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イマを見つめて
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愛猫はどれだけ許してくれただろう

2015年02月01日 00時30分00秒 | その他
1月30日の続きになります。猫と暮らし始め、一日毎に愛しさが増して行き、何かして喜ばせてやりたいと思うようになった。
「なあお前。なにしてほしい?」
でも、もし猫が言葉を話せたとすれば、答えはひとつしか考えられなかった。
「きちんと子供を育てたい」
19年半の愛猫の一生で、ただひとつ大切な宝物として扱ったものが自分の子供たちだった。本当に自分自身よりも大切に扱っていた。それ以外に大事にした物は何もなかった。
それだけに自分の都合で仔猫を粗末に扱った罪の意識はどんどん深く、重く伸し掛かった。
どんなことをしても罪滅ぼしになるとは思えないが、猫と暮らしていた毎日は、どこかで懺悔の気持ちを持ち続けていた。
私が猫を溺愛する様子を見て「まるで夫婦みたいだ」と言った友人がいる。ある意味において、それは的を射た例えだったかもしれない。「お前のことは何にもまして大切にして幸福にするから」。猫が子育てを終えて部屋に戻ってきた日から、ずっとそんな気持ちでいた。
19歳6ケ月の生命は猫の一生としては十分な長さであり、よくそこまで長生きさせたと慰められても、まだ死なせた後悔が消えないのは、そんな決心をしていたからだろう。
もしもあの時、今ほど猫を愛していたら、家を引越して子供たちを飼っていただろう。実際に、いつまでも隠しておいては猫にストレスが溜まるだろうと思い、資金が貯まるとペット可物件に引っ越した。猫は日向ぼっこが好きだったので、新居に移ると誰はばかることなくベランダで大の字になっていた。
傍から見ると飼猫を溺愛している猫キチに映ったに違いない。毎日、閉店間際のスーパーに駈け込んでは半額に値引きされた弁当や総菜類を食べている人間が、いっぽうでは1回数千円掛かる動物病院へ1日毎に連れて行くのだから、常識では考えられないアンバランスな生活に見えたろう。
それは愛する猫を失いたくない気持ちだったが、さらになんとかしてあの出来事を許してほしい後悔と謝罪だった。
結果としてなんとか19年半生き延びさせてやることができた。
100パーセント許されるとは思えないが、少しは許してくれるだろうか?
でもやっぱり私は天国ではなく地獄へ行くんだろうな。天国にいるに決まってる愛猫にまた会いたいのだが……。

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