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愛猫の四十九日を終えて

2015年02月24日 04時00分00秒 | その他
2月21日が我が愛猫の四十九日でした。
此の世に留まっていた魂が彼の世へ旅立つ日らしいです。
そういう宗教的な意味はともかく、四十九日というのは世俗から生まれた心理学的なスケジュールかもしれないと感じました。
愛猫死亡から約五十日が経過して、ようやく様々な事を冷静に見つめて考えることができるようになった気がします。
人によってはもっと早く立ち直る方もいるでしょうし、反対にもっと時間が掛かる方もいるでしょう。
多分、多くの人たちが一般的に気持ちを区切れる期間が約五十日なのではないでしょうか?
愛猫が死ぬ直前まで自分は「なんとか助かるのではないか?」と希望を持っていました。
その理由は過去にも何度か死ぬのではないかと心配したことがありましたが、なんとか回復してまた健康になってくれたからです。
しかし死後五十日が経過して冷静に振り返ると、これまでと今回は全く違っていました。
過去に一週間ほど食事を摂らないことがありましたが、その時でもトイレには自力で行ってましたし、体を起こして(背中を上に腹を下にした姿勢)休んでいました。
トイレに行く力もなくなり紙オムツをつけたのは今回が最初でしたし、病院へ連れて行っても体を横にしたまま寝ていたのも今回だけでした。
診察や注射を警戒して弱い腹の部分は下に隠して背中を医師に向ける姿勢を取るのが普通だと思うので、そのように体を動かす体力すら無くなっていたのでしょう。
体重の減り方も顕著でした。約2か月で2.7kgから1.7kgまで痩せてしまいました。獣医からは「2キロを切ったら危ない」と言われていたので、よく1.7kgまで辛抱して生き続けてくれたと思います。
愛猫が死んだあと、後悔やお詫び、愚痴、様々な気持ちを書いてきましたが、それらにも一応区切りがついた気がします。
私が十九年半、一緒に暮らして、楽しませ、癒してくれた愛猫に言うべき言葉は、たったひとつだけだと気づきました。

ありがとう
今まで 本当に ありがとう


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