である。奇兵隊は幕末維新に軍事的に寄与したが、明治政府成立後に弾圧解散させられた。奇兵隊のかつての司令官の山県有朋は弾圧する側にまわった。
しばらく後の、自由民権運動への激しい弾圧にも、民衆に背を向けた立場が現れている。歴史に「IF」はないと言われるが、明治維新が市民革命となりうる可能性、すなわち歴史学者の言う「歴史の可能性」はあったと言えよう。
この明治維新を歴史修正主義の論者は手放しで賛美する。現代の保守政治家は、多くが明治維新の元勲に連なる。大久保利通の孫娘の夫が吉田茂、その孫が麻生太郎、麻生の義父が鈴木善幸、吉田の娘婿の甥が岸信介と佐藤栄作、岸の孫が現総理の安倍晋三だ。しかもその周辺に財界や業界の大物がいる。
「市民に背を向ける」のは、先祖譲りだろうか。
NHKの大河ドラマの歴史観には問題があるだろう。
