・街かげの原にこほれる夜の雪ふみゆく我の咳ひびきけり・
「あらたま」所収。1916年(大正5年)作。
孤独である。「こほれる夜の雪」(凍った夜の雪)・「咳」。寒い夜に凍った雪を踏む音と、咳の響く音が聞こえるようで、「寂しい・孤独・一人」と言わずにその全てを表している。そこが象徴的であり、暗示的である。事実だけを述べているようで、その奥にふかい自己洞察が見える。
「赤光」から「あらたま」への変化は「悲し」から「さびし」への変化と言われるが、もう一つ。「茂吉の二重性」のひとつ疎句が少なくなっているのが、特徴としてあげられる。「涙と鶴の頭」「ゴオガンの自画像と山蚕(やまこ)を殺した記憶」「上海の戦いと鳳仙花」「雌鶏と剃刀研人」。これらの神秘的統合(西郷信綱「斎藤茂吉」)、常識的にいえば脈絡のないふたつのものを強烈な印象で結びつける手法はここにはない。「赤光」の悲しみは号泣であったが、「あらたま」のさびしさは静かで深い。この辺りのことを「茂吉豹変」と塚本邦雄は呼ぶ。
「青春のほしいままの主観の表白が抒情的であるのか、それを超えて敬虔に自然に即き、さらに大いなるものを見ようとするのか、その岐路を過ぎて茂吉はこういう< あらたま >の世界にふみだして行った・・・」とは長沢一作の書いたところである。
様々に評されるが、僕は「疎句にみられる二重性」から「一気に読み下す歌体」への変化と捉えている。そこには勿論、「情感の深い沈潜」なる変化があった。
「狂人守」・「葬り火」・「死にたまふ母」・「おひろ」「おくに」の相聞の一連といったものを通りぬけて達した境地が、「あらたま」にはある。