岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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齊藤茂吉43歳:偶像の崩れるのを詠う

2010年08月01日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
・偶像の黄昏などといふ語も今ぞかなしくおもほゆるかも・

 「ともしび」所収。1925年(大正14年)作。

 先ず読みから。「黄昏」は「こうこん(くわうこん)」と読む。もともとの意味は「たそがれ」。「偶像の黄昏」というのだから、偶像が色褪せる、又は偶像が崩壊しようとしているということ。作者自身の偶像の場合、「心の支えを失う」という意味になる。

 それから「語」。これを作者は「こと」とルビを振っている。「言葉」と考えてよいと思う。「こと」と読んだのは、音数の調整のためだろう。

 すると歌意は次のようになる。

 「偶像が色褪せようとしている。この言葉も今悲しく思われることだ。」

何だか受験参考書の解説文のようになってしまったが、先ずは正確に。

 この偶像が何を指しているかについて作者は何も語らない。「作歌40年」にもとりあげていない。茂吉自身が「秀作」とは考えていなかったからか。確かに、初句の漢語・二句の「黄昏」の読み・三句の「語」の読みなど唐突であり、下の句のやや古風な表現ともマッチしない。

 が、茂吉の心の中で何かが起こっていることは確かだ。偶像が色褪せて行く。つまり、今まで信じていたか、心を寄せていたものが崩れ始めているのである。

 こういったことは、誰しもが経験することだろう。茂吉は心の平衡を失っている。それが「今こそ悲しい」というのだ。大正デモクラシーの時代は終わろうとしている。間もなく昭和の恐慌が始まり、満州での軍事的緊張も高まる。やがて満州事変も起ころうという頃である。

 形のない不安が世の中を覆う。そういう時代の気配を茂吉は感じ取っていたのかも知れない。芥川龍之介が「お時儀」を発表し、「薄明るい憂鬱」をテーマにしたのも、このころである(1923年・大正12年)。文学者の感性のなせるわざではなかろうか。





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