時代のウェブログ

イマを見つめて
提言します

サクラサク

2015年04月04日 21時30分00秒 | その他
東北でも桜が咲きました。
猫を拾った時に住んでいたマンションには庭に桜の木が植えられていました。
二階のベランダがちょうど花の高さでした。
桜が咲くと、我が家に住み着いていた愛猫は、晴れた日は一日中、日向ぼっこしながら桜を眺めていました。
愛猫は風雅が分かる猫だったと飼い主馬鹿してるわけではありません。
動く物に好奇心を示すのが猫の本能。顕著な例は猫じゃらし。
飛ぶ昆虫なども好きみたいです。窓から蝶々や蛾が迷い込んでくると嬉々として飛びついて遊んでいました。
時には低空飛行で飛ぶ蛾を見事にジャンプして捕らえ、頭からガリガリ食べていましたw
おそらく風に散る桜花も、そうした飛ぶ虫のように映っていたように感じました。

わが猫の 面影映える 花朧
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愛猫の遺骨を埋葬しました

2015年02月26日 20時00分00秒 | その他
前回のエントリーで書いたように、部屋に安置していた愛猫の遺骨にかける言葉が、
「(助けてやれずに)ごめんね」
から、
「(今まで色々と)ありがとう」
へと変わったことから、そろそろ潮時かなと思い、愛猫の遺骨をお寺で供養してもらうことにしました。
遺骨がなくなり、猫の気配がすっかりなくなった部屋にいると、なんだか長いお祭りが終わったような気持ちになりました。
約二十年という歳月は人間の一生にとっても決して短くない時間です。
平均寿命で約四分の一、もっと若くして死ぬ人間もいるからそれだと三分の一やそれ以下になります。
そんな長い月日をうたかたの祭りに例えるのは不適当かもしれませんが、そんな気がしてならないのです。
愛猫が死んだ直後は「なぜ猫の寿命が人間より短いのか? 同じくらい生きられたら良かったのに…」と考えていましたが、誕生から死亡までの一生を見届けてやれるから感じられることや、体験できることがあるのかもしれません。
あらためて本当に感謝します。
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愛猫の四十九日を終えて

2015年02月24日 04時00分00秒 | その他
2月21日が我が愛猫の四十九日でした。
此の世に留まっていた魂が彼の世へ旅立つ日らしいです。
そういう宗教的な意味はともかく、四十九日というのは世俗から生まれた心理学的なスケジュールかもしれないと感じました。
愛猫死亡から約五十日が経過して、ようやく様々な事を冷静に見つめて考えることができるようになった気がします。
人によってはもっと早く立ち直る方もいるでしょうし、反対にもっと時間が掛かる方もいるでしょう。
多分、多くの人たちが一般的に気持ちを区切れる期間が約五十日なのではないでしょうか?
愛猫が死ぬ直前まで自分は「なんとか助かるのではないか?」と希望を持っていました。
その理由は過去にも何度か死ぬのではないかと心配したことがありましたが、なんとか回復してまた健康になってくれたからです。
しかし死後五十日が経過して冷静に振り返ると、これまでと今回は全く違っていました。
過去に一週間ほど食事を摂らないことがありましたが、その時でもトイレには自力で行ってましたし、体を起こして(背中を上に腹を下にした姿勢)休んでいました。
トイレに行く力もなくなり紙オムツをつけたのは今回が最初でしたし、病院へ連れて行っても体を横にしたまま寝ていたのも今回だけでした。
診察や注射を警戒して弱い腹の部分は下に隠して背中を医師に向ける姿勢を取るのが普通だと思うので、そのように体を動かす体力すら無くなっていたのでしょう。
体重の減り方も顕著でした。約2か月で2.7kgから1.7kgまで痩せてしまいました。獣医からは「2キロを切ったら危ない」と言われていたので、よく1.7kgまで辛抱して生き続けてくれたと思います。
愛猫が死んだあと、後悔やお詫び、愚痴、様々な気持ちを書いてきましたが、それらにも一応区切りがついた気がします。
私が十九年半、一緒に暮らして、楽しませ、癒してくれた愛猫に言うべき言葉は、たったひとつだけだと気づきました。

ありがとう
今まで 本当に ありがとう
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月命日で吹っ切るつもりでしたが

2015年02月07日 07時00分00秒 | その他
2月3日の月命日を機会にこれまでのブログに戻そうと時事ネタを書いてみましたが、やっぱりダメですね。
続きません。胸に支えが残るうちは無理なのでしょうか?
そこで今回は死んだ1月3日の出来事について書きます。
その日のブログにも夜6時過ぎに死んだと書きましたが、この日は朝からの出来事があります。
愛猫が寝た切りになってからの日課は、毎朝7時は8時頃にオムツの交換でした。夜の間におしっこをしているので。
ところがこの日はかなりの量の便が出ていました。ほとんど食事は摂らない(栄養点滴と流動栄養食のみ)ので、なんでこんなに便が出たんだろうというくらい出てました。ある人は「その時点で死が間近だったんだよ。絞首刑になった死刑囚は糞尿を垂れ流す」と言いました。死刑囚の話は聞いたことがありますが、この手の話は都市伝説も多いので真偽は解りません。依って猫の死期についても不明です。とにかく大便をしていたのでオムツ交換と時に肛門周りをウェットティッシュで拭いてやりましたが、かなりの部分が周囲の毛にこびりついてしまっていました。
オムツ交換後は炬燵の中で寝かせていましたが、汚れてるのが可愛そうになってきました。そこでお風呂場に連れて行きシャワーで洗ってやりました。
そして、その夜に死亡します。
そのシャワーの仕方を後悔しています。洗い場に横にしてシャワーで下半身を流してやったのですが、その間じゅうずっと愛猫は不安な顔をしていました。なぜ抱きながらシャワーしてやらなかったのか。もちろん大便で汚れていて汚いと思ったからです。でもあの日がお別れになると解っていたなら最後はやさしく抱いて、優しく洗い流してあげればよかった。あるいは洗い場に無造作に横にしてシャワーをかけたのが、いくらかの猫のストレスになって寿命を縮めてしまった可能性がなかったのか?
本当に後悔が尽きません。
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愛猫の月命日に贈る名言

2015年02月03日 19時30分00秒 | その他
私は生まれてこのかた人を傷つけたいと思ったことは一度もないと本心から信じているが、だれかを傷つけないで長い人生を過ごすことは不可能に近い。その場合、傷つく相手はたいてい深く愛している人だろう。 『回想録』/テネシー・ウィリアムズ

愛猫が死んでから初めて愛猫が出てくる夢を見ました。
もったいなくて二度寝しました。
さすが月命日ですね(笑)。
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明日は月命日

2015年02月02日 05時15分00秒 | その他
早いもので愛猫が逝ってから一月になります。明日3日は月命日です。
もうそんなに時間が経ったんですかね。つい2~3日前まで生きてたような気がするのですが……。
愛猫が生きていた時には「こいつが居なくなってしまったら1週間も生きていられなくなるかもしれない」などと想像していましたが、1月間生きられてます(笑)。
いつまでもブログに猫の話なんか書いてるから忘れられないと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、どうせ書かなくても猫のことを考えてボーッとしているので同じでしょう。
むしろ書いて読むことで色々と気持ちの整理ができる気がします。
死亡直後から感じていた「後悔」は病気を治してやれずに殺してしまったことの後悔と思っていましたが、色々と過去の思い出を書いているうちに、もっと以前の猫とのつきあいから原因があるのを自分で書いて読み直して気付きました。
そういうのはネット上ではなく閉鎖空間で日記帳にでも書けばいいのでしょうが、愛猫死亡直後にネットサーフィンして愛猫に死なれた方々の様々な思いを読むことで救われた部分があり、こんな話でも将来ペットロスで苦しむ方々に僅かでもお役に立てばと思います。
本当に辛いですよね。
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愛猫はどれだけ許してくれただろう

2015年02月01日 00時30分00秒 | その他
1月30日の続きになります。猫と暮らし始め、一日毎に愛しさが増して行き、何かして喜ばせてやりたいと思うようになった。
「なあお前。なにしてほしい?」
でも、もし猫が言葉を話せたとすれば、答えはひとつしか考えられなかった。
「きちんと子供を育てたい」
19年半の愛猫の一生で、ただひとつ大切な宝物として扱ったものが自分の子供たちだった。本当に自分自身よりも大切に扱っていた。それ以外に大事にした物は何もなかった。
それだけに自分の都合で仔猫を粗末に扱った罪の意識はどんどん深く、重く伸し掛かった。
どんなことをしても罪滅ぼしになるとは思えないが、猫と暮らしていた毎日は、どこかで懺悔の気持ちを持ち続けていた。
私が猫を溺愛する様子を見て「まるで夫婦みたいだ」と言った友人がいる。ある意味において、それは的を射た例えだったかもしれない。「お前のことは何にもまして大切にして幸福にするから」。猫が子育てを終えて部屋に戻ってきた日から、ずっとそんな気持ちでいた。
19歳6ケ月の生命は猫の一生としては十分な長さであり、よくそこまで長生きさせたと慰められても、まだ死なせた後悔が消えないのは、そんな決心をしていたからだろう。
もしもあの時、今ほど猫を愛していたら、家を引越して子供たちを飼っていただろう。実際に、いつまでも隠しておいては猫にストレスが溜まるだろうと思い、資金が貯まるとペット可物件に引っ越した。猫は日向ぼっこが好きだったので、新居に移ると誰はばかることなくベランダで大の字になっていた。
傍から見ると飼猫を溺愛している猫キチに映ったに違いない。毎日、閉店間際のスーパーに駈け込んでは半額に値引きされた弁当や総菜類を食べている人間が、いっぽうでは1回数千円掛かる動物病院へ1日毎に連れて行くのだから、常識では考えられないアンバランスな生活に見えたろう。
それは愛する猫を失いたくない気持ちだったが、さらになんとかしてあの出来事を許してほしい後悔と謝罪だった。
結果としてなんとか19年半生き延びさせてやることができた。
100パーセント許されるとは思えないが、少しは許してくれるだろうか?
でもやっぱり私は天国ではなく地獄へ行くんだろうな。天国にいるに決まってる愛猫にまた会いたいのだが……。
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愛猫が死んで4週間

2015年01月30日 19時00分00秒 | その他
長年ブログを書き続けてきたり、あるいは他人のブログやSNSを閲覧したり、さらにはネットトラブルの話題を何度も取り上げたりしていると「こういう内容を書けば炎上したりトラブルが起きる」というのが解るようになり、従ってそういう記事を極力書かないようにしてきた。そして今回の一連の愛猫死亡のエントリーに関しても、そのガイドラインを守ってきた。
でも生命を私に預けてくれるほど信頼してくれた愛猫に対して、そうやって身を守り続けながら思いを語ることが誠実なのかという罪の意識が消えない。
自分も心から全てを曝け出して初めて愛猫への思いを100パーセント語れるのではないか?
これから書く内容は、猫嫌い(とりわけ野良猫嫌い)の方々からも、逆にペットは責任を持って飼うべきだという愛護家の方々からも反発を買う内容になる要素を含んでいる。
しかし最悪は当ブログを閉鎖せざるを得ない結果になってしまっても、ありのままに全てを書きたい。

まず我が愛猫は近所で生まれた野良猫○世(少なくとも母親が野良)だった。
その子と出会った頃、ちょうど私は仕事が順調でなく、暇を持て余していた。時間はあるが金がない。遊びに行くこともできず、家でゲームやネットをして暮らしている人生落伍者生活をしていた。そんな私を見かねて、時折、友人が差し入れの食料を持って訪問してくれた。豚肉の寄せ鍋をした冬のある日から数日後のことだった。冷蔵庫を見たら豚肉が残っていた。しかし賞味期限が切れていた。もったいないが食べるわけにいかない(腹を壊せば余計に出費)と悔やんでいると、いつも通る道筋に野良猫が住み着いているのを思い出した。猫ならば賞味期限など切れてても平気だろう。飢えよりも古い肉でも食べられるほうが幸福だろうと野良猫へ与えた。
おいしそうに肉を食う姿を見て癒された。もともと動物が好きだったし、とりわけ猫が好きだった。
仕事がなく金もないと言っても百円の猫缶を買う金まで無い訳ではなかったw 賃貸家賃も光熱通信費も滞ることなく払っていたし、質素な食事も毎日きちんと食べていた。家でゲームやネットばかりでいくら好きでもうんざりしはじめていた時に、わずか百円程度で猫と遊べる時間は格好の暇潰しになった。それから半年間、その牝猫に食事を与えていた。
冬に出会った野良猫が夏になって妊娠した。半年間、餌付けをしたせいで私を信頼したのだろう。仔猫が食事を摂るようになると「この子たちにもちょうだい」という感じで連れてきた。半年たって仕事が僅かだが好転していたので仔猫たちの食事も面倒を見た。全部で4匹だった。やがて最初に餌付けした母猫の姿が消えた。死んだのかもしれないが縄張りを変えたのかもしれない。猫は生後1年も経たずに出産可能になるため、親は子供たちが独りで生きられるように育つと自分の縄張りから追い出すらしい。近親交配を避けるためと聞いた。しかし親猫が老いて衰えると逆に娘に縄張りを奪われて追い出されるとか。そんな下剋上が起きたのかもしれない。
最初に餌付けした牝猫は消えたが、まるで「子供たちをよろしく」とでも言われた気分だったので、引き続きそいつらにも食事を与えた。親猫は野良で成猫になっていたのでいくら食事を与えても懐かなかったが、仔猫たちは生後まもなくから食事を与え続けていたのですぐに懐いた。最初は私の足に顔や身体をこすりつけてくる程度だったが、そのうち地べたに胡坐をかくと、その上に乗ってきて眠るほどになった。
しかし、やがて3匹の姿が見えなくなった。のちに噂で、このあたりでは定期的に民間業者が依託されて猫狩りをしていると聞いた。野良はすばしっこく逃げるようだが、私が餌付けしてた仔猫たちは「人間とは優しい生き物」と警戒心がなくなってしまい簡単に捕獲されてしまったのかもしれない。そう思うと自分のせいで短い生命を断たれてしまったように思えて心が痛んだ。ただ1匹だけ難を逃れて残っていた。そういえば一番最後まで私に懐かなかったやつだった。警戒心が一番強かったから唯一助かったのかもしれなかった。
冬になって、この猫が風邪をひいた。鼻だけでなく目からも鼻水みたいな液体が垂れていた。放っておけば僅か生後半年のその猫はおそらく死んでしまいそうだった。兄弟3匹が私のせいで殺されてしまったのではないかという負い目もあった。こいつだけは救ってやろうと思った。動物病院へ連れて行った。治療後、獣医が「外へ出かけさせてますか?」と聞いてきた。「野良です」と答えるのは躊躇した。動物病院は人生初経験なので「野良猫です」などと言えばいい加減な治療をされるかもと心配になったからだ。のちになって動物病院に野良が持ち込まれるのは珍しくないこと、中には手負いの野良を見つけたら連れて帰って治療してる獣医までいることを知った。
ともかく、その時は「はい」と答えると「風邪が治るまでは外へ出さないように」と言われた。
家へ連れて帰ったが大問題に直面する。そもそもペットなど飼う気は全然なかったため、我が家はペット可物件ではなかったww
でも「1週間もして治れば、また外へ返せば良いだろう」と考えた。
懐いてはいたが本来は野良猫である。部屋へ閉じ込められてすぐには不安で鳴き続けていたが、風邪で体力がなかったのか、あるいは私を信用していてくれたのか、しばらくするとベッドの下で眠ってしまった。その日から汚れたタオル類などをベッドの下に敷き、そこが野良の寝床になった。風邪をひいてはいたが食欲はあり、さらに病院の注射も効いたのか、鼻水や目やには翌日になると止まり、だんだん体力が回復してきた。病院へは初診の3日後と1週間後に連れて行った。1週間後の診察時に「もう外へ出して平気でしょうか?」と聞いたら「大丈夫です」と言われた。実はこの猫は初日こそ表へ出たがっていたが、2日・3日と部屋にいるうちに、だんだんと出たがらなくなっていた。寒い屋外よりも暖かい室内が気に入ったのかもしれない。しかしペット可の部屋ではない。バレたら追い出される。そう思ったので、その日の夜、元暮らしていた場所へ猫を連れて行き、置いてきた。
家へ戻り、ぼんやりしていたら、無性に寂しくなった。昨日まで猫の寝床だったベッド下のタオルが主を失いガランとしていた。トレーに砂を敷いただけのトイレが目に入った。教えたわけでもないのに、最初からそこで用を済ませた。賢い子だった。それを、風邪が治ったばかりのそんなカワイイ猫を自分は寒空の下へ捨ててきてしまった。たまらなくなった。すぐに部屋を飛び出して猫を置いた場所へ引き返した。名前を呼ぶとすぐに出てきた。迎えにきてもらったと思ったのか、あるいは餌を持ってきてもらえたと思ったのか? 尻尾を左右に振る仕草が喜んでいるように見えた。犬じゃないのにww
抱き上げられても全然逃げようとしない。抱いて部屋へ帰った。バレたらバレた時だ。管理人は昼間しかいない。昼間は部屋に入れとけばバレないかもしれない。この猫を飼う決心を固めた。
飼うと決めても、どこかに「元は野良猫」という意識があったのだろう。また経済的にまだまだ余裕がないのも理由だった。猫にはワクチン接種も不妊手術もすることなく、ただエサを与えることしかしなかった。元気になると外へ出たがったので、日が落ちたあとドアチェーンを掛けて隙間を開け、出入りできるようにした。出ていってもちゃんと毎日帰ってきていた。楽(ラク)で楽しい同居生活だった。ところが夏になって妊娠した。腹がどんどん大きくなった。そして、よりによって部屋で出産した。しかも目の前で。衝撃だった。困惑だった。どうしよう。
牝猫は子供が生まれると本当に健気だ。普段の猫はこんなにぐうたらかと思うような生活をしている。しかし子育て中の母猫は人が変わった…いや猫が変わったように働き者になる。自分のことなど疎かにしても子供の世話をする。授乳は1時間置きくらいに眠るまで、その間に全部の子の身体を舐めてやり、排便の世話までする。
そんな様子をほほえましく見ながらも、私は途方に暮れていた。これからどうするのかと。全ては不妊処置をしない自分のせいなのだが。妊娠できる牝猫が仔を産むのは当然だ。でも、まだこの頃は「野良猫に何万円も出せるか」という気持ちが残っていた。
飼ってた猫(親のほう)はおとなしい猫でほとんど鳴かなかったが、仔猫たちは良く鳴いた。赤ちゃんだから当然だろうが、私はそんなことすら想像していなかった。これでは部屋を閉め切っていてもバレてしまう。仔猫の声が少しでも聞こえないようにダンボール箱に入れて押入れに放り込んだ。親は外へ引き出そうとしたが、外へ出すと私がすぐ箱の中に戻した。そんな攻防をしているうちに、親猫は私が仔猫を嫌っていると思ったのだろう、あるいは虐待してるように見えたのかもしれない。私が眠っている間に子供たちをくわえて外へ連れて行った。それからは外で仔育てをして、私の部屋には食事にくるだけになった。
だが、これで正直いってホッとした。元々は風邪で一時的に保護しただけの野良猫だった。とてもじゃないが数匹の仔猫までまとめて飼うことなどできっこない。親1匹だけでも大変なのに。しばらくは仔猫の姿も見かけたが、やがて1匹ずつ姿を消して行った。死んでしまったのかもしれないし、前述のように親と縄張りを変えたのかもしれない。親は相変わらず食事時には部屋へ来ていたが、仔猫たちがいなくなってしばらくすると、そのまま部屋に居ついた。さも「ここは自分の部屋」というように。胸にこみ上げるものがあった。実際に涙が流れた。一番安心できると思っていたこの部屋で出産したにもかかわらず、大切な自分の子供たちを無碍に追い払われて、外で苦労して仔育てを強いられて、何も助けてくれなかった人間を、この猫はまだ信頼して帰ってきてくれた。
その時に誓った。何があっても、この猫だけは一生面倒をみよう。あるいは生後1年も経たずに死んでしまったかもしれない子供たちの分も、この猫だけは長生きさせてやろう。
そして不妊手術をして室内飼いにして面倒を見てきた。
そうしてからのエピソードも限りなくあるが、今日はここまでにする。
前述のように猫嫌いからも、愛護家からも、どちらからも言いたいことがありすぎる内容に思える。
しかし死んでしまった愛猫のために本当のことを隠さず書きたかった。
自分は決して猫のために尽くしただけの優等生な飼い主ではなかったと。
汚い部分、負の部分もありすぎる人間であることを。
しかし愛猫はそんな私を愛してくれ、信頼してくれて最期まで一緒に暮らしてくれた。
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また逢えるなら何でもするけど

2015年01月28日 17時30分00秒 | その他
今でも隣の部屋から愛猫がちょこちょことやって来るような気がしてならない。
部屋の真ん中にいることは殆んどなく、四隅やベッドの下等に隠れるようにして居るのが多かったので、探せば見つかるような気がして見回してしまう。
愛猫は眠っている時以外は、ほとんど私を見ていたようで「何してるかな?」と見ると大抵、目が合った。
そんなに好きでいてくれたのか? あるいは部屋の中で動く物が私だけだから仕方なく見ていたのかw
ベランダがある二階に住んでいたときは、そこから下を眺めるのが好きだった。特にスズメなどの鳥を見るのが好きだったようだ。
猫は好きじゃないようで、下を野良猫が通ると唸って追い払っていた。

愛猫の思い出で悪いことはひとつもない。悪いことをされた覚えがひとつもない。部屋の中で吐いたこともあったが、それは具合が悪いのだから仕方がない。むしろ私のブラッシングに問題があった。最初はホテルで持ち帰れるプラスチックの櫛と100円ショップのブラシで毛づくろいしてやっていた。のちに近所の愛猫家から教えられた専用ブラシを使ったら取れる量が全然ちがった。吐いてた原因が毛玉だったので、猫が悪いのではなく、むしろ苦しい思いをさせた私が悪い。
柱で爪磨ぎして退去の際に大金を支払わせられたが、これも習性だ。最初に柱で磨ごうとした時にカバーをしくけばよかった。
いっぽう、私は本当に色々と悪いことをした。トイレが汚れているのを知っていながら掃除をサボったことが何度もあった。その間にネコがトイレを使い、汚れた足を健気に舐めて綺麗にしてる姿を見て、なんとも申し訳ないと思った。
寒いかなと思いながら電気代をケチって暖房を弱めたこともある。後で知ったが腎臓に寒さは大敵だそうだ。あるいは、そんなちっぽけな節約が腎臓を悪化させてしまっていたなら取り返しがつかないことをした。とにかく、なんでもっとちゃんとしなかったのかと後悔ばかり湧く。
「孝行をしたい時に親はなし」という有名な川柳があるが、優しくしてやりたいと思うのに、もう猫はいない。
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未だに隣の部屋から鳴きながらくる気がしますw

2015年01月23日 16時30分00秒 | その他
愛猫の遺品整理が一段落しました。
(1)保管するもの。
・遺骨(気持ちの整理がつけば霊園に入れるかも。それとも「自分の遺骨と混ぜて散骨してくれ」と遺言しようか?半ばマジw)
・抜けた犬歯(ずいぶん前に抜けた際に大切な物入れに保管したまま)
・食器(フード用&水用。仔猫で飼い始めた頃から死ぬまで使い続けた物。安物のプラスチックだが捨てられない)
(2)他人に譲渡。
・キャットフード、おやつ、スクラッチボード、猫砂。(未使用品。猫飼ってる知り合い数名へ形見分け)
・グルーミングブラシ(使用済品ですが6千円しましたw以前から欲しがってた方がいたので使用済でも良いか確認して形見分け)
・紙オムツ、給尿パッド、身体拭き(←これは知り合いにあげたら、さも「病気になったときに」と取られ逆に嫌がられると思ったので動物病院に寄付)。
(3)捨てた。
・おもちゃ類(ねこじゃらしなど)
・トイレ
・キャリーバッグ--どれも思い出が詰まってるがいつまでも悲しみが尾を引きそうなので思い切ってダンシャリw

ただし猫の物でない物にも思い出がいっぱいあって大変です。以前書いたコタツなどはその最たるものです。
他にも自分のための品物Aですが、「これを買った日に、猫のためのBも買ったっけ」なんて思い出が……w
逆に捨ててしまったもので後悔しているのが「毛」ですw
グルーミング後、ずっと「燃やせるゴミ」として捨てていました。多い日には一回で丸めるとピンポン玉くらいの大きさになっていたので19年分を取っていれば猫くらいの大きさの抱き枕くらい作れたかもしれません。捨てて後悔しています。ゴミ袋にでも入れて保管しとくべきだったと悔やまれますw
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愛猫が逝って十日目

2015年01月13日 13時30分00秒 | その他
ねこが死んだ日以降、ねこが寝た切りになっていた部屋の掃除をしていません。
悲しくてできないのではありません。
ねこの匂いがまだするので掃除をしないでいます。
「匂い」とは「生きていた気配」の比喩ではなく、実際に嗅覚で感じる匂いです。
愛猫は抱きしめて近くに寄ると、とても良い匂いがしました。
皆様にも良く解る例えを挙げれば、醤油煎餅を焼いてる時のような香ばしい香りです。
匂いの源は主に唾液と体毛の匂いだったようで、ねこが毛づくろいしたあとは特によく匂いました。

寝た切りになってからは毛づくろいなどしませんでしたが、口から涎をたらしてることが多く、ティッシュでよく拭いてあげていました。
鼻だけでなく口からも呼吸しようとしているように見えましたが、かつて読んで本によると猫は人間のように口で息できないと書いてた記憶があります。
老齢になって歯が殆んど抜けてしまい(犬歯は3本抜けて1本しか残っていませんでした)口がきちんと閉じなかったのかもしれません。
そう言えば歯が殆んど抜けたあとは舌を口の外へ出してることも多く、「このねこ、あかんべえしてる」と言われたことがありました。

匂いの話に戻ると、普段は殆んど感じませんが、ねこがずっと中で寝てた炬燵に電気を通すと、やがて醤油煎餅の香りが漂ってきます。
遺体そのものは火葬してしまって無臭なので、炬燵から漂うねこの匂いがなんとも愛おしくてたまらなくなります。
ならば炬燵だけそのままにして他の場所を掃除すればいいと思われるでしょうが、へたにいじって匂いがしなくなってしまうと寂しいので、ねこの部屋は全く掃除していません。
こちらは寒冷地なので4月頃まで炬燵を出しておくのも普通(ゴールデンウイーク中の寒い日に炬燵に入った記憶がw)、しばらくはねこの匂いと共に暮らせそうです。
炬燵をしまう季節までに気持ちが切り替えられればいいですね。
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愛猫が逝って九日目

2015年01月12日 00時00分00秒 | その他
飼い始めた時から「自分より猫が先に逝く」覚悟はしていた。
でも、それは「今日」ではなく、「明日以降」と、ずっと思っていた。
齢を重ね、どんどん老猫になっていっても。
そして病で寝たきりになっても、なお……

愛するペットを亡くした経験がある人に聞くと「ペットの命日は一生、忘れない」という。
確かに、そうだろう。
でも、わが愛猫の命日、1月3日は更に様々な事に関連付けてしまう日付で困る。
例えば気分を紛らわせようと、年末年始に録画したパラエティー番組でも見ようかとする。
でも見てると「この番組が放送された時は、まだ生きてたんだよな……」と考えてしまう。
お笑い番組なのに全然笑えない。
恐らく、来年も、再来年も、大晦日は「あと3日で命日」、元旦は「命日まであと2日」という意味合いの日になってしまいそうな予感がする。
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愛猫が逝って六日目

2015年01月09日 07時00分00秒 | その他
やはり周囲にも落ち込んでる様子が如実に伝わるのでしょう。
会う人会う人が「元気だして」と慰めてくれる。
「一生懸命に面倒みた立派な飼い主だったよ」と言ってくれる。
15歳あたりからは、ちょくちょく具合が悪くなり頻繁に動物病院へ連れて行く姿を目撃してたからだと思う。
でも自分自身が思い出すのは失敗したこと、至らなかったことの思い出しかない。
例えば牛乳を飲んだとき…。
あれは愛猫が生後4か月くらいの時期だった。
母親と共に近所で野良生活してた時代。
何日か前に牛乳1リットルパックを買ってたことを思い出した。
しばらく飲むつもりがないので猫にあげようと思った。
皿に入れて差し出すと喜んで勢い良く飲みはじめた。
ところが、すぐにゲーゲー吐きはじめた。
びっくりして牛乳パックを調べると、なんと賞味期限が4日も前に切れていた。
この事件以降、愛猫は決して牛乳を飲まなくなった。
……思い出すのはこんな出来事ばかり。
時間を巻き戻せたら、もっと上手く、もっと優しくしてあげられるのに。
絶対に実現しない願いだと100パーセント解っていながら、毎日、そんなことばかり考えている。
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愛猫が逝って三日目

2015年01月06日 10時22分22秒 | その他
何をしていればいいか解らない毎日になりました。
「悲しみで」というよりは、「猫がいるのが当然になってしまっていたので」が、一番大きな理由です。
19年半という月日は、猫がいなかった頃の生活など思い出せないほど長い。
飼い主が30歳に飼い始めたら49歳に、40歳で飼い始めたら59歳になるんです。
人間ならば赤ん坊が高校を卒業して大学生や社会人になっている期間です。

死ぬ直前は、ほぼ寝たきりでした。
時折、横になっている炬燵の中を覗き込んで生死確認する程度の触れ合いでした。
でも、その際に何度か頭を撫でてあげた1分にも満たない時間がなくなったのが、とても寂しい。
頭を撫でると目を細めました。ただの反射かもしれませんが、人間は「笑顔になった」と解釈するもんですね。
最期の瞬間までカワイイ猫でした。

生前、午前中は結構忙しかった。
動物病院が徒歩8分程度の場所にあったのが幸運でした。
今回に限らず、具合が悪くなると直ぐに診てもらえました。
しかし動物病院の数が少なく、というより御長寿ペットが増えているようで、いつも混んでいました。
ペットの世界も人間同様に高齢化が進んでいるようです。人間の病院も長時間、待たされるのが珍しくありませんよね。
ペットの高齢化が進んでいるのはペットフードを見ると明らかです。
20年くらい前は、高齢猫用フードは「7歳以上」となっていました。それが10年ほど前から「11歳以上用」を見かけるようになり、今では各メーカーから「15歳以上用」が発売されています。メーカーとて商売ですから赤字になる商品は出さないはず。15歳以上の猫がそれだけいて売れるから発売しているのでしょう。
話が逸れましたが、その動物病院の診察開始が午前9時。1時間前の午前8時から診察券受付が開始されます。遠くからクルマで来る方などは8時半頃にペットと一緒にやってきますが、徒歩8分程度の距離にある私は、まず8時に飼い主だけで行って診察券を出し、ペットは9時に間に合うように家に迎えに帰りました。1時間キャリーケースに入れたまま待合室にいたら余計に容体が悪くなりそうでしたから。キャリーケースには使い捨てカイロを吸水シーツの下に敷きましたが、それでも往き返りは気を遣いました。
動物病院については、もうひとつ言いたいことがあります。
暇と寂しさを紛らわすために、ネットで「飼猫に死なれた人」が書いたあれこれを読んでいました。
傾向として「後悔して自分を責めてる方」と「周囲に怒りを感じてる方」に大別される印象を受けました。
自分を責める気持ちはとても良く解ります。私にもいろいろとあり過ぎます。「なぜあの時に、こうしなかったのか」なんて数限りなく思い出されます。ただ救いは、19歳まで生きてくれたことでしょうか。他の猫があまり生きられない年齢まで生かしてやれたことが、後悔の念を薄めてくれます。長生きしてくれた愛猫に感謝します。本当に飼い主孝行な猫でした。
怒りの矛先で一番多いのは獣医さんでした。獣医が悪かったせいで死んだ…というもの。
「後悔」と「怒り」は、中に出るか外に発せられるかの違いで、要するに「悲しみから目を逸らすカタルシス」じゃないかと思います。所詮、素人の飼い主にとっては間違った治療法にしか見えなくても、実際はそれしか方法がなかったのかもしれません。
でも色々と読んでいると、やっぱり問題ある獣医師や動物病院がないとは言えない印象でした。
その点、愛猫が掛かった病院は本当に良いところでした。感謝こそあれ、恨みなど全くありません。

にしても、まだ午前中なんですね。
生きていたら動物病院に行ってた時間です。
遺体があったうちは、それでも撫でてやれる物がありましたが、つつがなく火葬も済ませたために、それも無くなってしまいました。
死体を撫でるというと猟奇的に聞こえるかもしれません。
確かに肉体は死後硬直でカチカチに冷たく固まってしまっていましたが、毛はふさふさしたままでした。
死ねば毛の質感も変わるのではないかと想像していましたが、体温を感じなくなっただけで毛の手触りは同じでした。
ぬいぐるみを撫でてる感じをイメージしてもらうと適当です。
まさか骨を撫でることはできず(それは猟奇的ですw)またひとつ寂しくなってしまいました。
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愛猫の思い出1

2015年01月04日 04時30分00秒 | その他
今夜は眠れないだろうと思っていたが、案の定、眠れない。
しかも周囲がだんだん寝静まり、暗闇と静寂が広がるのに合わせて寂しさが込み上げてきた。
昨年末頃から、愛猫は寝たきりになっていた。特にペットとして何かしてくれていたわけではない。
しかし、炬燵布団を捲り上げて、そこに寝顔を見ただけで幸福だった。
暖かい室内よりも屋外のほうが遺体が腐敗しないだろうと、遺体は玄関脇に出してある。
火葬業者を見つけたので、明日(正確には今日)、連絡してみるつもりだ。しかし正月で且つ日曜日。
営業開始は月曜日になるのかもしれない。

周囲は良い飼い主だったと慰めてくれる。
確かに秋頃から毎週、動物病院へ連れて行き、12月中旬からは1日置きになった。正直、時間だけでなく費用もかかった。良心的価格の病院だったが。(でなけりゃ3か月も持たなかったw)
起きられなくなってからは、水・食事・そして下のほうの世話まで、人間の介護のように行った。
だが……。
それは飼い主のエゴではなかったか?という思いも痛切に感じてる。
こんなに老猫をがんばらせる必要があったのだろうか?
猫は、もっと早く楽になりたかったのではないだろうか?
ただ「死んだら寂しい」という飼い主のエゴがそうさせていたのではないか?

……やっぱり精神的に少し変になってきてるのかな?
あるいは「楽になった」と逆に死から自分の目を逸らさせているのかもしれない。
とにかくひとつだけ確かに言えることは、愛猫は懸命に頑張ってくれたということ。
比喩でも冗談でもなく、本心から「尊敬」する。

思い出すのはかわいい表情や仕草だけ。
自信を持って言えるのは、愛猫は心から自分を信頼して愛してくれていた。これは絶対に確かだ。
それは自分の生命すら預けてくれるような愛だった。
これほどまで絶対的な愛情は、親子や恋人からも感じたことはない。
だんだん心が病んできているかな?

生きてる時に戻りたいと言っても、去年や一昨年は望まない。
いろいろと体調が悪い時期が増えて、愛猫は苦しむだけの時期だから。
もっと前の10年くらい前の時間に戻りたい。
たとえ、その10年間で自分が得た物を全て失っても構わない……。
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