シニアのウエさんの旅日記

神社を軸に全国各地を歩いてます。

お寺巡りー133.鑁阿寺(足利市)

2014-01-22 08:26:34 | 旅行
 2013年9月27日、快晴、柏から東武電車を乗り継いで足利市駅へ。駅を出ると目の前に渡良瀬川の土手、鑁阿寺を目指して橋を渡る。旧50号の交差点まで来ると、祝国宝指定「鑁阿寺本堂」の大きな垂れ幕があった、今年8月7日に正式に国宝に指定されたばかり。
鑁阿寺はお濠と土塁で方形に囲まれている。境内には反橋を渡って楼門から入る、楼門の両側の仁王尊像は建物より古く、鎌倉時代・運慶の作と言われているが、金網が邪魔で巧く写せなかった。境内に入ると正面に鑁阿寺本堂、この境内は平安末期から鎌倉初期にかけて、足利氏2代目・義兼の居館が築かれたところで、その後、義兼が持仏堂を建てたことから、次第にお寺として整備されてきた。現本堂は足利尊氏の父・貞氏が1299年に再建したもの。境内には大銀杏が聳えていた、足利氏2代目・義兼のお手植えと称しているが、鑑定では樹齢550年と判定され、より後代のもの。大銀杏の背後にある多宝塔は寛永の頃の徳川家の寄進、徳川氏は足利の庄から分家した新田氏の後裔と称しているので、祖先発祥の地としているらしい。
本堂の左に廻ると重要文化財の経堂がある、足利義兼が妻の供養の為一切経会を修する道場として鎌倉時代に創建したと言われるが、現在の建物は1407年に関東管領・足利満兼により再建されたもの。更に奥には、赤御堂とも呼ばれる朱塗りの御霊屋があり、創建は鎌倉時代だが、現在の建物は徳川11代将軍・家斉の寄進により再建された。本殿の後ろも広い、奥に幾つかの建物が並ぶ。大酉堂は元来は足利尊氏を祀るお堂だったが、明治中期に足利尊氏を逆賊とする皇国史観が台頭してから大酉大権現を本尊とした。校倉造りの建物は宝庫、蛭子堂は足利義兼の妻・北条時子を祀る、北条時子は頼朝の妻・北条政子の妹。本堂に向かって右側には庭園があり、池を廻って回遊できる。庭園の中に立つ鐘楼は鎌倉時代の建立で重要文化財。境内を一回りして楼門に戻り、反橋を渡って外に出て、次は足利学校へ向かった。