岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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黄薔薇の歌:尾崎左永子の短歌

2022年10月12日 22時05分27秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・ためらひもなく花季(はなどき)となる黄薔薇何を怖れつつ吾は生き来(こ)し

 「尾崎左永子八十八歌」所収。

刊行年2015年の段階での自信作を収録したもの。来し(「きし」と読まず「こし」と読むには佐太郎門下に共通、「自己凝視」の深さは佐太郎ゆずり。だがこのように鋭い感覚の「自己凝視」は作者独自性だ。

 「黄薔薇」(きばら・きそうび)のどちらでも「字足らず」それでも下の句は定型だからきちんと収まる(きばら・短か過ぎ、きそうび・ならば「自己凝視の屈折した心情を表現できる」。或いは(こうそうび)これなら定型になる。多分これだと思うが、作者が元気なうちに確認しておくべきだった。

 佐太郎に学び、同じ佐太郎門下でも独自性が出せるのだ。そんなことを考えさせられる一首だ。





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