よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

2月26日(日)の聖言

2017年02月26日 | Weblog

「そして彼らに言われた、『「わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである」と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている』。」マタイ21:13

 イエス様はエルサレムに来られたとき、宮で商売をしている人々を追い出しました。神の宮を汚していたからです。私達はイエス様の救いによって、聖霊の宮、主を宿すものとされています。しかし、その心は私利私欲、肉の欲得の働くところとなっていないでしょうか。主の住まいにふさわしく、みことばの光に照らされて十字架によって清められましょう。(KE)

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2月25日(土)の聖言

2017年02月25日 | Weblog

「彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。」マタイ27:32

 イエス様はピラトの法廷で十字架刑を宣告された後、ご自分の十字架を負うてゴルゴタに向かいました。そのとき、居合わせたシモンは思いがけず主の十字架を負うはめになったのです。不本意ながら負わされたものでしたが、彼の生涯を変える事態でした。主に仕えて生きるとき、主が負わせられる重荷を負わなければなりません。私たちも第二のシモンとなろうではありませんか。(KE)

Photo by 「sanbika.net」さんより

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2月24日(金)の聖言

2017年02月24日 | Weblog

「イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』。イエスは言われた、『いや、あなただ』。」マタイ26:25

 イエス様はだれが裏切ろうとしているかを知っていました。だから、本人にはっきり指摘したのです。しかし、彼は意に介さず他人ごとのようです。それはユダのみならず私たちも同じです。主を裏切ることの多い私たちは、「いや、あなただ」と言われるのに聞こうとしません。サタンの力で心が頑なになっているからです。主のみ声を聞くなら、素直に従おうではありませんか。(KE)

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2月23日(木)の聖言

2017年02月23日 | Weblog

「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。」ヨハネ6:38

 イエス様の生涯の目的は、父なる神様から遣わされた者としてみこころを行うためでした。イエス様の救いをいただいた私たちもまた、天に国籍を持つ者となり、この世にあっては遣わされた者です。その使命はイエス様と同じくみこころを行うことに尽きます。自分の心のまま、欲望の赴くままに生きるのではありません。神様のみこころを求め、それに従うことです。(KE)

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2月22日(水)の聖言

2017年02月22日 | Weblog

「神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。われらはあなたのみ名を呼び、あなたのくすしきみわざを語ります。」詩篇75:1

 人に感謝したり、恵まれた境遇に感謝したりしますが、神様に感謝することがなによりも大切です。それは日ごとに神様の恵みと慈しみによって生かされているからです。感謝することがないと言いますが、平凡な一日を過ごせること自体、神様のみわざです。自分にとって良かった、悪かったではなく、今日一日が神様のみわざです。すべてのことを感謝して、みわざを語ろうではありませんか。(KE)

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2月21日(火)の聖言

2017年02月21日 | Weblog

「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」箴言29:25

 人はさまざまな恐れに囚われます。病気を恐れたり経済的な不足を恐れたり、それぞれの恐れには原因があります。なかでも人を恐れるとき力をなくします。その結果、人の言葉に引き回されてとんでもない失敗をしてしまうのです。しかし、神様を恐れ信頼するとき平安があります。たとえ独りきりになっても、なにものも恐れないで生きることが出来ます。自分の心を探って神様以外に恐れている事がないか点検してみましょう。(KE)

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2月20日(月)の聖言

2017年02月20日 | Weblog

「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。」ピリピ2:6-7

 イエス様は神と等しい方、神様ご自身と言っても過言ではありません。本来、神の位にあるべき方が被造物である人間の姿になって人の世に住んでくださった。これ以上の「謙遜」が他にあるでしょうか。その上、罪人とされて十字架に掛けられ、墓に葬られて完全に「無」となられたのです。この生涯こそ私たちを永遠の命へ導く道です。(KE)
 

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2月19日(日)の聖言

2017年02月20日 | Weblog

「十字架の言(ことば)は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。」第一コリント1:18

 十字架は極悪人を処刑する道具です。イエス様は罪人として、十字架に架けられました。何一つ抵抗せず、時の権力に負けたイエス様に多くの人々は失望し、離れて、滅びの道を行きました。十字架の出来事は大きなつまずきの石となったのです。しかし、主は死を打ち破ってよみがえり、信じる私たちに神の力を与えて、生きるものとして下さっています。この十字架こそ新しい命への入り口です。(KE)

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2月18日(土)の聖言

2017年02月18日 | Weblog

「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。」ローマ14:8

 イエス様に救われるとは人生の目的が変わることです。人は生まれながらに自分のために生きようとします。自分の夢、計画、願いを実現し、満たそうとします。しかし、本来人は創造者の目的にそって生きるべきです。それが創られた者の幸いだからです。主は私たちのために命を捨てて、新しい命に生きるようにしてくださいました。それが主のために生きる人生です。(KE)

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2月16日(木)の聖言

2017年02月16日 | Weblog

「こうして、ヤコブは七年の間ラケルのために働いたが、彼女を愛したので、ただ数日のように思われた。」創世記29:20

 ヤコブは叔父のラバンのもとに寄留していました。娘ラケルを愛しました。結婚の条件として七年間ラバンのために働くことでした。しかし、彼にとってはほんの数日に思われたのです。それはラケルに対する愛の故です。イエス様はご自分の命を捨てて、私たちへの愛を現してくださいました。どのような境遇にあっても、イエス様を愛して生きるとき、愛のゆえに全てを忍び、信じ、望み、耐えることができます。(KE)

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2月15日(水)の聖言

2017年02月15日 | Weblog

「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。」ローマ11:33

 人は知らないことに不安を感じ、分からないことをそのままにしておくことができないのです。なんとか、理屈や説明をつけて納得しようとします。しかし、私達はどんなことでも、またこれからのことでも、全部を知り尽くすことができません。神様の豊かな知恵と知識により神様のみこころに従って導かれているからです。何もわからない自分であることを認めて、神様のご愛の手に委ねてみわざを期待しましょう。(KE)

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2月12日(日)の聖言

2017年02月12日 | Weblog

「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。実るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つともに良いのであるか、あなたは知らないからである。」伝道11:6
 
 事を始めようとするとき、人は必ず結果を計ります。費やす労力と得られるものとの効率を考えてするかしないかを決めます。そうである限り功利主義の枠から出ることが出来ません。神様が求められることは、結果を考えてのことではなく、神様のみこころを信じて踏み出すことです。結果を出すのは主であって私たちではありません。(KE)

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2月11日(土)の聖言

2017年02月11日 | Weblog

「神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。」詩篇139:17

 天地創造の初めから、今に至るまで神様の創造は休み無く続いています。全てのものを生かし、また終わらせ、そのわざを窮めることはできません。私達のこの世の旅路も、神様の力あるみ手に導かれ、造り出されています。しかし、人は浅はかな知恵で事を行い、事を定めようとします。神様のわざを認めようとしません。事の大小尊卑にかかわらず、全ては神様の手にあるのです。(KE)

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2月10日(金)の聖言

2017年02月11日 | Weblog

「しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。」第二コリント2:14

 神様は私達をさまざまな困難や試練に導かれます。それによって、イエス様を求め、信頼し、勝利を得るためです。その戦いを通して私達をキリストのかおりとして、芳しい香りを放つ者としてくださるのです。罪と咎とのため死んで、死臭を漂わせていた者を練り清めて、最高の香料としてくださいます。感謝!感謝!(KE)

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2月9日(木)の聖言

2017年02月09日 | Weblog

「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。」詩篇130:5

 人の助けを待つのでもなく、状況の変化を待つのでもありません。神様が動かれるのを待つのです。これほど確かな望みはありません。見えるところがどんなに絶望的であっても、神様は出来ないことのない方、しかも、あなたを愛しているのです。約束のみ言葉を握って神様のわざを期待しましょう。状態が悪ければ悪いほど、神様らしいことをやってくださいます。(KE)

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十字架のイエス・キリスト

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