体操ニッポンのライバル死す

体操ニッポンのライバル…アンドリアノフ氏死去(スポーツニッポン) - goo ニュース

 今日のスポーツ紙にモントリオール五輪男子体操・個人総合の金メダリストで
日本のライバルだったソ連のエース:ニコライ・アンドリアノフが進行性の神経
障害のため58歳で亡くなった事を知った。

 アンドリアノフといえば体操ニッポンのライバルであり、加藤沢男の個人総合
3連覇を阻んだ憎き敵であり、塚原光男の息子・塚原直也のコーチでもあった
ので日本とは縁の深い男だった。

 私が最初にアンドリアノフの名前を聞いたのは76年モントリオール五輪。
 ご存知のように この大会は世界チャンピオンでエースの笠松茂が大会直前に
盲腸炎で離脱し、団体戦の規定演技ではソ連にリードを許す苦しい展開だった。

 日本の前に立ちはだかったのがアンドリアノフで規定演技を終えて個人総合
でも1位に立つ。
 ただし団体の自由演技では藤本まで負傷で欠き5人ギリギリの鬼気迫る演技を
した日本のプレッシャーからか鉄棒で落下、最終的に団体は日本が大逆転で五輪
の5連覇達成の引き立て役になってしまった。

 しかし個人総合では加藤沢男と塚原光男の追い上げをかわして金メダルを獲得
すると更に種目別でも 床・つり輪・跳馬の3種目を制し個人総合と併せて4つの金を
獲得。

 4年前のミュンヘンでは日本は団体と個人総合に種目別でも3種目、合計8個中
5つの金を獲得していたのだが、モントリオールではアンドリアノフに4個取られた
ため金は団体を含めて3個に終わり金メダル獲得数でソ連に敗れた形になったのだ。

 ちなみに後から聞いたのだがミュンヘンの時もアンドリアノフは出場しており種目
別の床で金を獲得したものの団体戦でミスを犯すなど今ひとつパッとしなかったの
だが、4年で ここまで成長しているとは思わなかったしモスクワでの団体6連覇
危うしという思っていたのだ。
(そのモスクワはボイコットで出場すらできなかったのだが・・・・)

 それから母国のコーチをしていると聞いていたがソ連崩壊の混乱で塚原光男から
招かれ朝日生命クラブでコーチになり息子の塚原直也を2002年まで指導していた
らしい。

 好敵手ではあったが塚原光男曰く‘日本にならってソ連にお辞儀や整列などの
礼儀を持ち込んだ素晴らしい人物’という親日家だったようだ。

 この点を見ると昨年亡くなった柔道のアントン・ヘーシンクとダブるのだ。

 このような好敵手が亡くなるのは往年を知っている身としては辛いものがある。

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