今年の神奈川シニア連合の研修旅行は神奈川シニア連合発足25周年を記念しバス2台で各産別組織から74名(内NTT労組退職者の会18名)が参加し長野県にある「満蒙開拓平和記念館」と国登録有形文化財になっている「杵原学校」の視察を中心に10月16日~17日迄の一泊2日で行われました。
16日は毎回の集合場所であった横浜駅西口天理ビル前は7月から観光バスの駐車が出来なくなりバスの発車場所が東口にある線路沿いの道路となった為に集合は横浜駅北口の“きた通路”となり私は市営地下鉄で来たが横浜駅西口は全面的に改装中だったので“きた通路”に辿り着くまで通行人に尋ねました。
こんな関係でバスは当初の時間より5分遅れの8時20分に雨の中を保土谷バイパス、東名高速、圏央道、中央高速、長野道を走り、塩尻ICで国道19号線に入り車窓からは周囲の景色は雨で霞んであまり見えなかったが道路沿いにある多数の葡萄・林檎等見ながら昼食場所の「道の駅ならはら」で昼食を摂りました。
そして、昼食後に最初の見学先である中山道「奈良井宿」を色とりどりの傘をひろげて散策しました。ここの散策は1995年5月に支部協の行事で「木曾路の旅」として34名が参加した以降2度目となりました。
散策後は昼神温泉の近くにある「満蒙開拓平和記念館」に向けて出発。途中、ほんの少し色づいた景色を車窓から眺めながら15時35分に満蒙開拓平和記念館に到着。入館前に集合写真を撮りました。
ここでは写真撮影が禁止となっていたので、配布された資料の「証言~それぞれの満州~」を紹介します。
1、Aさん1929年(昭和4年)生まれ
14歳で満蒙開拓少年義勇軍として満州へ、所属した頓所中隊(長野県)は終戦の年の春にソ連国境の訓練所に配備され、逃避行と収容所生活で190人のうち半数以上が犠牲となる。
2、Bさん1924年(大正13年)生まれ
17歳の時に岐阜県黒川村開拓団に隣村から参加し一家6人満州へ、終戦後、両親を亡くし妹弟3人を連れて引き揚げ、戦後の厳しい時代を生き抜く。
このように13名の方の証言が書いてありました。
今回NTT労組退職者の会の会員で実体験をした方が参加し、夕食の交流会の場で一部体験談を語りました。ちなみに引揚船に乗った場所は「中国・葫蘆(コロ)島」とのこと。
視察後は、宿泊先の“美人の湯”昼神温泉グランドホテル天心に向かいました。ここのホテルも2度目で2000年5月に支部協行事「伊那路と天竜川舟下り」で39名が泊まりました。16時50分にホテルに到着。18時30分から夕食は恒例の産別交流を行いカラオケ等で盛り上がり、体験談を話した会員の所では退職女性教職員の会会員の方3名が熱心に話を聴いておりました。20時40分に締めとなり、その後各部屋で延々と交流が続いておりました。
二日目は、8時45分にホテルを出発し、8時58分に杵原学校に登校。昭和24年に建造された木造平屋の教室で歴史と音楽の授業を受けました。音楽の時間では、神奈川シニア連合混成合唱団が童心に帰り小学唱歌「ふじの山」と「ふるさと」を息を合わせて斉唱し、(ユーチューブに歌声があります)国登録有形文化財「杵原学校」から卒業証書を頂きました。最後に先生から「春には、卒業生として樹齢80年の枝垂れ桜を見に再訪を」との事でした。
そして、飯田水引美術館に移動し、水引で作られた若貴が使っていた化粧まわし、神輿や鎧など素晴らしい作品を見学した後、
帰路に向かいました。途中、諏訪ICのインターを出て峠の釜めし「おぎのや」で昼食休憩、13時15分おぎのやを出発し、雨上がりの道路沿いの車窓を眺めながら昨日から持参している焼酎を数人で飲みながら横浜駅西口に16時10分に無事到着しました。参加者は、大きく膨れた荷物と思い出を土産に、それぞれの自宅へと向かいました。お疲れ様でした。
※下線はリンクしています。
(野中美久記)