鈴木有二~鈴木石松~ガッツ石松へ

 先日も記したように今から50年前の昨日ガッツ石松はロドルフォ
・ゴンサレスを8Rで倒してWBCライト級王者になったのだが、面白
いのはガッツ石松の本名が鈴木有二だったという事。

 身長が172cmとライト級では比較的体格に恵まれていた事もあり、
足を使ってワン・ツー主体のアウトボクシングを得意とするスタイ
ルで倒す時が‘幻の右’といわれる右のカウンターだった。

 地味なスタイルのためリングネームに森の石松にあやかって鈴木
石松と名乗り縞の合羽に三度笠の股旅スタイルでリングインすると
いう個性派だったが、
デビュー以来15勝5敗4分の成績で70年1月に
世界ライト級タイトルへの挑戦が内定していたジャガー柿沢の前哨
戦の相手として対戦し番狂わせの判定勝ち。

 勢いに乗ってパナマに乗り込み当時の世界王者イスマエル・ラグ
ナに挑戦するが13RTKO負けで挑戦に失敗し、日本王者の高山将孝と
引き分け東洋王者の門田新一には中盤までリードしながら逆転KO負
けとラグナ戦後3勝4敗1分で終わったかに見えたが72年1月に8日前
に代理挑戦した東洋タイトルマッチで5カ月前に逆転KO負けした門
田に判定勝ちして東洋王者に。

 2度の防衛を含む5連勝し73年9月にパナマでWBA王者ロベルト・
デュランに挑戦するが、後に4階級制覇する‘石の拳’のプレッシャー
に押されて守勢に回り10RでKO負けで2度目の世界挑戦も失敗。

 この試合の後に‘世界を獲るにはガッツが足りない’という事から
‘ガッツ石松’にリングネームを変更すると、74年2月にジョニー・
クルスを4Rで倒し4月のゴンサレス戦に臨んだわけだ。

 ちなみにライバルだった東洋王者の門田は10月に1階級上げWBA
:Jウエルター級王者アントニオ・セルバンテスに挑戦するが8Rで
8度倒されKO負けすると、日本王者の高山は12月にデュランに挑戦
し1R90秒で倒される完敗で2人ともタイトル奪取ならなかったのだ
から人の運とは不思議なものだと実感する。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ガッツ石松が... ウルトラマン... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。