池田やまびこ打線から40年経ち

 今から40年前の82年夏の甲子園の優勝校は徳島県代表の池田で、
やまびこ打線と言われた強力打線が6試合でチーム本塁打7本・85
安打・121塁打など当時の新記録を作っての優勝だった。

 特に広島商との決勝ではこれまで‘大型チームが毎回のようにラ
ンナーを出すも、鉄壁の守りで凌ぎ少ないチャンスで得点して逃
げ切る試合巧者のチームに負ける’というの甲子園での不文律を1回
表2アウトランナーなしから一挙に6点取り最終スコア12ー2で粉砕
したのには衝撃を受けたものだ。

 しかも池田は翌年春も優勝して夏春連覇を達成し夏も優勝候補
筆頭と言われ一時代を築いたわけで、地方の公立普通校が流れを
作った事により以後の高校野球がパワー野球に変貌したわけだ。

 つまり打線は水ものだからトーナメントを勝ち抜くには投手を
中心にした鉄壁の守りが全てで、才能のあるなしに拘わらず守り
は鍛えれば鍛えるだけ上手くなるが打撃は才能がモノを言うので
多くのチームが3時間の練習時間があれば2時間は守備練習をして
いたようだ。

 そんな中で池田は練習時間の多くを打撃練習に費やした事から
打撃も鍛えれば打てるようになるという事が分かってきたわけで、
高校野球の練習の流れをも変えたと言われている。

 その流れはプロ野球にまで波及し池田登場以前はMLBとの日米
野球というエキシビションですら勝ち越せなかったのが、野茂英
雄がMLBに行ってから今や大谷翔平がMVPを取るまでに進化して
いるのも遡れば池田がパワー野球への流れを作った事が大きいの
ではないかと思う。

 ラグビーの世界で昭和の時代に日本が弱かったにも拘わらずイ
ングランドをはじめ世界の強豪と対戦できたのはフルバックの攻
撃参加やショートラインアウトなどを開発した国という事へのロ
イヤリティと故・宿澤宏朗元日本代表監督が以前語っていたが、
パワー野球への移行を定着させた池田にロイヤリティがあるので
甲子園のファンにとって大阪桐蔭や横浜にPL学園よりも池田は
特別な存在なのかもしれない。

 今年は仙台育英が5人の投手を起用して甲子園で優勝しており
複数投手を揃えるのは当然という流れを作ったのも、元を辿れば
パワー野球相手に投手1人では抑えきれない事に対する回答なの
だから池田の存在は今でも偉大だと思う。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
勝ち上がる為には (こうちゃん)
2022-09-03 11:14:25
‘打線は水物’だから、好投手に捻られやすい一面がある。だから直ぐに沈黙してしまう。投手陣が最少失点でゲームメイクすれば、局面が打開しやすい。仙台育英の優勝が布石になると、高校野球も面白味が出て来る。でも、高野連のボンクラ会長が余り触れないのは、自分が気に食わないんからだろうけど。古の高校野球ファンも。
 
 
 
進化よりも伝統順守 (こーじ)
2022-09-05 07:55:57
>こうちゃん様

 まぁ高野連のお偉方は進化よりも伝統順守の精神が強いですから、現場から動く事こそ重要だと思いますよ。

 ちなみに高校駅伝で最初に留学生を起用し始めたのが仙台育英でしたし、肩は消耗品という発想は昭和の末期から持っていたようですね。
 
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