福岡国際マラソンの思い出

  毎年12月の第1日曜に行われるのが福岡国際マラソン。
 昔は日本人が勝てないので有名なハイレベルな大会だった。
 なにせミュンヘンオリンピックで優勝したFショーターが
ムチャクチャ強く、日本人ではせいぜい宇佐美彰夫が1度優勝
した位だから推して知るべし。
ところが78年から80年まで日本のエースである瀬古俊彦が
3連覇を達成した。当然この頃の日本の男子マラソンは世界の
トップレベルだったといっていいだろう。
 私が最高の大会と思っているのがロサンゼルスオリンピック
の選考レースとして行われた83年で、それこそロスでの優勝候
補が集結しその中で瀬古が見事にJイカンガーをラスト100mで
さしきって優勝したのだ。
スタートからかなりのハイペースで飛ばすイカンガーを集団で
追うもののふるい落とされていく中で瀬古や宗兄弟がピッタリと
くっつき予断を許さない展開だったが、途中で宗兄弟が遅れて
イカンガーと瀬古の一騎打ちになった。
 本来なら競技場手前あたりで得意のスパートをかけて置き去りに
する瀬古がなかなかスパートをかけない、そしてトラック勝負に
なってもイカンガーの後にくっついて走るので‘大丈夫か’と
観客が思っていた矢先のラストのホームストレートの100mで例の
スパートをかけたのだから観客は大盛り上がりだった。
 84年のロスオリンピックの年には当時無名だった中山竹通が優勝
候補筆頭だった東ドイツのハイルマンを千鳥橋で突き放して優勝し、
それから一気にスターダムにのし上がった。
 その後もトラックから転向した新宅雅也が優勝したりとトップ
レベルでないと優勝できないハイレベルな大会で、88年に渋谷俊浩
が相手のコース間違えという幸運にも助けられて優勝しても、本人
には申し訳ないが‘こういった日本人が優勝するようでは今年の福
岡のレベルは・・・’と日本人が勝った事よりレベルが下がった方
を云々されるムードがあるのだ。
 ただソウルオリンピック代表選考レースとなった87年の大会を最
後にかつてのようなワクワク感が薄れてきたのも事実。どうしても
海外の賞金レースが主流になってきた今、かつてのように外国人の
トップレベルの選手がトップコンディションで臨みにくくなってい
るというのもある。
 それでもやはり福岡は福岡、平成に入ってもアトランタの金メダ
リストのジョサイア・チュグワネや銀メダリストの李鳳柱が出場し
て優勝するなど国内でもトップレベルの大会という評価は変わらな
いと思うし、日本人選手の優勝者でも藤田敦史や尾方剛のような
トップの選手しか優勝してないのを見てもよく分かる。
 88年に蒲田にいた時は中継を見て3月まで住んでいた福岡市内の
様子が映し出されると妙に懐かしく思えたのもいい思い出だ。
 今年で60回目の大会となるが東京でも大阪でもない福岡で世界の
トップレベルのマラソン大会が行われ、それを見れる幸運を噛みし
めてチャンネルを合わせるのだろう。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« ウルトラマン... 12月第1日曜の罠 »
 
コメント
 
 
 
明早ラグビーと同じ日 (さくらい)
2006-12-03 10:26:57
残念ながら毎年、ラグビーとかぶり、途中までしか観戦出来ません。一番良い時間の二時過ぎにラグビーにチャンネルを変える年が殆どです。最近はそれ程の
選手も出場せず、昔に比べると?。もっともラグビーもこのところの明治のだらしなさで早稲田のワンサイドゲームが続き情けないのだが。今年は?良い試合を
期待したいが?頑張れ明治。
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2006-12-04 00:08:20
>さくらい様
 昔はHNKが両方やってたのでマラソン終了後にディレーで早明戦をやってましたからね。
 TV朝日はCMが多くてダメです。
 明治頑張ってましたがシンビンで1人多い時間帯にトライを取られていては勝てませんね。
 でも復活の兆しはありますね。
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。