「第23回長崎平和フォーラム」に参加して
退職者の会会長 磯村成子
かってから「長崎平和フォーラム」に参加したいと思っていましたところ、NTT労組退職者の会中央協から枠をいただき参加させていただきました。
次のスケジュールで実施されました。
8月7日(火) 連合・原水禁・核禁会議主催「核兵器廃絶2012平和ナガサキ大会」
8月8日(水) 情報労連「第23回長崎平和フォーラム」
○ 被爆者体験談: 永野悦子さん
○ 全員参加企画「ナガサキ発・平和行・地球号」
○ 構成詩「風化に抗してPart22」
○ 被爆遺構めぐり
8月9日(木) ○ 原爆資料館見学
○ 被爆後67年電気通信労働者原爆被爆死亡者慰霊式
その中で永野悦子さんの被爆体験談は、当時、16歳の女学生で勤労奉仕のため、爆心地から2.8kmの所に居て助かったが「長崎は危ないから鹿児島の祖父母のところへ疎開させていた弟と妹を“此処に居たい”と言うのを無理矢理、自分が連れ帰ったために被爆して、亡くなってしまった」その後、お母さんが亡くなる直前まで、母娘の会話がシックリしなかったとのことでした。
その当時10歳だった私は9歳で東京の学校から平塚の父の実家へ疎開したこと。
その後、父が戦死したこと・疎開先の小学校で、いじめに逢ったこと・食べ物が無かったこと等々、想い起されて涙なしには聞いて居られませんでした。
◎ 全員参加企画では、600名位の参加者が鶴の折り紙を折り「ナガサキ発・平和行・地球号」に想いを託しました。
◎ 構成詩「風化に抗したPart22」では100名位の老人・母子・若者が詩を読み、
参加者皆で歌を唄いました。
◎ 被爆遺構めぐり
・城山国民学校跡(城山小学校)→・平和公園(平和記念館)→・如巳堂→・浦上天主堂鐘桜ドーム→・一本鳥居→・立山指令部跡→・女神大橋→・海魂の碑(WEマリン献花)
平和記念像は、国内外や小・中学生らの募金と付近に散乱していた原子瓦を売って被爆
10周年に完成したが、当時の被爆者は原爆症との闘いで仕事も出来ず、医療費の援助も
ない中で苦しんでいました。
その中で、ある被爆者はこう言ったとのことです。
「巨大な平和像はいいけど、そのお金で何とかならなかったのか、石の像は食えぬし、
腹の足しにはならぬ。さもしいと言って下さいますな・・・と」
☆最後に3日間、行動に参加して印象に残ったことは
高校生平和大使の報告決意の中で「私達は微力だけれど、無力ではない」という言葉に
若者たちの力強さに感動しました。
また、情報労連の若いスタッフの皆さんのキビキビした行動、私たち参加者、特に高齢
者に対する心配り等に頼もしさを覚えるとともに、これならば「戦争・被爆体験者が一人
も居なくなった後でも、この運動を風化させることなく立派に引き継いでくれるだろう」
と安堵の念で一杯になりました。
現地で準備、お世話下さった皆様、大変ありがとうございました。