よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

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感謝申し上げます。

2018年11月10日 | Weblog

この度急きょ引っ越しする事となりました。皆さまには長い間有難うございました。

皆さまの上に 神さまの祝福が雨と注がれますように お祈り申し上げます。

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11月8日(木)の聖言

2018年11月08日 | Weblog

「主はこう言われる、『おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる』。」エレミヤ17:5

 「のろわれる」とは怖い話です。なんだか神様から脅されているように聞こえますが、そうではありません。神様の「のろい」「刑罰」はあなたの選択と決断によって、自らが引き寄せているものです。雨降りのなかに傘も差さずに出て行けば必ず濡れます。しかし、屋根の下に入れば濡れません。同様に、神様に頼れば幸いですが、人や肉なる者を頼ると不幸です。あなたはどちらを選びますか。(KE)

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11月4日(日)の聖言

2018年11月04日 | Weblog

「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」詩篇30:5b

 人生には必ず闇の中を通っているような希望のないときを過ごすことがあります。しかし、どんなに暗い闇夜でも朝がやってくると同様に、苦しみや悩みの中を通るとも、それは必ず終わる時がきます。それに思いを寄せるならば望みが湧いてきますが、ただ、その夜明けが何時であるか分りません。必要なのは忍耐です。救の光を照らしてくださる神様を待ち望むことが忍耐する力となります。(KE)

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11月3日(土)の聖言

2018年11月03日 | Weblog

「そこでイスラエルの人々は彼らの食料品を共に食べ、主のさしずを求めようとはしなかった。」ヨシュア9:14

 カナンの地に定住し始めたとき、ギベオンの住民は神の民を恐れ、遠くに住む民を装ってヨシュアたちのところへ平和協定を結ぶためにきました。彼らの話を聞き、長旅を思わせる姿を見て、彼らと和平を約束しました。彼らはすぐ隣に住む民だったのです。神様の導きを求めず、見るところ、聞くことをもって事を定めた結果、彼らは災いの種になりました。まず、主に問うことから始めようではありませんか。(KE)

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11月2日(火)の聖言

2018年11月02日 | Weblog

「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。」第一テモテ4:4

 万物の創造者なる神様が間違ったり、作りそこなったり、役に立たないものを造ることはしません。人がどう思ったとしても、神様が「良し」とされるなら、それが全てです。私たちのなし得ることはただ感謝して受ける以外にありません。受け入れがたいこと、嫌だと思うことがあるなら、まず感謝してください。きっと思いがけない変化が起こってきます。(KE)

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10月31日(水)の聖言

2018年10月31日 | Weblog

「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。」マタイ24:42

 地震や火災など、災害に備えていろんな手だてを考えますが、肝心な終末のときの備えがされないのは片手落ちです。ただ、それがいつなのかわからないゆえに、放置しているだけです。しかし、終りがあることは確実ですから、慌てふためかないように、そのときに備えて常に心を整え、神様に喜ばれる一日一日を忍耐づよく生きようではありませんか。(KE)

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10月30日(火)の聖言

2018年10月30日 | Weblog

「イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福してさき、弟子たちにわたして群衆に配らせた。」ルカ9:16

 パン五つと魚二匹で五千人以上の人々を満腹させたときのことです。一食分にしかならないものですが、これでは役立たないと言ってしまえば、それだけのことにすぎません。見える現実はそうであっても、イエス様の手に渡し、その祝福をうけるとき、想像をこえた事態が生じます。大切なのは、神様の祝福を受けることです。そのためにはイエス様の手にゆだねなければなりません。(KE)

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10月27日(土)の聖言

2018年10月27日 | Weblog

「ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。」ルカ11:41

 最新流行のファッションで身を飾り、高価な化粧で美しくしても、その内なる心が、怒りや、妬み、思い煩いなどに満ちているなら、空しいことです。大切なのは中身です。外側はどんなにでも取り替えることができますが、内側は自分の力ではどうにもなりません。十字架にあらわされた神様の愛に満たされ、絶えずみことばの光に照らされて清くしていただきましょう。(KE)

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10月26日(金)の聖言

2018年10月26日 | Weblog

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」第一コリント10:13

 試練にあうとき、自分だけが苦しんでいるという孤独感、この状態から逃れられないという閉塞感が苦しみを増大させます。しかし、神様はそのような酷い方ではありません。限りない愛を注いでいるとの約束を真実にまっとうしてくださる方です。神様のご愛を信じましょう。(KE)

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10月23日(火)の聖言

2018年10月23日 | Weblog

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」ピリピ2:15b

 イエス様の救は例外なくすべての人々に与えられるものです。神様はすべての人が救われることを願って、まず私たちを先に救へ導いたのです。それは救を知らない人々の中で、私たちが「いのちの言葉」を握って、輝き、キリストへの道しるべとなるためです。東の国の博士達は一つの星に導かれて救い主イエス様に出会うことが出来ました。いのちの言葉によって輝く星となるとき、救い主に出会う人がおられます。(KE)

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10月21日(日)の聖言

2018年10月21日 | Weblog

「彼は主の良しと見られることをなし、その父ダビデの道を歩んで、右にも左にも曲らなかった。」歴代下34:2

  旧約聖書の王様たちのなかで、ユダのヨシヤ王は神様の前に真っ直ぐに生きた稀なる人物です。彼は信仰に立って、国中から汚れた行い、習慣などをとり除き、神様の律法にしたがい、みこころを行いました。指導者である王の姿勢は国の人々にも影響を与え、「ヨシヤが世にある日の間は、彼らは先祖の神、主に従って離れなかった」とあります。家庭でも、国でも、持つべきは神様を恐れる指導者です。(KE)

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10月20日(土)の聖言

2018年10月20日 | Weblog

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

 人生を生きるにあたって、悲しみや苦しみはないほうがいいと願います。しかし、生きる限りのがれることはできません。では、試練・悩みは何のためでしょうか。いろんな説明が出来るでしょうが、聖書が語っているのは、神様と出会い、神様を知り、信じて、神様と共に在る平安と喜び、望みと力を体験するためです。苦難は決してマイナスではなく、私たちを真の命に結びつける大いなる恵みです。(KE)

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10月19日(金)の聖言

2018年10月20日 | Weblog

「すると彼は言った、『あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです』。」ヨハネ9:25

 生まれつき目が見えなかった人が、イエス様によって見えるようになりました。そのため大騒ぎになり、彼の家族にまで不利益が及ぶほどでした。しかし、彼には確信があったので決して動揺しません。それは誰でもない自分自身の直接体験だからです。信仰も同様に実体験によらなければ、何か事があるとすぐに消えてしまいます。(KE)

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10月18日(木)の聖言

2018年10月18日 | Weblog

「時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」ルカ1:20

 イエス様の御降誕に先だって、年老いたザカリヤとエリサベツに子供が与えられると御使が伝えました。ザカリヤは到底信じがたいことだったので、そんなことはありえないと思いました。神様を信じるとはまさに人の理解や想像を超えたことです。自分の知識や智恵で考えられる範囲にとどまりながら、神様を信じることはできません。神様の支配、「時」に委ねましょう。(KE)

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10月14日(日)の聖言

2018年10月14日 | Weblog

「主はそのみこころにかなう事を、天にも地にも、海にもすべての淵にも行われる。」詩篇135:6

 世の中をみると、どこに神や仏がいるだろうかと疑わせるような事態や事件などがあります。しかし、みことばは神様のみこころが行われていると語っています。私たちの浅はかな智恵や知識では到底知り尽くせない神様のみこころは着実に行われています。私たちが何をしようと神様の定められた道から外れることは出来ません。蒔いたものしか刈り取れないのと同様に、神様のルールは一貫して真実です。(KE)

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十字架のイエス・キリスト

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