76年 選抜高校野球1回戦・和歌山工3-6徳島商

 大会2日目の第1試合は四国大会準優勝で神宮大会で優勝した徳島
商と一昨年の選抜で柳川商や高知を破ってベスト4に進出していた和歌山
工の対戦。

 8:00試合開始という早朝ゲームだけに立ち上がりが注目されていたが、
ジャンケンで勝って先攻を取ったと思われる徳島商が1回表から攻勢を
かける。 

 和歌山工の先発は背番号1の西川ではなく10を付けた2年生の左腕・
吉田だったが、1番の武市からレフト前ヒットを打たれるとバントを警戒し
すぎてストライクが入らず2番の林を歩かせ傷口を広げる。
 更に3番の阿部にセンター前に落とされて満塁から4番の安村から粘ら
れて2-3からレフト前ヒットで1アウトも取れずに2点を失う。

 これで徳島商はペースを掴んだのに対し和歌山工は徳島商の左腕・
日川からランナーを出すものの点が取れずにイニングを重ねる。 

 2回、3回と3人で終わっていた徳島商は4回に先頭の安村がヒットで
出塁すると、1アウト1,2塁から庄野がレフト線への2ベースで追加点を
挙げると更にスクイズと武市のタイムリーでこの回3点を挙げて 5-0と
和歌山工を突き放した。

 何とか反撃したい和歌山工は8回に先頭の8番・吉田がヒットで出塁し
9番の湯川が歩いた1,2塁から2者連続三振で2アウト後に 3番の西川が
レフトに大会第1号となる3ランを放ち5-3とするが反撃もここまで。
 徳島商は9回にも1点を追加して6-3で快勝したのだった。

 当時の選抜はベスト8と2日目以外は基本的に3試合。
 夏の場合4試合日の第1試合開始時間は9:00だったが、春は8:00。
 8:00試合開始に備えて両チームとも4:00起きだったので体の動きが
鈍い、こういう中での試合は先攻が有利ではある。

 徳島商は1回に先制した後の2イニングは3人づつで終わり、反対に
和歌山工はランナーを出しながら点が取れなかった。
 自力からいったら徳島商が上ではあったが、和歌山工が先攻だったら
どうなっていたか? 大いに興味がある。 

 なお、私は この試合をTV観戦していない。
  当時の選抜はベスト8までは、地元地域の試合以外は11:55からしか
TV中継しなかったのだ。
  四国と近畿のみの中継だったのでラジオで聞くしかなかった。
  今では考えられない話だろう。

 徳 島 商  200 300 001 6
 和歌山工 000 000 030 3

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コメント
 
 
 
バックネット裏からの中継スタイルが懐かしい~ (なにわのヒバゴン)
2008-12-20 22:46:17
こーじ さん

和歌山工といえば、74年春の準決勝でも池田戦がありましたよね。池田イレブンが勢いに乗り決勝進出。和歌山工とすれば同じ徳島勢が相手で気合いは入っていたでしょうけどね

この時代は同じ4試合日でも第一試合開始時間が春と夏で違ったんですね。そういえば78年夏は毎日のようにナイター試合になっていた気がします。福島の郡山北工が松山商を破った試合はナイターでしたが、夏将軍・松山商ナインはうなだれながら甲子園の土を袋に詰めていました。早実を破った倉吉北とともに印象深いです

徳島商は神宮王者の貫禄を思わせる強打が序盤から火を吹きました。こーじさんのおっしゃる通り、早春の早朝ゲームは動きの堅い後攻の方が試合に入りにくい気がします。2点差に追い上げたあたりは選抜常連校・和歌山工の地力を感じますね

箕島が島本で優勝後、少し低迷していましたが、その間に春のみ和工、向陽(旧海草中)、伊都が出場。ただ夏は紀和大会で天理、智弁、郡山の奈良勢にことごとく敗退しています。和工の夏初出場は81年、甲子園でサイドの中田投手が3試合連続完封し8強入りしましたよね。。☆
 
 
 
コメント追加させていただきます (なにわのヒバゴン)
2008-12-21 11:01:57
こーじ さん

76年当時はまだNHKの高校野球放送も完全中継ではなかったんですね。私はそんな放送形態だったのをつい最近になって知ったのですよ。徳島商×和歌山工はテレビで見た記憶があるので、地元近畿と四国のみ放送されていたんですね。ただ近畿は民放(春は毎日放送)も中継していましたから、午前中の試合(途中から)も見られたように思います。翌77年からはNHKも完全中継ではなかったでしょうか?開会式後の中村×戸畑戦から連日見ていた記憶がありますので。。。解説の池西増夫さんが高いトーンで「山沖くんはセットポジションの投球の方がいいと思います~」と話していました☆
 
 
 
そうでもないのですよ (こーじ)
2008-12-22 00:58:31
>なにわのヒバゴン様
 どうも週末は午前中の試合をOAしてましたが、平日は地元地域以外はOAがなかったのですよ。
 開幕戦は池西増夫で決勝は松永玲一というパターンでした。

 78年に4試合日は6日目以外は全てナイターになったので、79年に第1試合は8:30、80年からは8:00になってました。
 最近は8:30ですけど。

 徳島商は強かったですよね。
 なんで1勝しかできなかったのか不思議です。

 和歌山工は81年に星稜、近江、熊谷商に3試合連続完封勝ちでしたね。
 この年のイメージが強く残っています。
 
 
 
世代的には‥ (なにわのヒバゴン)
2008-12-22 03:55:41
こーじ さん

私は徳島といえば池田高校ですね。徳島商が優勝候補というのはその76年以降は記憶にありません。76年夏はまだ高知勢との南四国大会だったと思いますが、徳島商はそれを制して出場しているので力があったことが伺えますね。イメージ的にあの頃は高知勢のほうが強かったと思います。春に甲子園を沸かせた池田も夏は出ていませんし(71年以来の)。 徳島商は川上憲伸で93年夏8強、近年では03年4強と久々に上位進出したとはいえ、どうもインパクトが薄いです。どちらかといえば鳴門工の印象度のほうが強いですね。強い四国の象徴だった四商揃い踏み(78年夏以来)は果たしてあるのでしょうか‥☆
 
 
 
池田は (こーじ)
2008-12-22 19:38:36
>なにわのヒバゴン様
 池田は徳島商に勝つためにパワー野球を推進したようです。
 池田も92年夏にベスト8で拓大紅陵に9回2アウトから逆転2ランを打たれて逆転負け。
 打ったのはロッテから格闘技に転向した立川でした。
 それ以降は出てません。
 やはり津久見の小嶋さん同様、蔦さんが亡くなってから弱体化したようですね。

 そう、最近は徳島商より鳴門工の方が活躍していまして勝率もいいですよ。
 
 
 
徳商出身の蔦監督が‥ (なにわのヒバゴン)
2008-12-22 23:14:07
こーじ さん

母校を倒して甲子園に出ることは、胸中複雑だったでしょうね。それはまるで母校浪商を破って選抜優勝した洲本の広瀬監督みたいな構図です。ただし広瀬氏は数年後に浪商に戻っていましたが‥

池田はこの秋四国大会へ進み、久々の甲子園へあと一歩だったんですけどね。箕島や習志野が選抜を確定させているだけに、夏は頑張って欲しいです。イレブン以降では79年のチームも印象的で、春の東洋大姫路戦、夏の浪商戦、決勝の箕島戦など名勝負が多いですね。畠山や水野のチームはあまりにも強すぎて、私はそれほど感動はありませんでした(明徳戦はヒヤリとしましたね)☆

鳴門工は初陣だった73年春にいきなり4強入りしましたが、結局池田の台頭などで長く低迷。02年春準優勝した丸山投手の大きなカーブ、浜永捕手と絶妙のバッテリーコンビでしたよね。スラッガーの梅原健太、6打数連続安打の佐坂選手なども記憶に残っています☆
 
 
 
藍より青くですか (こーじ)
2008-12-24 00:34:45
>なにわのヒバゴン様
 恩返しと言うか、藍より青くというか・・・ですね。
 そう、池田は76年は惜しかったようです。
 79年春の東洋大姫路戦は、選抜名物の田んぼゲームでヘッドスライディングしたら顔が真っ黒になってましたね。
 どうも徳島勢は兵庫に相性が悪そうです。

 池田ー報徳学園
 鳴門工ー報徳学園
 池田ー東洋大姫路79年春など

 82年の池田が一番てこずったのが準決勝の東洋大姫路戦でしたしね。
 
 
 
兵庫と徳島は (なにわのヒバゴン)
2008-12-24 01:34:22
こーじ さん

淡路島を挟んで向かい合っていますし、兵庫からすると近畿の延長のような感覚なのかもしれません。その79年春の報知高校野球の展望号で蔦監督は「箕島とPL学園は勝ち上がるコツを知っとるから嫌じゃ。あとは兵庫の2校が強いじゃろ~」とコメントしていました。姫路ともう一校は尼崎北で、アンダースローの田中と強打の安永捕手、老監督・西山氏に率いられて2年連続選抜ベスト8。79年は前年準優勝の福井商に快勝、翌年はテルシーの柳川を破り、優勝した高知商に終盤逆転負け。この年は石本の滝川もありましたから、兵庫は強い時代が続いてましたよね

報徳×池田は春に2年連続で対戦でしたね。いずれも好試合、75年は勝負どころでホームランが飛び出し池田はリベンジならず。。。報徳は解説でもお馴染の福島敦彦監督でしたね

82年夏の池田×東洋大姫路も大接戦。内野安打などで姫路が先制したので、勝ちムードだったんですがね。池田の木下選手が終盤にアーチをかけて試合を決めました。梅谷監督は悔しそうでしたけどね‥☆
 
 
 
たしかに (こーじ)
2008-12-25 00:21:35
>なにわのヒバゴン様
 たしかに淡路島を挟んで近県ですのでね。
 尼崎北は意外に強かったですよ。
 79年に福井商に勝ったときは驚きましたから。
 
 報徳の福島敦彦氏は、この後に慶應の監督をやってます。
 彼の解説は面白く、プロ野球の解説者より進歩的な解説をしてますよ。
 最近解説をされないのが寂しいですね。

 東洋大姫路と池田の価値観は正反対のような気がします。 
 だから梅谷監督もいっそう悔しかったのではないでしょうか。
 
 
 
高校野球中継‥ (なにわのヒバゴン)
2008-12-25 17:40:18
こーじ さん

近畿では民放も完全中継(夏)ですから、昔はあまりNHKを見ませんでした。子供心に迫力、熱さを感じられなかったので‥

しかし近年は民放がややウザいですね。いかにもお涙ちょ~だいみたいな実況が年々顕著になっているようで。アナウンサーの質も没個性といいますか、絶叫型が主流で右へ倣えの感が多いですね

NHKで福島さん以外の解説者では鍛冶舎巧さん、土佐秀夫さん、後藤寿彦さん。もちろん池西さん、松永さん、河合貞夫なども名解説でした。実況は島村アナ、土門アナ、西田アナ。こうして書いていますと決勝戦の名シーンが蘇ってきます。。☆78年PL学園×高知商は土門アナ、翌年3回戦の箕島×星稜は島村アナでしたね☆
 
 
 
松永玲一氏が (こーじ)
2008-12-26 00:17:44
>なにわのヒバゴン様
 とにかく絶叫型は鬱陶しいですよ。
 関西から来た人が‘コチラでは民放の中継がないのですか?’と民放の中継を期待してました。
 理由が甲子園の予選で負けたチームの監督が解説をするわけです。
 
 私的には松永玲一さんの解説が好きでしたよ。
 開幕戦は池西増夫で決勝が松永玲一だという図式が一時期ありましたよ。
 
 
 
春の毎日放送は (なにわのヒバゴン)
2008-12-26 03:49:01
こーじ さん

80年代前半くらいまで、監督ばかりでなく選抜を湧かせた元選手も解説をされてました。済々黌の城戸博さん、鳴門の栗橋博さん、浪商の樋上竜太郎さんなどです。私はその方々は結構好きなタイプの解説者でしたね

興国の村井監督は私の記憶では75年春あたりから平成5、6年くらいまでは解説されていたと思いますが、さすがに10年以上まったく甲子園に縁がなくなると饒舌な語りも説得力に欠けてきます。やはり直近5年以内で一度は甲子園の土を踏んだ監督さんでないと、解説するのは試合をしている両校に申し訳ないでしょうし、ましてそれが常連校同士だと過去の遺産だけの解説者はコメントできませんよね‥☆
 
 
 
そうですか (こーじ)
2008-12-26 23:48:46
>なにわのヒバゴン様
 元選手の解説というのも面白そうですね。
 村井さんは最近の高校野球の流れには付いていけてないのかもしれませんね。
 86年のNumberに村井さんのインタビューが載ってまして、読んだ限りでは・・・・

 そういう意味では甲子園から遠ざかって5年前後が
解説の賞味期限かもしれません。
 
 
 
80年代のnumberをお持ちとは凄いですね~ (なにわのヒバゴン)
2008-12-27 04:09:08
こーじ さん

村井さんが凄い指導者だと思うのは、請われて京大で野球を教えていると聞いたことがあるからです。野球理論、技術のみでなくトータルにおいて優れた監督さんなのでしょうね

過去、近大付で春3回出場の豊田義夫監督が最近も解説されていたように思います。75年春が最後の出場でしたから、まだマイナーな頃ですね。選手のプレーに「~しておられますね」と敬意を込めて丁寧に話されるので、人柄が凄く滲んでいました。報徳と関学高を甲子園に導いた広岡正信監督も丁寧調で好感が持てる解説です‥☆
 
 
 
学生野球の理想としては (こーじ)
2008-12-27 23:14:50
>なにわのヒバゴン様
 村井さんのインタビューでは‘高校野球は若人が血と汗を流して会得した技術を発表する場ですから、生半可な見方をしてもらっては困る。正装して背筋を正して見るべき’と応えてます。
 典型的な修行スポーツの感覚ですから、学生野球の理想としてはアリでしょう。
 ただ最近の才能型選手達からは、敬遠されかねないですね。
 
 
 
昭和の高校野球を感じさせる心の村井野球‥ (なにわのヒバゴン)
2008-12-28 06:10:47
こーじ さん

そんな熱い情熱と、高校生の努力・研鑽の日々を肌で感じられているからこその村井さんの言葉ですね。甲子園から長く遠ざかっても村井さんに解説を依頼した理由がわかるような気がします。しゃがれ声で本当に熱く語っていましたが、解説された中で印象的な試合は78年夏の決勝、84年春の決勝(いずれもラジオ)

9回裏PLが柳川を迎えた場面で‥「森くんはランナーばかりに気をとられないで、一球一球自分を信じて投げて欲しい。ここで浮わついているようではピッチャーとして負けですよ」

「ピッチャーの山口くんは負けてもいいやくらいの気持ちでバックを信じて投げるべきですよ。岩倉は逆転のPLという言葉は知ってるでしょうが、伝統あるPLの方にも違ったプレッシャーがあるでしょうからね」。

9回表二死ランナーなしで三番の鈴木。次がバットの先でもオーバーフェンスのある清原ですからねぇ~。というアナの問掛けに村井さんはその様に話されていました。そして山口は鈴木をセンターフライに打ち取って優勝を決めましたよね(滞空時間の長いフライでした)‥☆
 
 
 
そうなんですよ (ミック)
2016-12-18 15:42:09
>当時の選抜はベスト8までは、地元地域の試合以外は11:55からしか
TV中継しなかったのだ。

これ、近畿の友達に言っても信じてくれませんでしたので 当時の朝日新聞縮刷版の選抜記事欄にある 【今日の放送予定】みたいな箇所を写メしました。
確か全試合放送になったのは80年でしたか…
前橋、松本投手の完全試合が 第三試合で良かったですね!
昔はテレビ放送はもとより 関東枠が3でしたし 不遇の時代でした(笑)
って 東京2、の私が言うなって感じですかね(^-^)
 
 
 
若い人は (こーじ)
2016-12-19 22:51:03
>ミック様
 ちなみにこの年の徳島商は1回戦&2回戦が第1試合でしたから見れず、夏の1回戦の海星戦でようやく見る事ができました。

 74年まではまだ酷く基本1日3試合制だったので10:05から10:00開始の中継が始まり、第2試合までのインターバルで昼のニュースを第3試合までのインターバルで
連続TV小説と銀河TV小説の再放送をやってまして18:00過ぎると10分間ニュースが入り18:50ぐらいで打ち切りでした。

 これが74夏の鹿児島実ー東海大相模戦のおかげで翌年から教育TVでのリレー中継が始まったというワケです。
http://blog.goo.ne.jp/ue-kj/e/e95b176897a9ded6e71b628780da7908

 もっとも選抜だけは言われるように80年まで不遇の時代が続いたわけですから、今では感慨深いものがありますね。
 
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