神奈川シニア連合では、02年沖縄平和学習の旅、03年秋の道東と北方領土を望む旅、04年知覧平和学習と南九州の旅、05年ヒロシマ平和学習と四国の旅、06年ナガサキ平和学習と中九州の旅を実施してきました。今年も12月4日から6日まで瀬戸内海にある山口県周南市大津島にある「人間魚雷回天」の記念館での学習を主としプラス萩・秋吉台の旅を実施しました。参加者は神奈川シニア連合全体で45名(内NTT労組退職者の会から27名)が参加しました。
4日12時ANA693便で山口宇部空港に着き2台のバスに分乗しNTT労組退職者の会で1台を占有し、先ず秋吉台のカルスト展望台から3億5千年前の多数のカルストを見る。その後、秋吉台の地下100M、その南麓に開口する東洋屈指の大鍾乳洞「秋芳洞」に下りコースである黒谷口から入り1キロの洞窟内を約40分かかって見学した後、今夜の宿泊地萩市の地下2000Mから湧く温泉の宿「萩本陣」に16時着く。宿には「湯の丸」と言うネーミングで多くの温泉浴場があり18時からの懇親会迄ゆっくり浸る。18時から私の司会によりシニア連合福田顧問、連合神奈川・名倉さんの挨拶の後、許斐前事務局次長の乾杯で懇親会(宴会)となりカラオケ等で20時まで各産別交流を行う、締めは恒例の「青い山脈」を全員で合唱。
秋芳洞正面入口(今回は出口)
5日ホテルを8時30分に出発し近くの松陰神社、松下村塾、菊屋横丁散策、萩博物館など幕末、維新にかけて日本を変えた人の足跡を学習し、萩焼窯元で昼食を摂り、その後山口市の国宝「瑠璃光寺五重塔」を見学後、15時30分頃今夜の宿泊地湯田温泉「西の雅 常盤」に着く。18時の懇親会迄時間があるので湯田温泉にある五カ所の足湯の一つに行った後、ホテルにある多くの温泉浴場で侵る。
18時から2日目の懇親会となり、シニア連合2名の女性幹事の乾杯音頭で宴会が始まり前日と同様カラオケ等で盛り上がる。最後は全員で唱歌「故郷」を歌い締める。その後20時45分からホテルの女将の独壇場である「女将劇場」を観劇し、太鼓、古典芸能「蝶の舞い」、マジックショー、まつけんサンバの踊り等女将の
一人舞台を約1時間見る、女将の頑張りに頭が下がった。まつけんサンバには仲間のTさんも引っ張り出されて女将達と一緒に踊った。
木戸孝充旧宅(桂小五郎)前でNTTのお仲間
山口市・瑠璃光寺五重塔前でNTTのお仲間
ホテルの女将劇場に出演のTさん
6日はホテルを8時15分に出発し目的地である大津島に向かう。徳山港を10時
のフェリーに乗り10時45分に大津島に着き、回天記念館で、周南市教育委員会回天記念館の松本社会教育指導員から30分間話を聴き、回天に関する関係者の証言30分のビデオを見た後、資料館、回天発射基地跡等を見学した。
14時頃徳山市内で25分間位の昼食時間で山口宇部空港16時30分発JAL698便で17時55分羽田に着き、本研修旅行は終了した。(野中美久記)
回天記念館の碑の前で
潜水艦に搭載されている回天の写真
最後に回天記念館の説明員から次のメッセージを全員がいただきました。
神奈川シニア連合の皆様、本日は回天記念館をお訪ねいただきありがとうございました。晩秋に入り紅葉が最も美しい季節となりました。北の方では雪が降り始めてきており、皆様の地にも、もう直ぐ冬将軍が到来いたしましょう。
ここ大津島は国を守るため悲しい歴史を辿った島ですが、今は平和の発信地として、世界の人へ呼びかける島となっています。
今から60有余年前、家族を愛し、人を愛し、郷土を愛し、このような形で国を守り尊い命を捧げられました。私たちは今、当たり前のように平和な世の中に住んでおりますが、決して過去を忘れてはなりません。
私たちは、このことを教訓として二度と戦争をおこしてはなりません。
回天に生きた人たちは平和が訪れることを信じ、危険な訓練もし、ただ純粋にかけがえのない命を捧げ死への道へ旅立たれたと思うのです。
戦争の悲惨さを後世に語り、再び戦禍にまみえることのないよう人命の尊さと、平和の大切さを発信出来ればと思います。
多くの人が各地のこのような施設を訪ね、戦争の悲惨さ、命の尊さ、平和の大切さ、有りがたさを肌で感じていただければと思います。
皆様とご一緒に過ごした時間はほんの僅かでしたが、一期一会と申します。皆様にお会い出来た、今日という日を大切にしたいと思います。
満足いく御案内は出来ませんでしたが、少し「人間魚雷回天」のことを知っていただけたことと思います。
昭和20年6月生まれの私が皆様方にお話するのは大変失礼と思いながらも、皆様には稚拙な話にも耳を傾けていただき感謝申し上げます。
先日より歯を悪くしており、ものも言えない状況でした。そんな中で、十分な御案内出来ませんでしたことお詫び申し上げます。
又、いつか大津島のこと、回天記念館のことを思いだしていただければ幸いでございます。今日は本当に有り難うございました。
今から寒い季節へと移っていきますが、どうか皆様体調を崩されませんようにご自愛くださいませ。
平成19年12月6日
周南市教育委員会 回天記念館
社会教育指導員 松本紀是
「資料より」
回天特別攻撃隊への志願
終戦までに訓練を受けた回天搭乗員は1,375人にも及んだ。
そのほとんどが兵学校、機関学校出身の若者、学徒や学生出身の
予備学生、20歳に満たない予科練出身者たちだった。年齢も
17歳から多くても28歳、大多数は20歳前後の若者であった。
回天による戦没者は、搭乗員、整備員他145名、没時の平均年齢
は21,1歳である。
4日12時ANA693便で山口宇部空港に着き2台のバスに分乗しNTT労組退職者の会で1台を占有し、先ず秋吉台のカルスト展望台から3億5千年前の多数のカルストを見る。その後、秋吉台の地下100M、その南麓に開口する東洋屈指の大鍾乳洞「秋芳洞」に下りコースである黒谷口から入り1キロの洞窟内を約40分かかって見学した後、今夜の宿泊地萩市の地下2000Mから湧く温泉の宿「萩本陣」に16時着く。宿には「湯の丸」と言うネーミングで多くの温泉浴場があり18時からの懇親会迄ゆっくり浸る。18時から私の司会によりシニア連合福田顧問、連合神奈川・名倉さんの挨拶の後、許斐前事務局次長の乾杯で懇親会(宴会)となりカラオケ等で20時まで各産別交流を行う、締めは恒例の「青い山脈」を全員で合唱。
秋芳洞正面入口(今回は出口)
5日ホテルを8時30分に出発し近くの松陰神社、松下村塾、菊屋横丁散策、萩博物館など幕末、維新にかけて日本を変えた人の足跡を学習し、萩焼窯元で昼食を摂り、その後山口市の国宝「瑠璃光寺五重塔」を見学後、15時30分頃今夜の宿泊地湯田温泉「西の雅 常盤」に着く。18時の懇親会迄時間があるので湯田温泉にある五カ所の足湯の一つに行った後、ホテルにある多くの温泉浴場で侵る。
18時から2日目の懇親会となり、シニア連合2名の女性幹事の乾杯音頭で宴会が始まり前日と同様カラオケ等で盛り上がる。最後は全員で唱歌「故郷」を歌い締める。その後20時45分からホテルの女将の独壇場である「女将劇場」を観劇し、太鼓、古典芸能「蝶の舞い」、マジックショー、まつけんサンバの踊り等女将の
一人舞台を約1時間見る、女将の頑張りに頭が下がった。まつけんサンバには仲間のTさんも引っ張り出されて女将達と一緒に踊った。
木戸孝充旧宅(桂小五郎)前でNTTのお仲間
山口市・瑠璃光寺五重塔前でNTTのお仲間
ホテルの女将劇場に出演のTさん
6日はホテルを8時15分に出発し目的地である大津島に向かう。徳山港を10時
のフェリーに乗り10時45分に大津島に着き、回天記念館で、周南市教育委員会回天記念館の松本社会教育指導員から30分間話を聴き、回天に関する関係者の証言30分のビデオを見た後、資料館、回天発射基地跡等を見学した。
14時頃徳山市内で25分間位の昼食時間で山口宇部空港16時30分発JAL698便で17時55分羽田に着き、本研修旅行は終了した。(野中美久記)
回天記念館の碑の前で
潜水艦に搭載されている回天の写真
最後に回天記念館の説明員から次のメッセージを全員がいただきました。
神奈川シニア連合の皆様、本日は回天記念館をお訪ねいただきありがとうございました。晩秋に入り紅葉が最も美しい季節となりました。北の方では雪が降り始めてきており、皆様の地にも、もう直ぐ冬将軍が到来いたしましょう。
ここ大津島は国を守るため悲しい歴史を辿った島ですが、今は平和の発信地として、世界の人へ呼びかける島となっています。
今から60有余年前、家族を愛し、人を愛し、郷土を愛し、このような形で国を守り尊い命を捧げられました。私たちは今、当たり前のように平和な世の中に住んでおりますが、決して過去を忘れてはなりません。
私たちは、このことを教訓として二度と戦争をおこしてはなりません。
回天に生きた人たちは平和が訪れることを信じ、危険な訓練もし、ただ純粋にかけがえのない命を捧げ死への道へ旅立たれたと思うのです。
戦争の悲惨さを後世に語り、再び戦禍にまみえることのないよう人命の尊さと、平和の大切さを発信出来ればと思います。
多くの人が各地のこのような施設を訪ね、戦争の悲惨さ、命の尊さ、平和の大切さ、有りがたさを肌で感じていただければと思います。
皆様とご一緒に過ごした時間はほんの僅かでしたが、一期一会と申します。皆様にお会い出来た、今日という日を大切にしたいと思います。
満足いく御案内は出来ませんでしたが、少し「人間魚雷回天」のことを知っていただけたことと思います。
昭和20年6月生まれの私が皆様方にお話するのは大変失礼と思いながらも、皆様には稚拙な話にも耳を傾けていただき感謝申し上げます。
先日より歯を悪くしており、ものも言えない状況でした。そんな中で、十分な御案内出来ませんでしたことお詫び申し上げます。
又、いつか大津島のこと、回天記念館のことを思いだしていただければ幸いでございます。今日は本当に有り難うございました。
今から寒い季節へと移っていきますが、どうか皆様体調を崩されませんようにご自愛くださいませ。
平成19年12月6日
周南市教育委員会 回天記念館
社会教育指導員 松本紀是
「資料より」
回天特別攻撃隊への志願
終戦までに訓練を受けた回天搭乗員は1,375人にも及んだ。
そのほとんどが兵学校、機関学校出身の若者、学徒や学生出身の
予備学生、20歳に満たない予科練出身者たちだった。年齢も
17歳から多くても28歳、大多数は20歳前後の若者であった。
回天による戦没者は、搭乗員、整備員他145名、没時の平均年齢
は21,1歳である。