大場政夫が亡くなって40年

 今から40年前の今日73年1月25日はWBAフライ級王者・大場政夫が首都
高速を愛車のシボレーコルベットで走行中に運転を誤りトラックと正面衝突して
亡くなった日である。


 当日は木曜日で昼休みに男の先生が担任だった隣のクラスの友人が‘大場が
死んだ’と言っていたので最初は信じなかったのだが、家に帰って尋ねると本当
だったので驚愕したのを覚えている。


 23日前に行われたチャチャイ・チオノイとの試合で1Rに右ロングフックで
ダウンしただけでなくダウンの際に右足を捻ったため、右足を引きずりながら
戦い12Rに逆転KO勝ちしていたのが印象深かったので‘まさか’という感じ
だった。


 あれから40年経ち いろんな情報が流れていた。

 大場は168cmという当時の世界フライ級歴代王者の中では最も長身だった
ので減量が厳しかったためバンタムに上げるかフライ級に留まるか模索中だった
らしく、事実チャチャイ戦までは終わると次のスケジュールが決まっていたのに
対しチャチャイ戦の後のスケジュールが白紙だったというのだ。


 それを考えるとバンタム級への転級を模索していたようだが当時の世界バン
タム級タイトルは統一王者で世界挑戦は今と違って容易ではなかっただろう。


 一方で大場はチャチャイ戦だけでなく1つ前のオーランド・アモレス戦でも1Rに
ダウンしていたように試合開始直後に不用意なパンチを貰うケースが多かった
のは厳しい減量の影響から反射神経の鈍りかもしれないと思うし、アモレスに
勝った時点で目ぼしい挑戦者が いなくなりチャチャイも どちらかといえば
‘負ける相手ではない’と見られていた相手だったのを覚えている。


 だから歴史に残る逆転KO勝ちも見方を変えれば拙戦の部類に入るわけで
厳しい減量の悪影響が出始めていたと思うのだ。


 今ですら‘過酷な減量は神経を研ぎ澄ませるし、減量に勝てない者が強敵に
勝てるわけがない’と過酷な減量を肯定する者が存在するのだから当時は
それが当たり前だったわけで、減量の悪影響という意見は出てなかったのだ
ろうが今にして思えば…という感じだ。


 強敵の不在にフライ級に留まるかバンタム級に上げるかの逡巡が大場の心に
緩みを与え過酷な減量の影響で反射神経が鈍った状態での事故死ではないか
と個人的には思えてしまう。


 もし存命だったら大場は今年で63歳。

 早逝ゆえ年齢を重ねた大場の姿は想像できないが存命なら どういうキャリアを
過ごし、どんな存在になっていたのだろうか?と毎年1月25日が来る度に思って
しまうし、既に私自身が大場の倍以上の年齢を重ねているのを考えると時の
流れの早さを痛感するものだ。

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