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愛猫が死んで4週間

2015年01月30日 19時00分00秒 | その他
長年ブログを書き続けてきたり、あるいは他人のブログやSNSを閲覧したり、さらにはネットトラブルの話題を何度も取り上げたりしていると「こういう内容を書けば炎上したりトラブルが起きる」というのが解るようになり、従ってそういう記事を極力書かないようにしてきた。そして今回の一連の愛猫死亡のエントリーに関しても、そのガイドラインを守ってきた。
でも生命を私に預けてくれるほど信頼してくれた愛猫に対して、そうやって身を守り続けながら思いを語ることが誠実なのかという罪の意識が消えない。
自分も心から全てを曝け出して初めて愛猫への思いを100パーセント語れるのではないか?
これから書く内容は、猫嫌い(とりわけ野良猫嫌い)の方々からも、逆にペットは責任を持って飼うべきだという愛護家の方々からも反発を買う内容になる要素を含んでいる。
しかし最悪は当ブログを閉鎖せざるを得ない結果になってしまっても、ありのままに全てを書きたい。

まず我が愛猫は近所で生まれた野良猫○世(少なくとも母親が野良)だった。
その子と出会った頃、ちょうど私は仕事が順調でなく、暇を持て余していた。時間はあるが金がない。遊びに行くこともできず、家でゲームやネットをして暮らしている人生落伍者生活をしていた。そんな私を見かねて、時折、友人が差し入れの食料を持って訪問してくれた。豚肉の寄せ鍋をした冬のある日から数日後のことだった。冷蔵庫を見たら豚肉が残っていた。しかし賞味期限が切れていた。もったいないが食べるわけにいかない(腹を壊せば余計に出費)と悔やんでいると、いつも通る道筋に野良猫が住み着いているのを思い出した。猫ならば賞味期限など切れてても平気だろう。飢えよりも古い肉でも食べられるほうが幸福だろうと野良猫へ与えた。
おいしそうに肉を食う姿を見て癒された。もともと動物が好きだったし、とりわけ猫が好きだった。
仕事がなく金もないと言っても百円の猫缶を買う金まで無い訳ではなかったw 賃貸家賃も光熱通信費も滞ることなく払っていたし、質素な食事も毎日きちんと食べていた。家でゲームやネットばかりでいくら好きでもうんざりしはじめていた時に、わずか百円程度で猫と遊べる時間は格好の暇潰しになった。それから半年間、その牝猫に食事を与えていた。
冬に出会った野良猫が夏になって妊娠した。半年間、餌付けをしたせいで私を信頼したのだろう。仔猫が食事を摂るようになると「この子たちにもちょうだい」という感じで連れてきた。半年たって仕事が僅かだが好転していたので仔猫たちの食事も面倒を見た。全部で4匹だった。やがて最初に餌付けした母猫の姿が消えた。死んだのかもしれないが縄張りを変えたのかもしれない。猫は生後1年も経たずに出産可能になるため、親は子供たちが独りで生きられるように育つと自分の縄張りから追い出すらしい。近親交配を避けるためと聞いた。しかし親猫が老いて衰えると逆に娘に縄張りを奪われて追い出されるとか。そんな下剋上が起きたのかもしれない。
最初に餌付けした牝猫は消えたが、まるで「子供たちをよろしく」とでも言われた気分だったので、引き続きそいつらにも食事を与えた。親猫は野良で成猫になっていたのでいくら食事を与えても懐かなかったが、仔猫たちは生後まもなくから食事を与え続けていたのですぐに懐いた。最初は私の足に顔や身体をこすりつけてくる程度だったが、そのうち地べたに胡坐をかくと、その上に乗ってきて眠るほどになった。
しかし、やがて3匹の姿が見えなくなった。のちに噂で、このあたりでは定期的に民間業者が依託されて猫狩りをしていると聞いた。野良はすばしっこく逃げるようだが、私が餌付けしてた仔猫たちは「人間とは優しい生き物」と警戒心がなくなってしまい簡単に捕獲されてしまったのかもしれない。そう思うと自分のせいで短い生命を断たれてしまったように思えて心が痛んだ。ただ1匹だけ難を逃れて残っていた。そういえば一番最後まで私に懐かなかったやつだった。警戒心が一番強かったから唯一助かったのかもしれなかった。
冬になって、この猫が風邪をひいた。鼻だけでなく目からも鼻水みたいな液体が垂れていた。放っておけば僅か生後半年のその猫はおそらく死んでしまいそうだった。兄弟3匹が私のせいで殺されてしまったのではないかという負い目もあった。こいつだけは救ってやろうと思った。動物病院へ連れて行った。治療後、獣医が「外へ出かけさせてますか?」と聞いてきた。「野良です」と答えるのは躊躇した。動物病院は人生初経験なので「野良猫です」などと言えばいい加減な治療をされるかもと心配になったからだ。のちになって動物病院に野良が持ち込まれるのは珍しくないこと、中には手負いの野良を見つけたら連れて帰って治療してる獣医までいることを知った。
ともかく、その時は「はい」と答えると「風邪が治るまでは外へ出さないように」と言われた。
家へ連れて帰ったが大問題に直面する。そもそもペットなど飼う気は全然なかったため、我が家はペット可物件ではなかったww
でも「1週間もして治れば、また外へ返せば良いだろう」と考えた。
懐いてはいたが本来は野良猫である。部屋へ閉じ込められてすぐには不安で鳴き続けていたが、風邪で体力がなかったのか、あるいは私を信用していてくれたのか、しばらくするとベッドの下で眠ってしまった。その日から汚れたタオル類などをベッドの下に敷き、そこが野良の寝床になった。風邪をひいてはいたが食欲はあり、さらに病院の注射も効いたのか、鼻水や目やには翌日になると止まり、だんだん体力が回復してきた。病院へは初診の3日後と1週間後に連れて行った。1週間後の診察時に「もう外へ出して平気でしょうか?」と聞いたら「大丈夫です」と言われた。実はこの猫は初日こそ表へ出たがっていたが、2日・3日と部屋にいるうちに、だんだんと出たがらなくなっていた。寒い屋外よりも暖かい室内が気に入ったのかもしれない。しかしペット可の部屋ではない。バレたら追い出される。そう思ったので、その日の夜、元暮らしていた場所へ猫を連れて行き、置いてきた。
家へ戻り、ぼんやりしていたら、無性に寂しくなった。昨日まで猫の寝床だったベッド下のタオルが主を失いガランとしていた。トレーに砂を敷いただけのトイレが目に入った。教えたわけでもないのに、最初からそこで用を済ませた。賢い子だった。それを、風邪が治ったばかりのそんなカワイイ猫を自分は寒空の下へ捨ててきてしまった。たまらなくなった。すぐに部屋を飛び出して猫を置いた場所へ引き返した。名前を呼ぶとすぐに出てきた。迎えにきてもらったと思ったのか、あるいは餌を持ってきてもらえたと思ったのか? 尻尾を左右に振る仕草が喜んでいるように見えた。犬じゃないのにww
抱き上げられても全然逃げようとしない。抱いて部屋へ帰った。バレたらバレた時だ。管理人は昼間しかいない。昼間は部屋に入れとけばバレないかもしれない。この猫を飼う決心を固めた。
飼うと決めても、どこかに「元は野良猫」という意識があったのだろう。また経済的にまだまだ余裕がないのも理由だった。猫にはワクチン接種も不妊手術もすることなく、ただエサを与えることしかしなかった。元気になると外へ出たがったので、日が落ちたあとドアチェーンを掛けて隙間を開け、出入りできるようにした。出ていってもちゃんと毎日帰ってきていた。楽(ラク)で楽しい同居生活だった。ところが夏になって妊娠した。腹がどんどん大きくなった。そして、よりによって部屋で出産した。しかも目の前で。衝撃だった。困惑だった。どうしよう。
牝猫は子供が生まれると本当に健気だ。普段の猫はこんなにぐうたらかと思うような生活をしている。しかし子育て中の母猫は人が変わった…いや猫が変わったように働き者になる。自分のことなど疎かにしても子供の世話をする。授乳は1時間置きくらいに眠るまで、その間に全部の子の身体を舐めてやり、排便の世話までする。
そんな様子をほほえましく見ながらも、私は途方に暮れていた。これからどうするのかと。全ては不妊処置をしない自分のせいなのだが。妊娠できる牝猫が仔を産むのは当然だ。でも、まだこの頃は「野良猫に何万円も出せるか」という気持ちが残っていた。
飼ってた猫(親のほう)はおとなしい猫でほとんど鳴かなかったが、仔猫たちは良く鳴いた。赤ちゃんだから当然だろうが、私はそんなことすら想像していなかった。これでは部屋を閉め切っていてもバレてしまう。仔猫の声が少しでも聞こえないようにダンボール箱に入れて押入れに放り込んだ。親は外へ引き出そうとしたが、外へ出すと私がすぐ箱の中に戻した。そんな攻防をしているうちに、親猫は私が仔猫を嫌っていると思ったのだろう、あるいは虐待してるように見えたのかもしれない。私が眠っている間に子供たちをくわえて外へ連れて行った。それからは外で仔育てをして、私の部屋には食事にくるだけになった。
だが、これで正直いってホッとした。元々は風邪で一時的に保護しただけの野良猫だった。とてもじゃないが数匹の仔猫までまとめて飼うことなどできっこない。親1匹だけでも大変なのに。しばらくは仔猫の姿も見かけたが、やがて1匹ずつ姿を消して行った。死んでしまったのかもしれないし、前述のように親と縄張りを変えたのかもしれない。親は相変わらず食事時には部屋へ来ていたが、仔猫たちがいなくなってしばらくすると、そのまま部屋に居ついた。さも「ここは自分の部屋」というように。胸にこみ上げるものがあった。実際に涙が流れた。一番安心できると思っていたこの部屋で出産したにもかかわらず、大切な自分の子供たちを無碍に追い払われて、外で苦労して仔育てを強いられて、何も助けてくれなかった人間を、この猫はまだ信頼して帰ってきてくれた。
その時に誓った。何があっても、この猫だけは一生面倒をみよう。あるいは生後1年も経たずに死んでしまったかもしれない子供たちの分も、この猫だけは長生きさせてやろう。
そして不妊手術をして室内飼いにして面倒を見てきた。
そうしてからのエピソードも限りなくあるが、今日はここまでにする。
前述のように猫嫌いからも、愛護家からも、どちらからも言いたいことがありすぎる内容に思える。
しかし死んでしまった愛猫のために本当のことを隠さず書きたかった。
自分は決して猫のために尽くしただけの優等生な飼い主ではなかったと。
汚い部分、負の部分もありすぎる人間であることを。
しかし愛猫はそんな私を愛してくれ、信頼してくれて最期まで一緒に暮らしてくれた。


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