最低、最悪のゲーム

 私はかつての高校球児だが、高1だった28年前の今頃に
行われていた大会が田川市長杯という大会だった。
 田川市内の高校5校が、トーナメント戦をこの時期と秋に
戦うのだが夏の大会前の最後の公式戦でもある。
 私が1年の時のチームはムチャクチャ弱く、新チーム結成
以来勝ったのはたったの1勝。それが翌年甲子園に行く田川
相手だったのだから野球とは分らないものだ。
 組み合わせを見ると、その田川とは決勝でしか対戦しない
ので‘何としても決勝に行って田川と対戦するぞ’と全員が
意気込んでいた。
 ただ組み合わせの関係でウチは金曜日から3連戦となって
いた。
 それでも初戦の相手が間違っても負ける事のない農林だ。
 そして午後からの授業が免除されるのでみんな大喜びだっ
たのだ。
 問題は決勝まで3連戦になるから初戦の農林戦は控え投手
のリレーで行く事にしていた。これが悪夢になるとは知らず。
 1回裏に幸先よく相手ミスなどに乗じて4点を先行、しかし
先発のYさんが2回に2塁手のエラーなどでリズムを崩し7失点
でKOされる。
 それでもリリーフしたFさんが後続を絶ち3回には大量9点
を奪って逆転、更に4回にも4点追加し17-7と大量リードした。
 5回終了時点で10点差でコールドだったので副キャプテンの
Bさんが‘この回で決めるぞ!’と気合を入れて守りについた
のだが・・・・・・。
 好投していたFさんが突如乱れエラーなども絡んで5失点。
この時点で17-12だ。
 ところが6回から3人目のSさんを登板させたのが裏目、Sさ
んは登板した3人の中で一番出来が悪く連打を浴びて4失点し
何と17-16になったではないか!
 その裏の攻撃もチャンスを潰し、ますます嫌なムードが漂い
始めた7回の表、またしてもヒットと四球などでノーアウト満
塁。
 ここでセンターに入っていたエースでキャプテンのTさんが
タイムをかけ‘オレが投げる’とマウンドにダッシュ、すると
ライトに入っていた副キャプテンのBさんが‘じゃあオレはセ
ンターに行くぞ’と言ってポジションチェンジしていたら審判
から‘勝手に代わるな!’と怒られた。
 当時ウチの野球部は部長が監督兼任で赴任したばかりの素人
監督だったのでこういう事になったのだが、今考えるととんで
もない話である。
 さすがはエース、代わりばな2者連続三振に討ち取り3人目も
2塁ゴロで‘これでチェンジ’と思いきや・・・・・・・
 代わって2塁に入っていた同級のIが捕って至近距離だったの
に拘わらず1塁へ大悪送球で走者一掃!
 更に3塁ゴロの送球を受けたファーストがポロッとやり1点を
追加され17-20となった。
 実は試合前にファーストミットの紐が切れかけていたので、
新しいミットを下ろすか迷っていたらしいが6回終了時点で紐が
切れたようだったのだ。
 8回にまたしてもミス絡みで1点を失い17-21。
 9回裏先頭のKさんがレフト前ヒット、明らかな暴走で2塁に走
って悪送球を誘い更に相手のミスを誘発させて一気に帰り1点を
返す。これで18-21だ。
 続く7回に送球をこぼして20点目を献上したAさんが歩いてつな
ぐが、走者一掃の悪送球をしたIが内野フライ。これを落球したが
インフィールドフライの宣告がなくランナーが2塁でアウト。
 更に入れ替わったIが盗塁を仕掛けて刺され万事休す。
 ファイナルスコアは
農 林  070 054 410 21
西田川 409 400 001 18

 試合開始が14:30で終了が17:30。
 実は他の部活の連中や先生方が16:00前頃に球場まで覗きに来て
いたが、4回終了時点で17-7になった時点で帰っていたのだ。
 17時を過ぎても我々が帰らないので‘終ってから市民球場で練習
して来るんやろうね’とか言っていたら‘負けた’と言いながら
帰って来たのでみなさん驚きを通り越して呆れていたようだ。
 翌日登校してから同級生や先生達からバカにされること・・・
‘オマエ達ゃ昨日は市民球場でラグビーをしてきたんか?1PG差で
惜しかったのぉ’などと言う先生もいた。
 今から28年前の試合だが一生忘れられない試合であった。
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