シニアのウエさんの旅日記

神社を軸に全国各地を歩いてます。

お寺巡りー137.明月院(鎌倉市)

2014-01-26 08:13:52 | 旅行
 2010年6月24日、建長寺から少し戻ると明月院の標識、渓流に沿って歩く参道にも紫陽花、入口の紫陽花も盛りを迎えている。境内に入ると人が多い、順路に従って進むと紫陽花が溢れているが日本古来の姫紫陽花が95%と言う。香りの強い柏葉アジサイもあった。やがて方丈まで来た、前庭は石を組んだ庭、方丈の中には丸窓が見えたが入らなかった。方丈から紫陽花の間の小道を行くと開山堂があり、背後の巌には”やぐら”と呼ばれる洞窟があった。太鼓橋に登ってみたら休憩所が見えたので、中に入って抹茶と和菓子を頂いた。明月院は深谷上杉氏ゆかりの寺と書かれていたが、北条時頼公の墓所もあった。紫陽花を堪能して次の浄智寺へ。




















お寺巡りー136.建長寺(鎌倉市)

2014-01-25 08:16:16 | 旅行
 2010年6月24日、紫陽花の時期に北鎌倉のお寺を歴訪しようと出かけた。北鎌倉駅で降りて一番遠い建長寺まで歩いて行って歴訪を始めた。総門から入る、総門の扁額の巨には勢い余って点が入ったと言う。境内に入り歩いて行くと三門が聳える。建長寺は鎌倉五山の第一位の禅寺、三門を過ぎると仏殿の前には柏槇(びゃくしん)の大樹、仏殿の中には地蔵菩薩が鎮座していた。仏殿の横を抜けると、次の法堂の中には釈迦苦行像と千手観音。法堂の奥にに進むと方丈とお庭、そこを過ぎると山道の様相になり紫陽花が多く咲いていた。奥の半僧坊道はかなりの登り、鳥居を過ぎても石段が長々と続く、やがて烏天狗が点在し一番上には大天狗が立っていた。半僧坊は建長寺の鎮守社になっている。そこまで登ってから戻り、次は紫陽花の名所・明月院へ。




















お寺巡りー135.修善寺(静岡県伊豆市)

2014-01-24 08:33:22 | 旅行
 2010年1月31日、西伊豆を旅した時に寄った。修善寺は配所の将軍・頼家と面造り師・夜叉王の交流を描いた岡本綺堂の「修善寺物語」で知られる。807年(大同2年)に空海が創建したと伝えられるが、その後戦乱や火災で荒廃し、伊豆一国を収めた北条早雲によって再興されたと言う。参拝後、門前の狩野川を渡って2代将軍・頼家の墓まで行った。墓の前に建つ指月殿は母北条政子が頼家の冥福を祈り建立したもので、中には釈迦如来坐像が安置してあった。狩野川河畔の新井旅館は多くの文人達に愛された名旅館と言う。




















お寺巡りー134.茂林寺(群馬県館林市)

2014-01-23 08:23:45 | 旅行
 2013年9月27日、足利市駅から東武線で柏に戻る途中に茂林寺前駅があったので降りてみた。駅前に狸さんが並び分福茶釜の絵が掲げられていた。茂林寺へ向かうと分福茶釜のお話の絵が次々と現れ道案内になっている。茂林寺の参道入口には青龍山茂林禅寺の石標、総門を抜けると左右に狸さんが並び、山門の脇には大狸。山門から入ると狸さんは居ない、聖観音様が座っておられた。茂林寺は曹洞宗のお寺で本堂にはご本尊の釈迦牟尼仏像が祀られている。現本堂は応仁2年に建立され、享保12年に改築を行ったもの。本堂北側の一室には分福茶釜が安置されているとの事。境内には歴史を感じさせる立派な木が多い、大サワラ(元禄3年に植えられたと言う)・ラカンマキ(樹齢580年)・大フジ等。境内を一巡して茂林寺前駅に戻り、東武電車を乗り継いで帰宅した。




















お寺巡りー133.鑁阿寺(足利市)

2014-01-22 08:26:34 | 旅行
 2013年9月27日、快晴、柏から東武電車を乗り継いで足利市駅へ。駅を出ると目の前に渡良瀬川の土手、鑁阿寺を目指して橋を渡る。旧50号の交差点まで来ると、祝国宝指定「鑁阿寺本堂」の大きな垂れ幕があった、今年8月7日に正式に国宝に指定されたばかり。
鑁阿寺はお濠と土塁で方形に囲まれている。境内には反橋を渡って楼門から入る、楼門の両側の仁王尊像は建物より古く、鎌倉時代・運慶の作と言われているが、金網が邪魔で巧く写せなかった。境内に入ると正面に鑁阿寺本堂、この境内は平安末期から鎌倉初期にかけて、足利氏2代目・義兼の居館が築かれたところで、その後、義兼が持仏堂を建てたことから、次第にお寺として整備されてきた。現本堂は足利尊氏の父・貞氏が1299年に再建したもの。境内には大銀杏が聳えていた、足利氏2代目・義兼のお手植えと称しているが、鑑定では樹齢550年と判定され、より後代のもの。大銀杏の背後にある多宝塔は寛永の頃の徳川家の寄進、徳川氏は足利の庄から分家した新田氏の後裔と称しているので、祖先発祥の地としているらしい。
本堂の左に廻ると重要文化財の経堂がある、足利義兼が妻の供養の為一切経会を修する道場として鎌倉時代に創建したと言われるが、現在の建物は1407年に関東管領・足利満兼により再建されたもの。更に奥には、赤御堂とも呼ばれる朱塗りの御霊屋があり、創建は鎌倉時代だが、現在の建物は徳川11代将軍・家斉の寄進により再建された。本殿の後ろも広い、奥に幾つかの建物が並ぶ。大酉堂は元来は足利尊氏を祀るお堂だったが、明治中期に足利尊氏を逆賊とする皇国史観が台頭してから大酉大権現を本尊とした。校倉造りの建物は宝庫、蛭子堂は足利義兼の妻・北条時子を祀る、北条時子は頼朝の妻・北条政子の妹。本堂に向かって右側には庭園があり、池を廻って回遊できる。庭園の中に立つ鐘楼は鎌倉時代の建立で重要文化財。境内を一回りして楼門に戻り、反橋を渡って外に出て、次は足利学校へ向かった。