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イマを見つめて
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また逢えるなら何でもするけど

2015年01月28日 17時30分00秒 | その他
今でも隣の部屋から愛猫がちょこちょことやって来るような気がしてならない。
部屋の真ん中にいることは殆んどなく、四隅やベッドの下等に隠れるようにして居るのが多かったので、探せば見つかるような気がして見回してしまう。
愛猫は眠っている時以外は、ほとんど私を見ていたようで「何してるかな?」と見ると大抵、目が合った。
そんなに好きでいてくれたのか? あるいは部屋の中で動く物が私だけだから仕方なく見ていたのかw
ベランダがある二階に住んでいたときは、そこから下を眺めるのが好きだった。特にスズメなどの鳥を見るのが好きだったようだ。
猫は好きじゃないようで、下を野良猫が通ると唸って追い払っていた。

愛猫の思い出で悪いことはひとつもない。悪いことをされた覚えがひとつもない。部屋の中で吐いたこともあったが、それは具合が悪いのだから仕方がない。むしろ私のブラッシングに問題があった。最初はホテルで持ち帰れるプラスチックの櫛と100円ショップのブラシで毛づくろいしてやっていた。のちに近所の愛猫家から教えられた専用ブラシを使ったら取れる量が全然ちがった。吐いてた原因が毛玉だったので、猫が悪いのではなく、むしろ苦しい思いをさせた私が悪い。
柱で爪磨ぎして退去の際に大金を支払わせられたが、これも習性だ。最初に柱で磨ごうとした時にカバーをしくけばよかった。
いっぽう、私は本当に色々と悪いことをした。トイレが汚れているのを知っていながら掃除をサボったことが何度もあった。その間にネコがトイレを使い、汚れた足を健気に舐めて綺麗にしてる姿を見て、なんとも申し訳ないと思った。
寒いかなと思いながら電気代をケチって暖房を弱めたこともある。後で知ったが腎臓に寒さは大敵だそうだ。あるいは、そんなちっぽけな節約が腎臓を悪化させてしまっていたなら取り返しがつかないことをした。とにかく、なんでもっとちゃんとしなかったのかと後悔ばかり湧く。
「孝行をしたい時に親はなし」という有名な川柳があるが、優しくしてやりたいと思うのに、もう猫はいない。

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