よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

11月30日(火)の聖言

2010年11月30日 | Weblog

「わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心に責められることのないように、常に努めています。」使徒24:16 

神様から、またひとから、責められないためには、自分の良心が痛まない歩みをすることです。なんとか人から、神様から非難されまいと努めますが、どこまですればいいのか自信がもてません。だから、自分が静かに振り返ってみて、自分の良心に責められないように気をつけることが何よりも大切です。そうすれば自ずから、神様と人にも責められない生き方ができます。(KE)

By Amadaさん
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11月29日(月)の聖言

2010年11月29日 | Weblog

「また彼らに言われた、『聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう』。」マルコ4:24

 世間でも“天につばきする”と言われますが、他者を非難すれば自分も同じように非難されるから、なにごとにも細心の配慮が必要です。語るなら、その結果をも自分が引き受ける覚悟がなければなりません。神様は公平で義なる方ですから、私達の行動にきちんと報いておられるのです。神様の怒りを我が身に積むことがないように、文字通り真剣に生きようではありませんか。(KE)

By Amada さん

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11月28日(日)の聖言

2010年11月28日 | Weblog

「それゆえ、彼らに言え、主なる神はこう言われる、わたしの言葉はもはや延びない。わたしの語る言葉は成就すると、主なる神は言われる。」エゼキエル12:28 

神様の言葉は信実ですから、決して裏切られることはありません。私達は自分の言葉も実行できないでいますから、言葉を信用しない傾向があります。今年も間もなくクリスマスを迎えますが、これこそ神様の言葉、預言が成就した証しです。ことにマタイは福音書で繰り返し神様の言葉が成就したと語っています。あなたも神様の言葉を一つでも信じてみてはいかがですか。(KE)


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11月27日(土)の聖言

2010年11月27日 | Weblog

「わが魂はあなたの救を慕って絶えいるばかりです。わたしはみ言葉によって望みをいだきます。」詩篇119:81 

次々と起こってくる問題や苦しみにあるとき、私達の魂は神様を求める謙遜な心となります。これは神様が人に与えられた天来の恵みです。人に裏切られ、頼りとするものが断たれて絶望するとき、私達には真実な助けがあります。それはみ言葉です。み言葉、あるいは聖書の言葉は信じる私達に望みとなり、力を与えてくれます。どんなときにも、聖書にこうあるから、主がこのように語っているからと望みを得て下さい。(KE)


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11月26日(金)の聖言

2010年11月26日 | Weblog

「エリシャは言った、『恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから』。」列王下6:16

 預言者エリシャの家がスリヤの軍勢に取り囲まれました。召使いはそれを見て恐れおののきました。これはその時の言葉です。召使いの目にはスリヤ軍しか見えませんでしたが、神様の軍勢である火の馬と火の戦車が彼らを守っていたのです。私達も召使いのように目の前の問題や事件しか見えないため、うろたえ大騒ぎしますが、まず祈って、そこにいます全能の神なる主を見てください。勇気が湧いてきます。(KE)


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11月25日(木)の聖言

2010年11月25日 | Weblog
 
「神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。」ローマ4:21 

私達の信仰は神様の言葉を信じることによるものです。しかもその言葉は約束ですから、実行されなければ意味がありません。口約束、空手形などと言われるように、人の世では言葉だけで成就しないことのほうが多いのです。そこで大切なのは、当事者の資質、すなわち真実か不真実かによるのです。人は不真実ですから、当てになりませんが、神様は真実な方です。決して裏切ることをなさいません。みことばに賭けてみてはいかがですか。(KE)


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11月24日(水)の聖言

2010年11月24日 | Weblog

「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。」Ⅰコリント15:14 

イエス様の復活はキリスト教の躓きの石だという人がいますが、むしろ復活を信じなければキリスト教はいのちを失い、私達の信仰も消えてしまいます。イエス様がよみがえって、今も共におられることを信じるとき、現実の生活のなかで、ふとしたときに主の眼差しを感じ、ささやきを聞き、み手のぬくもりを味わうことができます。こればかりは信じて体験しなければどうにもなりません。(KE)


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11月23日(火)の聖言

2010年11月23日 | Weblog

「聖書はパロにこう言っている、『わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである』。」ローマ9:17 

モーセは神の民を解放するようにとパロ王に繰り返し要求しますが、王は頑なになり、前言を翻して拒み続けます。どうして神様はパロ王を赦しておられるのかと思いますが、それには神様の意図があったのです。彼によって神様のわざが明らかに成るためです。どんなことにも神様による存在理由があるのです。(KE)


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11月22日(月)の聖言

2010年11月22日 | Weblog

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。」伝道3:11 

何事にもそれぞれ「潮時」というものがあります。最善の時をと願いますが、ただ、それがいつであるか確信がもてません。だから、この時でよかっただろうかと不安になります。しかし、神様はけっして「時」を逃しません。「今がその時だ」と神様が促される指示を待ち、即座に従おうではありませんか。(KE)


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11月21日(日)の聖言

2010年11月21日 | Weblog

「わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。」ホセア6:6 

日本人には、神様は怖いものであって、たたりをあたえると古くから刷り込まれた観念があります。真の神様はそうではありません。確かに恐れるべき方ですが、決して恐怖を抱くべき方ではありません。むしろ、いつくしみと憐れみ満ちた方です。神様のはご自分をもっと知ってほしいと願っています。それは神様に対して偏見や誤解があるからです。日々の生活を通して、神様と深く交わり、神様の愛に満たされましょう。(KE)


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11月20日(土)の聖言

2010年11月20日 | Weblog

「主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成ったことがあるか。災もさいわいも、いと高き者の口から出るではないか。」哀歌3:37-38 

天地万物が神様の創造によるのだと信じるとき、私達の日常生活もまた創造者の摂理によって存在していると信じざるを得ません。神様の許しがなければ、人はなにひとつ出来ないし、事は起こりません。人にとって善いことも悪いことも、神様のご計画とみ思いによるのです。それらの結論は世を去るとき、否、終末のときまで待たなければなりません。(KE)


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11月19日(金)の聖言

2010年11月19日 | Weblog

「わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない。」使徒4:20 

聖霊に満たされたのち、弟子たちはユダヤ人を恐れず、町中へ出掛けて大胆にイエス様の救いを語りました。誰に指示されたわけでもなく、内部から突き動かす力に押し出されたのです。聖霊あるいは御霊と言う方は私達にたえず干渉して来られます。その時、自分ではない思いが与えられ、行動に促されます。じっとしておられない、言わなければ居られない事態におかれます。あなたにも神様は臨んでおられます。(KE)

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11月18日(木)の聖言

2010年11月18日 | Weblog

「自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである。」ルカ12:21

 自分の欲望や情動に動かされて、それらを満たすことは「自分のために宝を積む」ことです。一方、あなたがしていることが神様のみこころであると確信するなら、そのことは「神に対して富む」ものです。これが天に宝をつむことです。同じ事をしていても、その動機が自分のためなのか、主のためなのかによって、大きく違ってきます。神に対して富む行為はこの世で報われないことですが、天国銀行の口座に積み立てられているのです。(KE)


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11月17日(水)の聖言

2010年11月17日 | Weblog

「わが子よ、あなたの父の戒めを守り、あなたの母の教を捨てるな。つねに、これをあなたの心に結び、あなたの首のまわりにつけよ。」箴言6:20-21 

世間でも、「親の意見となすびの花は、千に一つの無駄もない」と言われます。親の意見や小言はうるさくて無駄なように思われますが、歳を重ねて来るにつれて含蓄のある言葉に変わってきます。神様のことばも同じです。若いときはみことばに心を留めませんが、人生半ばを超えてくるとしみじみ得心が行きます。今はわからなくても、しっかり御言を心に蓄えましょう。(KE)


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11月16日(火)の聖言

2010年11月16日 | Weblog

「わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。」ローマ7:18

 パソコンは電源やメモリー、ハードディスクなどの機械的なものとそれらを動かすソフト(Operating Soft)から成り立っています。ソフトが間違った指令を出すと、パソコンがおかしくなります。人も同様に、身体的な機能とそれらを総合的に動かす能力とで出来ています。生まれながらに書き込まれたサタンのプログラムを、人が本来持つべきプログラムに書き換えて下さったのがイエス様です。それによって正しい歩みができます。(KE)


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十字架のイエス・キリスト

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