よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

11月30日(金)の聖言

2007年11月30日 | Weblog
「種まきは御言をまくのである。」マルコ4:14 

イエス様の語った「種まき」のたとえ話の一節です。
聖書のことば、神様の言(ことば)を種に譬えました。

種は見栄えのしない小さな粒です。これが土に埋められ、
湿気と温度によって分解し、芽が出て根が伸び、大きく育ちます。

種の中に「いのち」が宿っているからです。
命のないものを土に埋めれば腐敗しておしまいです。

神様のことばもそれと同じで、聞いた言が心に埋められると、
やがて新しい力を発揮して、私達のいのちとなります。

(榎本和義牧師)
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11月29日(木)の聖言

2007年11月29日 | Weblog

「御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、
いのちの水の泉に導いて下さるであろう。
また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう。」
黙示7:17 

神様を信頼し、畏れ敬う生涯は、この世で報われることの少ない、
むしろ戦いの旅路です。しかし、この旅路が終わるとき、
主の御前に携えられて、イエス様の慰めと命をいただくことができます。

与えられる報いを望みとして、今日も備えられた道を、
主のみこころに従って歩んでください。
あなたの労苦は無駄になることはありません。

(榎本和義牧師)
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11月28日(水)の聖言

2007年11月28日 | Weblog

「すると彼は言った、『あのかたが罪人であるかどうか、
わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。
わたしは盲人であったが、今は見えるということです』。」ヨハネ9:25 

イエス様に、見えない目を癒してもらった人の言葉ですが、
とても力があります。この言葉が知識や伝聞によるものではなく、
自分の身に起こった紛れもない事実を語っているからです。

私達の信仰の弱さはイエス様を実験体得していないからです。
盲人であった彼は、その障害のゆえに、
イエス様に触れ、自分のものとしました。

(榎本和義牧師)
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11月27日(火)の聖言

2007年11月27日 | Weblog

「今わたしは、主とその恵みの言(ことば)とに、あなたがたをゆだねる。
御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々に、
御国をつがせる力がある。」使徒20:33 

自分が育てた子供たち、自分が手がけた事業などを
手放さなければならないときがきます。
心血注ぎ、苦労を重ねたものだけに身を裂かれる思いがするでしょう。

しかし、神様から委ねられたものを、神様にお返しすることです。
いつまでも自分の手に握っていても、良い結果にはなりません。
自分を捨て、主とみことばを信じて踏み出しましょう。

(榎本和義牧師)
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11月26日(月)の聖言

2007年11月26日 | Weblog

「愛する者たちよ、それだから、この日を待っているあなたがたは、
しみもなくきずもなく、安らかな心で、
神のみまえに出られるように励みなさい。」Ⅱペテロ3:14 

「この日」とは「神の日」、終末のときです。
その日はわたしたちの救いが具体的に完成する日でもあります。

今は、信仰によって神の子とされていますが、
その日には文字通り神の子となって、父なる神様のみまえに出るのです。

それゆえ、今、主の恵みを信仰によって受け、信じ、
それが具体化されたこととして、生きようではありませんか。

(榎本和義牧師)
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11月25日(日)の聖言

2007年11月25日 | Weblog

「死んだはえは、香料を造る者のあぶらを臭くし、
少しの愚痴は知恵と誉れよりも重い。」伝道10:1 

「死んだはえ」がどの程度の悪臭であるか知りませんが、
どんなに僅かな異臭でも、香料をダメにしてしまいます。

それと同様に、ほんの少しの愚痴によって、それまでの努力が台無しになります。
神様から求められることがあるならば、全力を尽くして最後までまっとうしましょう。

知恵を尽くし、栄誉に輝く業績であっても、一言のつぶやきが全てを失わせます。
神様はあなたの労苦に報いてくださいます。

(榎本和義牧師)
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11月24日(土)の聖言

2007年11月23日 | Weblog

「神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、
あなたの力をきたらんとするすべての代に宣べ伝えるまで、
わたしを見捨てないでください。」詩篇71:18 

イエス様の救いは、家内安全無事息災のご利益のためではなく、
また天国への資格を得るためでもありません。

そのような恵みは結果として必ず伴いますが、第一の目的は、
私達のような弱い者、知恵の無い者、無きに等しい者を通して、
神様の力を証明し、宣伝させるためです。その使命が達成されるまで、
生かされ、そのための境遇に置かれます。

(榎本和義牧師)
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11月23日(金)の聖言

2007年11月23日 | Weblog

「たといわたしは飢えても、あなたに告げない、
世界とその中に満ちるものとはわたしのものだからである。」詩篇50:12 

神様は人から助けてもらわなければならないほど、貧弱な方ではありません。
万物は私のものだと、言われます。ところが、人は高慢ですから、
自分達が神様を養い、持ち運んでいると思い上がっています。

「神様のために」してあげることなど、なにもありません。
それどころか、一方的に神様から戴いたもので養われ、
生かされているのです。感謝しようではありませんか。

(榎本和義牧師)
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11月22日(木)の聖言

2007年11月22日 | Weblog

「もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、
また彼と共に生きることを信じる。」ローマ6:8 

神様が全能者であろうと、愛の方であろうと、イエス様の十字架がなければ、
私達はいつまでも「縁なき衆生」にすぎません。

十字架は私達の信仰の始まりであり、終りでもあります。
しかも、二千余年前のゴルゴタでの出来事としてではなく、
今日生きているあなたは、キリストと共に十字架に死んだものであって、
甦ったイエス様によって生かせれているのです。

日々、キリスト共に死に、共に生きようではありませんか。

(榎本和義牧師)
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11月21日(水)の聖言

2007年11月21日 | Weblog

「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、
よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について・・・」Ⅰヨハネ1:1 

信仰の始まりは、なんといっても、聖書の言葉を聞くことからです。
しかし、いつまでも聞いたことだけにとどまっていては借り物にすぎません。

自分でじかに体験することが不可欠です。「聞いて」「見て」「手で触った」体験は、
嘘偽りもなく、確信に満ち、説得力があります。
聖書の言葉を出来るだけ沢山実体験して、不動の信仰を身につけましょう。

(榎本和義牧師)
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11月19日(月)の聖言

2007年11月19日 | Weblog
「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。
あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、
恐れてはならない、おののいてはならない。」ヨシュア1:9 

「主が共におられるゆえ」とは、なんと心強いことでしょうか。
あなたに気落ちしたり、失望するようなことがありますか。
今日も主は、「ここにいるよ」と、声をかけておられます。

どうぞ、見えないけれども、あなたの間近にいらっしゃる主を信じて、
奮い立とうではありませんか。主はあなたを助けようと待っています。

(榎本和義牧師)
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11月18日(日)の聖言

2007年11月18日 | Weblog

「五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。
しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。」ルカ12:6 

イエス様の時代も、すずめはありふれた、値打ちのない鳥だったようです。
そのような小さなものすら、神様は忘れることなく、顧みておられます。

これは大きな慰めであり、励ましです。あなたがどんな者であろうと、
神様は決して忘れないどころか、すずめよりも勝ったものとして取り扱ってくださいます。

この神様を信じ、信頼しなければ、誰を信じることができましょうか。

(榎本和義牧師)
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11月17日(土)の聖言

2007年11月17日 | Weblog

「するとイエスは言われた、『カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』。」マルコ12:17 

ローマ時代の貨幣は、皇帝の肖像が刻まれていました。
この世の冨が誰のものであるかのあかしです。

だから、イエス様は税金を納めよと言われました。
同時に、私達は神様の肖像、神の像が刻まれた存在です。

私達を創造し所有するのが誰であるかを現しています。
あなたは神様の手に握られていますか。

そうでなければ、神様に返してください。

(榎本和義牧師)
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11月16日(金)の聖言

2007年11月16日 | Weblog

「悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、]
かえって、祝福をもって報いなさい。あなたが召されたのは、
祝福を受け継ぐためなのである。」Ⅰペテロ3:9 

人は自分の利益のために救いを求めますが、
神は「祝福を受け継ぐ」者として私達を救われました。

いうならば、「祝福の配達人」として召されたのです。
溢れるばかりに祝福をいただいているのに、気がつかないだけです。

何気ない小さなことにも、主の祝福と恵みがあります。
それを汲み取って、多くの人に報いていきましょう。

(榎本和義牧師)
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11月15日(木)の聖言

2007年11月15日 | Weblog

「人が、なすべき善を知りながら行わなければ、
それは彼にとって罪である。」ヤコブ4:17 

最近の事件で特徴的なのは、内部告発による発覚です。
自分が知りえた悪いことを指摘するのは勇気のいることです。

同時に、告発者の良心の問題でもあります。世間で「不作為の罪」
と言うものがあります。それはまさに「善を知りながら行わない」ことです。

公務員にしろ、企業人でも、当然するべきことを怠けてしまうと、
とんでもない結果となります。

神様のみこころを知るとき、躊躇せず従いましょう。

(榎本和義牧師)
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十字架のイエス・キリスト

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