岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

悲しい夕餉(白き独活)の歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月17日 01時20分42秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・悲しみをもちて夕餉に加われば心独りに白き独活食む

  「さるびあ街」所収

 悲しみの歌だが、まず表現の限定が効いている。「表現の限定」とは余剰の捨象だ。誰との夕餉かが省略されている。場所も省略されている。つまり「悲しみ」という感動の中心が一点に絞られているのだ。佐藤佐太郎の「純粋短歌論」の核心。

 次に象徴性が効いている。「夕餉」「白き独活」これが、感動の中心を際立たせている。「昼餉」や「大根」と入れ替えればわかりやすい。特に「白き独活」。独活という漢字には、孤独の独の文字がはいっていて、あの独特の食感が孤独を際立たせ、「白き」は食用の独活では自明のことだが、あえてそれを入れることで「心の空白」に思いは及ぶ。心には形がない。だから具体的なものに仮託するのだ。これが象徴である。

 佐藤佐太郎の短歌を「象徴的技法を駆使した写実歌」と呼んだのは岡井隆だが、「表現の限定」とともに、作者が佐藤佐太郎から引き継いだ表現方法。表現方法は引き継ぎつつ、作品に独自性がある。それを感じさせる一首だ。




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