「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」 マタイ6:13
「主の祈り」の一節です。人は愚かな者ですから、試練といわれる痛い目に遭わなければ気がつかず、目が覚めません。そうならない先に、悟ることが幸いです。ですから、「試みに会わせないで」と祈らずにはおれません。そう祈っても、なお試練に会うとすれば、それこそ神様のみこころではないでしょうか。その中を通らなければ知り得ない何かが隠されているからです。(KE)
「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」 マタイ6:13
「主の祈り」の一節です。人は愚かな者ですから、試練といわれる痛い目に遭わなければ気がつかず、目が覚めません。そうならない先に、悟ることが幸いです。ですから、「試みに会わせないで」と祈らずにはおれません。そう祈っても、なお試練に会うとすれば、それこそ神様のみこころではないでしょうか。その中を通らなければ知り得ない何かが隠されているからです。(KE)
「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。」詩篇90:12
今年もはや終わろうとしています。目の前の事に夢中になっているうちに、気が付くと、時はまたたく間に過ぎていました。そのように、人生の終わりも近づいてきます。終わりの間近なことを悟るとき、今の時をどのように過ごすべきかが見えてきます。しっかりと、地に足を踏みしめて、一日一日を大切に、与えられた命を生きてください。それが生かされた者の使命です。(KE)
「来て、神のみわざを見よ。人の子らにむかってなされることは恐るべきかな。」詩篇66:5
神様のみわざの中に日々生きていながら、そのみわざの驚くべき事態を自覚せずに過ごしています。あまりに日常的になり、感動も驚きもなくなっているのではないでしょうか。周囲には様々な事故や災害、天災から人災など、多くの人々が巻き込まれていながら、あなたは今日も生きている。こんな当たり前と思えることも不思議としか言えません。ありふれた今日の一日も、神様のみわざです。(KE)
By 輝子さん
「あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。」黙示3:15
曖昧模糊として、白黒をはっきりさせないのが、和をもって尊しとする日本の慣習のようなところがあります。そのため、立場をハッキリさせるべきときにいい加減にしてしまうことになります。殊に、神様に対する態度が中途半端であっては恵みを受けることができません。神様を信じるのか、信じないのか、しっかりと態度を決めたいものです。神様は義と不義とを峻別なさる方です。(KE)
「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである。あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。」ヘブル12:6-7
試練や訓練は好ましいもの、願わしいものではありません。しかし、それによって鍛えられるとき、美しくなります。手入れされず、放り出されるなら、無秩序と混沌におちいり、醜悪です。神様は愛するゆえに、あなたを神の作品として仕立てようとなさるのです。(KE)